五姓田義松

五姓田義松

 高橋由一とか浅井忠とか、明治の洋画家としては時々名前を聞きます。
 勿論、黒田清輝とかになると、絶対教科書に載っているし、作品と名前が一致します(高橋由一は、壁にぶら下がった鮭の絵だけしか思い浮かばないかも・・)。
 ですが、五姓田義松はあまり聞かないような気がする。
 宮廷画家だとかいう名前を冠して呼ばれることもありますが、もともと日本には、西洋でいうような宮廷画家はいないわけで、明治天皇の肖像画とか天皇に随行していろいろな場面を絵で描いていたということならば、この人が日本最初の宮廷画家かもしれません。
 父親の五姓田芳柳とセットで述べられていることもありますが、この親父さんがもともと歌川国芳のもとで修業した浮世絵師であり、狩野派にも学び、疑似洋風画から洋画も描き、横浜絵というジャンルの創始者といわれているので、とっても面白い人です。
 この父に画才をかわれて10歳の頃に画家であり漫画家でもある英国人チャールズ・ワーグマンに師事し、洋画の基礎を身に着け、19才で図画教師、工部美術学校でイタリア人のアントニオ・ファンタネージに師事するも退学して、明治天皇に随行する「宮廷画家」になったのが23歳。
 そして25歳の時、1880年に、本場パリに留学。
 レオン・ボナに師事します。相弟子にロートレックなどというと、なんとなくパリの雰囲気がしますね。
 日本人ではじめてサロン・ド・パリに入賞しましたけれど、画家の常で貧乏で、いつも借金していたなどと言われています。
 パリの水があったのか、あるいはお金がなかったから帰国できなかったのかわかりませんけれど、1889年までパリで過ごします(この年の三月にエッフェル塔が完成していますが、彼は見たのでしょうか? 同じ年にロンドンからニューヨークに行っているので、どうなんでしょうねえ)。
 帰国して、日本の美術振興のために努力もし、日清戦争の従軍画家もしたようですが、その後、日本での華々しい活躍という雰囲気はありません。
 彼の画風が、当時の日本にはあわなかったのでしょうか?
 でも、もっと日の目を見ていいんじゃないかなあって思いますが。
 昨年、この画家の作品をたくさん所蔵している神奈川県立博物館が展示会をするようですが。
 彼の色彩の絵画も面白いのですが、自分の顔を百面相で描いたいわゆる「へんがお」コレクションみたいな素描が面白すぎます。
 左右附対象の変顔で・・・。背景はエドワード・ジョセフ・ダンタンのまさしく1880年のサロンド・パリの絵を張り付けてみました。
2015-08-28
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