藤原基任

藤原基任

 すさまじく暑くなってきた今年の夏です。夏は怪談の季節ですが、このお話も古い怪談です。
 「吉野拾遺」という古書に出ている物語だそうです。
 南北朝の時代、南朝の後村上天皇は、吉野の山中の行宮に移られたとき、そこは「あやかしのもの」が出るというウワサのさびれた場所でした。
 夏の6月10日頃、暑い夏の夜です。天皇の母后新待賢門院に仕える伊賀の局という女官が、涼をとるために一人で庭に出たところ、大きな松の枝があり、それに月がかかっているようなので、思わず歌を口にします。
 
    涼しさをまつ吹く風にわすられて、袂に宿す、夜半の月影

 すると、とても人がいるとは思えぬ場所・・つまり高い松の木の梢から、突然

    ただよく心静かなればすなわち身も涼し

 と声が降ってきます。こわいですねえ・・。
 上を見上げると、恐ろしげな、翼をもつ鬼のような姿のものが宙に浮いていた・・・。
 ここで、きゃ~!出た~!と失神するような軟弱なおなごでは、苦難の放浪王朝の女官はつとまりません。伊賀の局は、気丈にも「何者じゃ! 名を名乗れ!」と言ったのですね。
 すると、化け物は素直に「私は藤原基任といいます」と言った!。
 姿形は恐ろしげなれど、和歌に反応したり、素直に名を明かすなど、どことなく雅な化け物ですね。
 で、よくよく話を聞くと、「帝の御生母新待賢門院さま、すなわち阿野廉子(あの!廉子さまです。後醍醐天皇の寵妃で、中宮を追い落としただとか、足利尊氏と組んで護良親王を破滅させたとか、コワイおばさん)に、命を捨ててお仕えしたのに、いまだ弔ってもらえないので、こうして迷っているのです」とのこと。
 供養をしてあげましょう・・というと、すっと消えたとかいう、おとなしげな幽霊で、その後、話を聞いた女院は、吉野の僧侶に命じて法要をしたそうです。
 ところが、この影の薄い幽霊は、いつの間にか「藤原基任」じゃなく、「藤原仲成」(嵯峨天皇に殺された人ですから時代が違いすぎる)として伝承間違い?が起こって、後世の画題では、藤原仲成の亡霊ということになってしまいました。
 月岡芳年など、絵がいくつかあるのですが、烏天狗風、公家風ということで、こんな姿にしてみました。
2011-06-30
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