独孤三姉妹

独孤三姉妹

南北朝の末期の西魏、北周の軍人独孤信の娘たち。
 彼女たちは、後に北周の明帝の敬皇后、唐の元帝の元貞皇后、隋の文帝の文献皇后と呼ばれます。
 古代においては「皇后(きさき)の位」は女の最高の出世とも言われますが、彼女たちがそれぞれ嫁いだときは、その夫たちが歴史上のどの位置を占めるかなんてわかりません。
 はからずも歴史の奔流の中で、よくも悪くも、それぞれが三代の王朝にかかかわるということになりました。
 ましてや、父親の独孤信は、生きている間は、娘たちがどのような形にしろ、皇后と呼ばれる身分になるとは全く知らなかった。
 独孤信は、古代中国十三美男の一人で、その美貌と騎射の腕前で名を挙げた人物。
 若い頃は、戦場にあっても独特の派手な身なりで目立っていたとか。
 さしずめナポレオンの元帥ミュラのような感じの軍人だったのでしょうね。
 しかし、北周の孝閔帝が権臣宇文護を排斥しようと企てた陰謀に加担したとされ、自殺に追い込まれます。
 計画が露見した孝閔帝も宇文護に毒殺されました。

 敬皇后
 独裁を目指す宇文護が、次に傀儡として担ぎ出したのが宇文毓(いく)。
 これが長女の夫です。第2代目の皇帝として即位しました(明帝)。
 彼女は皇后に立てられましたが、父親の死が関係していたのか、すぐに亡くなっています。
 しかしその後、明帝も、宇文護に毒殺されます(この権臣は12年後に、明帝の弟の武帝に殺されるまで専横をふるいました)。
 
 元貞皇后
 四女の夫の李昞は、北周の唐国公の爵位のままで終わるのですが、息子の李淵が、後に隋を滅ぼして唐を立て、初代皇帝になるので、亡父に帝号を贈り、母を皇太后とします。彼女の孫が李世民です。
 
 文献皇后
 そして一番有名なのが、七女。
 名前も伝わっています。独孤伽羅
 彼女の夫は楊堅です。
 言うまでもなく、北周の武帝に仕えて北斉の攻略などに力を発揮した軍人ですね。
 独孤伽羅は、とてもしっかりしていて、夫の仕事にも意見を述べ、それが適確だったので、夫も信頼した。
 しかも、彼女、絶対夫の浮気を認めなかったんです。この時代にして大したものですねえ。
 楊堅は、結婚の時に、一生涯妻だけと誓わされたそうです。それほど彼女は魅力的だったのかも。
 美男で有名な父親の娘だから美人だったんでしょうねえ。
 二人の間に生まれた娘の楊麗華は宣帝(武帝の息子)の皇后になります。
 ところが、この帝はとんでもない愚帝で、淫乱と暴虐、奢侈と散財で、まあ典型的な亡国の君主。
 政治に関心などあろうはずもなく、結局、楊堅が実権を握ったまま、帝は、あまりの乱れた生活のゆえにか22歳で死んでしまう。 後に、楊堅は北周の王族たちを冷酷に粛清しているので、この帝もひそかに手を下したかもしれない。
  もしかしたら、DVに悩む(宣帝は暴力夫だったし、女性関係も無茶苦茶だった)娘の皇后と、母の独孤伽羅がしくんだことかもしれないですよね。ティベリウス家のようだわ。

 北周の曹操たる楊堅が王朝を乗っ取るのは時間の問題。
 そしてついに隋の初代皇帝として即位します。働き盛りの40歳。
 当然皇后は独孤伽羅。かねてより懸案だった南朝陳を滅ぼして、遂に、天下統一をはたします。
 常に夫の傍らにあって政治を助けたので二聖と呼ばれたというからには、彼女自身も立派な天下人だったわけですよねえ。ただのファーストレディではなかった。
 しかし、皆さまご存じのように、隋は、文帝夫妻の二男楊広(のちの煬帝)が、兄を陥れ、父母を謀って皇太子になりました。
 特に、母の前でしおらしさを演じたためにすっかり本質を見誤ったのは、天下の女傑独孤伽羅にして「男を見る目」がなかった。
 だって、彼女が死んでから、夫も、息子も、たがが外れたように、女色に走ってしまったんだもの。やれやれ。

 ところで、古代中国十三美男というのは、潘安・宋玉・子都・宋文公・鄒忌・周瑜・呂布・嵆康・衛介・韓子高・蘭陵王・慕容沖・独孤信だそうです。
 
2014-04-29
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