末弘ヒロ子

末弘ヒロ子

 なんとも、あんまりひねりのない名前というか、素直すぎる感じがします。
 しかし明治の世の中では、女性は結婚すると姓がかわるので、せめて実家の姓の一部でも残しておこうかというつもりだったのか・・?
 この人は、明治41年に行われた日本初のミスコンの第一位になった「美女」で、当人は全く知らぬ間に、姉婿が勝手に応募してしまい、日本一の美女になってしまったんです。
 それなら、今でも、友達とか兄弟がが勝手に応募してアイドルになったとか、そんな話はままありますが、なにしろ、明治時代のお嬢様だったから大騒ぎ。
 父親はお堅い警視庁務め。本人は、女子学習院中等科在籍の、16歳の現役の「女学生」。
 しかも、当時学習院の院長は乃木希典。カチカチの軍人です。
 本人には、全くそんなつもりもなかったのに、学校でも噂になり、とうとう退学処分にまで発展。
 学校に美少女アイドルがいたらこれこそ、学校の宣伝と喜ぶ現代とは大違い、気の毒ですねえ。
 おまけに、退学を命じた院長は、このままでは、家名に傷がついて気の毒だからと、彼女を結婚させようということになった。
 ちょっと待って! それはないよ!・・と今なら言うでしょう? 
 しかし、縁談を持ち込んだのが当の院長乃木大将だし、お相手は野津侯爵家の子息だったので、両親は大喜び。
 しかし、現当主の野津侯爵は病床にあって明日をも知れぬ様態なので、子息の結婚を急がせるという事情があったんですね。
 かくして、彼女は未来の侯爵夫人・・といえば恰好がつくかもしれませんが、こんなんで、本当によかったの? 
 こっちにもちょっと書いています。
2016-02-25
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