井上勝(野村弥吉)

井上勝(野村弥吉)

 明治5年に新橋・横浜間の日本初めての鉄道が開業した日ということですが、日本の鉄道の父として知られている人物は井上勝
 長州藩の出身で、かの長州ファイブの一人です。
 渡英の時は21歳。最年少でした。
 留学時は野村家の養子になっていたので野村弥吉を名乗っていました(英国ではnomuranと呼ばれていたようで、本人は酒飲みだったので呑乱と当て字をしていたとか)が、明治になって実家に戻っています。
 もともと蘭学を学んでいた実父から海外事情などを聞かされており、12歳(中学1年生年齢)の時、横須賀で沿岸警備任務に就いた父に同行、15歳(高校1年生年齢)で長崎で洋学を学び、江戸の蕃書調所、函館と航海術を学ぶ間に、横浜に通ってイギリス人から英語を学んでいたという、当時としては目的を持って勉強をしていた若者ですね。
 で、形としては密航とはいいながらひそかに藩命をうけていた海外留学ですから、選ばれるのは当然という人選だったかも。
 ジャーディン・マセソン商会のあっせんで、上海からイギリスに向かったのは文久3年(1863)というのは、有名な話です。
 英国での留学期間は5年で、本人としてはもう少しおりたかったようですが、日本で政変(明治維新)がおこり、帰国を余儀なくされましたが、いわば、高校卒業後、大学と大学院という年齢をロンドン大学(ULC)で学んだのですから、最も効率のいい年頃だったかも。
 帰国してからは必ずしもすぐに鉄道事業に入っていたわけではないのですが、日本に鉄道を敷きたいという政府の重要会議などで英国人との交渉の場の通訳を務めたということから、次第に鉄道事業に係わりをもつようになったのですね。
 その後、関西での大阪・神戸、大阪・京都間の鉄道事業も彼の仕事です。
 以後、鉄道のプロフェッショナルとして活動しますが、晩年は関西で汽車会社(現在の川崎重工につながる)を設立し、汽車車両の生産もやっていましたが、明治43年(1910)に日英博覧会と、ヨーロッパの鉄道視察ために渡欧したおり、ロンドンで客死ました。
 礼服を着た華族然とした写真や、長州ファイブのスーツ姿なども有名ですが、あえて、鉄道敷設工事の姿をした若い技術者風の写真から描いてみました。顔は全然似ていませんのは、なんとなく勢いで。髪の毛も逆立ってしまいました。気迫にあふれていたのかも・・?
2015-10-14
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