天智天皇

天智天皇

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
             我が衣手は露にぬれつつ


 秋の田の刈入れ作業のための仮小屋は、葺いた苫の目が粗いので、私の着物はすっかり夜露に濡れてしまったことだよ。 

 百人一首の第1番の栄誉を担うのは、やはり天皇陛下の御製と伝わるこれでございます。
 天智天皇は、言わずとしれた大化改新の中大兄さんでございますから、もうすでに出ていますが、百人一首の絵札の主としてあらためての登場です。
 
 この歌が、実は詠み人知らずの(農民の?)歌であるにもかかわらず、天皇の歌として伝承されてきたので、歌舞伎などでは、蘇我入鹿にいじめられて迫害される流浪の貴人がこの人で、野宿に近い粗末な仮小屋で衣を夜露に濡らしながらお休みになり、この歌を詠んではらはら涙を流す・・などという荒唐無稽な場面があった・・んじゃないかな・・なんて思いますが、これはうろ覚えです(すみません。いつもええ加減なこと書いて)。
 で、百人一首の絵札ですが、これは勿論後世の歌仙絵などから発達したと言われる絵ですから、鎌倉時代くらいの風俗で王朝風に描かれます。
 ですから、光琳かるた風の図では、天智天皇はお引き直衣という衣装を着ています。
 これは通常の直衣よりも長く仕立てたものをいわゆるおはしょりをしないで着るもので、下には指貫ではなく緋の袴をずべら~っと着流す、天皇陛下だけの衣装です。
 この衣装が文献上に出てくるのは11世紀以降ですし、絵となると、かの有名な源氏物語絵巻に、これが描かれているのではないかといわれている「鈴虫の巻」を見ても、よくはわかりません(ただ、天皇がラフな服装をしている場面で緋の袴を裾長くつけているのは源氏物語絵巻と伴大納言絵詞には出ていますが、どちらも直衣は着ていません)が、鎌倉時代にはあったようです。
 その伝統は続いていて、明治以降でも、特殊な儀式のおりに天皇がこの直衣をつけられたそうです。
 で、単に、一度この衣装を描いてみたかったということなのですが、光琳かるたの絵では、黒い直衣ですけれど、古いかるた絵などを見ると灰色なんですね。もしかしてこれは、もともと銀に塗っていたものが変色して黒くなったのではないか?と、勝手な判断をして、やはりここは、南北朝の後醍醐天皇の肖像画と同じで、白いお引き直衣だろうと、白くしてみました。
 お引き直衣の詳細な解説は実に面白いサイトがありまして、丁寧な絵入りがなるほどとうなづけます。ご興味のある方はぜひこちらを(大河ドラマの時代考証についても有意義な記載があります)。

 私ごとですが、この人名事典も、実は本日をもって1890人目となりました。諸般の事情があって、なかなか2000人斬りに到達できないでいますが、やっとここまできたかな・・・?ぼちぼちでんなあ・・。
2012-10-27
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