豊臣秀頼と真田幸村

秀頼と真田

 「実は生きていた」伝説については、世界中でその話題があるのですが、義経のジンギスカン説話に次ぐのは、日本の物語の中では「秀頼薩摩落ち伝説」ではないでしょうか。
 大阪夏の陣で、真田幸村は戦死、淀殿、秀頼は火をかけられて自刃・・というのが豊臣家の最後なのですが、ここに、島津家が密かに船を仕立てて、秀頼を薩摩に逃がしていた・・という伝説は、大阪落城当時からあったようです。
 有名な京童の戯れ歌とされるのは、

     花の様なる秀頼さまを、鬼の様なる真田がつれて
     退きものいたり、かごしまへ

 というものですが、まあ、豊臣方の勇将が、実は主君を奉じて、捲土重来を期して、一時退却した・・というのは、いかにも一般受けしそうですよね。
 その証拠が、外国人の記述だとか、鹿児島にいまもいる木下を名乗る秀頼の子孫だとか、真田の子孫だとか、また墓があるとかいうものです。徳川方も、秀頼は、鹿児島でアル中になっているとかいうウワサを流したとか、流さなかったとか・・。
 外国人の記録には、巷のウワサとしてこのような説があると記しているようですし、島原の乱の天草四郎が秀頼の息子で本名は豊臣秀綱というのだ・・なんていう伝説もあるそうです。
 それにしても、かの京童の歌は、実情にはそぐわないそうで、秀頼は身長190センチに近い肥満体の巨漢で、真田幸村は小柄できゃしゃな武将だったそうなので・・・花と鬼とは、どっちがどっちやねん?と思いますが、まあ悲劇の若殿は、三蔵法師のように、非力な様子が一般受けするんでしょうね。
 テレビもネットもない時代、庶民は秀頼の顔をしらなかったのでしょう。
 でも、絵柄としては、優男の若殿と、ゴツい家来がいいので、そんなイメージで。
 幸村がマタギみたいな格好をしてスキンヘッドなのは・・・・・なりゆきです。
2010-01-20
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