「非常並旅行服」の男

旅行服

 明治維新は、王政復古し、いよいよこれから新しい日本を作るべく断行されました。
 しかし、新政府は、いわば色んな身分がごちゃまぜで、天皇に近い公家もいれば、貧乏公家もあり、武家にしたって、大名もあれば、弱小殿さま、下級武士、はたまた軍籍に身を置く元農民など、さまざまな身分がごちゃまぜ。
 そして、天皇を中心として政治をするといっても、集まった連中が、それぞれ服装がバラバラ。
 天皇に拝謁を願うには、衣冠束帯でなければならない、百歩譲って狩衣烏帽子と主張する貴族がいると思えば、大名などは大紋直垂でよいではないかというし、中流以下の武士階級の出身者は、直垂なんぞ持ってないし、豪農や、豪商では黒紋付きの羽織袴が正装で参内させてほしいという。
 いかにも見ただけで寄せ集め政府の感があるし、現に明治初年のある集合写真では、狩衣烏帽子の公家のとなりに直垂姿の上級武士がおり、洋装の外人、羽織袴の下級武士、洋装で蝶ネクタイ断髪の(洋行帰り?)日本人、チョンマゲ軍服の兵士などが並んでいます。
 これはいかんぜよ!ということで、早急に「官服」の制定が叫ばれましたが、とにかく、シッチャカメッチャカで全然決まらない。
 古式ゆかしくしたい公家方は、衣冠束帯だの狩衣だのと公家衣装にこだわり、実際に武士にもこの格好をさせると、下級武士は烏帽子など慣れないし、袖の大きなのも難儀で、とても閉口したらしい。
 第一、外国人からみたら「エキゾチック」なこの衣装はヘンだよ・・というのは洋行帰りの日本人たち。
 とりあえずは、各藩で勝手に洋装になっていた軍服から統一を図り、一般官吏にも、「非常並旅行服」というものが、明治3年に制定された。絵図によると、黒羅紗の詰襟で、金釦、紫の組紐の肩章がつき、袖の装飾で身分が決まっていたらしい。
 これは、「旅行」というのは、国内ではなく、海外に出張するときに、和装では不便であろうということで、やや軍装よりのスタイル。 のちの話になりますが、岩倉使節団が出発するときに、三条実美が「おくる言葉」の中で述べた、
  万里馳駆 英名を四方に宣揚する
 という気概を持って洋装した明治官人のユニフォームとして考案された。。
 
 それの絵図をもとに復元してみました。
 明治の服制についてはこちらにも書いています。
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