支倉常長

hasekura

  伊達政宗という殿様はけっこう複雑な方ですが、この殿の臣下で、君命を帯びて太平洋を渡り、はるかスペインまで行ったのが支倉常長。
 今でこそ、慶長遣欧使節として有名ですが、天正の使節と同じく、その後の日本では忘れ去られ、支倉常長の存在そのものまで仙台では封印されていて、新たに脚光を浴びたのは明治になってからです。
 岩倉使節団がヨーロパに行くまで知られなかったのですね。 
 さて、そのような使節は、仙台伊達の殿様の野望を秘めていました。
 太陽の沈まない帝国(とはいえ、当時はもう世界最強の無敵艦隊も沈み、さしもの大帝国も沈みかけていたのですが、それでも、超大国)スペインと、伊達さんは貿易を試みたんですね。
 スペイン出身の宣教師ルイス・ソテロの案内で、なんと東廻り!つまりメキシコを経て、スペインに行ったのですから、これはすごいですね。
 スペインではすでに、日本の事情(徳川家によるキリシタン禁令など)が知られていて、地方領主にすぎない伊達家の使節は、あまり重要視されず、貿易の話も進まなかったようなのですが、支倉常長は、ローマに赴いてローマ教皇に仲介に入ってもらおうなどという大胆なことを考えます。
 そしてローマ入りしして、教皇パウロ5世に謁見して、手紙を渡すことができました。
 この手紙は信長の屏風が行方不明になっているのと違って、今でもバチカンにあるそうです。
 ローマでは、歓待を受け、貴族に列せられ、ローマ市民権(ローマ市民権ですよ~!!)までもらったのですが、まあ、スペインとの貿易は上手くいかず、そのまま帰国します。
 ところが、帰国後、日本はもう徳川の天下が定まっており、キリシタンは禁止(彼はドン・フィリッポ・フランシスコという洗礼名を持つキリシタンでした)。苦労した渡航は実を結ばず、弾圧の嵐が吹き荒れる中、帰国2年後に死没。息子は刑死。
 常長をヨーロッパに連れて行った宣教師のルイス・ソテロも長崎に再度密入国していましたが、火刑で殉教しました。
 明治になって封印が解かれた支倉常長関係の資料は、現在、仙台市博物館で見ることができます。
 先日、ボルゲーゼ美術館展で、支倉常長の絵が出ていましたが、なかなかに立派ないでたちは、彼がどれだけ意気込んでローマ入りしたかがわかりますね。
 黒い服を着て祈りを捧げる敬虔そうな絵もありますが、あえて、派手なほうの衣裳を着せてみました。
 原画では、袖のある羽織のようにも見えますが、中途半端な長さなので、陣羽織ではなかったかと思って、袖なしにしてみました。ポーズも、ちょっと「ローマ貴族」っぽく・・・ホンモノですから。
 そうそう・・・この方は日本人で初めて指輪をしている絵・・としても有名なんだとか・・って指輪! 描き忘れた!!!
2010-01-09
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