グーテンホーフ・光子

グーテンホフ光子

 この人について語り出される時には、香水の「ミツコ」から始まる事が多いようですが、明治の大社交場「紅葉館」つながりでこの方を出します。
 彼女、青山ミツもかつて「紅葉館」に勤めに出ていた「コンパニオン」の一人でした。
 ということは、美人で礼儀正しく、政府高官や外国人の賓客などに物怖じしない、当時としては職業婦人としての教育を受けていた人なのですね。
 紅葉館の勤務はやめていたミツさんですが、ある冬の寒い日、凍結した道路で交通事故を起こし(といっても、勿論、車ではありません。乗っていた馬がスリップして転倒したのです)、怪我をしたガイジンさんを助けます。
 その後も、手厚く看病したことが縁となり、大恋愛に発展。結婚の約束をするという少女漫画のような展開。
 この時助けたハインリッヒ・グーデンホーフは、オーストリアの貴族で外交官。
 お堅い明治の日本人にとって、異国の外交官の妻になるということは、現地妻、いわば異人の妾ということで、軽蔑されていたので、当然親は猛反対。ミツは勘当されますが、ハインリッヒは、正式に彼女を妻に迎え(日本の国際結婚の第一号だとか)、多大な結納金を払ったそうです。
 夫の側にも西洋人仲間から非難が寄せられました。
 オーストリア貴族で伯爵家の人物が、東洋の小国の平民の娘と正式結婚とはあきれる、というものだったのでしょう。
 彼は「妻を西洋婦人と同等に扱わないものには決闘を挑む」と宣言する。
 しかし「紅葉館」という日本を代表する社交場に勤務していた彼女は、外交官社会でも堂々としていて、好感を持たれ、夫が帰国する際、宮中参賀の儀式に夫妻で招かれ、皇后からお言葉を賜ったそうです。
 ですが、本国に子供たち共々、夫婦が帰国した後は、なかなかに厳しい現状が待っていました。
 ハインリッヒは、広大な所領を有する伯爵家の当主で、お城に住んでいるという、まさしく御伽噺の王子様(と言っても、当時の日本人には、まだこんな西洋の昔話はピンとこなかったでしょう)。
 一族の者は、この東洋人の嫁を伯爵夫人として尊敬などしないで、いわゆる鬼千匹。
 そこで彼女は、自分に家庭教師をつけて猛勉強をはじめます。
 算術、読み書き、ドイツ語、フランス語、歴史、地理の学問から、西洋式の立ち居振る舞い、マナーなどを学んだそうです。
 なにしろ、伯爵夫人ともなると、日本の宮中どころか、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ(あのエリザベートの旦那さん!)にも御目もじしなければならないのですから。
 日本で生まれた2人の男の子についで、更に5人の子供に恵まれますが、彼女が32歳の時、夫が急死。
 異国の地で、たった一人で子供たちを守らなければならなくなります。
 夫の遺言書には、財産の所管理、子供たちの後見を全て妻に任せるとありましたが、一族からは、待ってましたとばかりに猛烈な反発が始まり、裁判沙汰にまでなりました。
 このことで、更に、彼女は法律や経営なども勉強し、勝ち取った所領を、自らの手で運営管理をも行いました。
 まさしく試練が彼女を更に強くしたのでしょうね。
 夫の死後、あまりにも子供たちを厳しく育てた故に、親子の仲はよくなかったようですが、子供たちはそれぞれに個性的な人物として育ったようです。
 往年の名画「カサブランカ」に登場するイングリッド・バーグマンの恋人、反ナチス運動の闘士のモデルは、彼女の息子のグーデンホーフ・カレルギーだそうです。
 ロンスペルク城に今も残る肖像画は、和服を着ていますが、洋装の写真から。色はわかりませんので、想像です。
2011-03-09
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