徳川和子

徳川和子

 東福門院として知られる徳川和子(まさこ)です。
 徳川秀忠の娘で、後水尾天皇の後宮に入内しました。
 幕府からの御所の監視のために押し付けられた妃と反発する天皇と、何が何でも徳川の血を引く皇子を皇位につけたい幕府側との間にあって、大変な苦労をした人です。
 江戸幕府当初から「公武合体」は女性が苦労しているのです。
 しかし、この人は秀忠の娘で、母はお江与の方・・江姫ですから、母方からするとお市の方の孫娘。
 つまり伯母が淀殿で、姉が千姫なわけです。
 政略と計略の中で翻弄された女性たち・・というには、皆かなり意志の強い女たちではないでしょうか。
 気難しく高貴で難儀な夫天皇との間に子供を7人も生みますが、不幸なことに生まれた男子はすべて早世します。
 いろんなことで、幕府に対して反発を持った天皇は、遂にキレて、長女の興子(おきこ)内親王に皇位を譲って隠居してしまいます。
 あたかも、「どや!お前の孫をちゃんと天皇にしてやったやないか!」というイヤミでしょうかね。
 当時の発想だと、いくら徳川の血筋とはいえ女性天皇では一代限りで、結局、側室の産んだ皇子を後継者としなければならないんですから。
 ここで、和子がもうひと頑張りして「娘に娘を産ませて女系で皇位を継がせます! 後宮に元気な美男をいっぱい入内させなさい!」 なんて「逆転大奥」みたいな話になれば面白かったかも・・。
 という冗談はおいて、和子は古風な宮中に、小袖文化を持ち込み、ファッションリーダーとして、名をはせました。
 彼女が雁金屋という呉服商を取り立て、斬新なデザインの小袖をたくさん注文したのは有名です。
 勿論、自分も着たのですが、宮中の女官や公家の奥様方にも気前よく小袖をプレゼントしました。
 最新流行の着物をもらって嬉しくない女性はいないでしょうから、たちまち京はファッションの町となります。
 雁金屋は尾形光琳、乾山兄弟の実家です。
 ということで、最近、寛文小袖を復元したのを特集していた本を見まして、ちょっとこの方を描いてみました。
 勿論、一着に及ぶのは江戸時代のファッション誌「雁金屋「御用雛型帳」に載っている東福門院御用達の小袖。
 打掛に着て、髪型はおすべらかしではなく根結い垂髪です。
2014-02-23
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