米利堅人

メリケン人

 嘉永6年に、アメリカのペリー提督が黒船の艦隊を率いてあらわれてから、日本は上を下への大騒ぎ。
 たった4はいで夜も寝られず・・という有様でしたが、これをきっかけに、世界に無理やり目を開かせられるというところです。はじめて見る、西洋人にどのように対応していいやらわからず、幕府の役人もあわてたでしょうが、嘉永7年の再来日の時に、日本側がアメリカ人を横浜応接所で饗応した時の様子が「米利堅人饗応図」という絵になって黒船来航絵巻として残っています。
 日本人が西洋人を見るのも始めてかも知れませんが、彼らにとっても、箸での和食は初めてだったのでしょう。椅子にテーブルというものがまだなかったので、床机に布をかけて二列に並べ、手前の床机の上に膳をのせ、後ろの床机に腰掛けてもらうという形にしたようです。
 その中の宴会風景に登場のアメリカ艦隊の将校。箸をどう使ってよいかわからず、それでも苦労しています。二の膳の伊勢海老は手付かずで下においてあります。
2007-11-08
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