足利義昭

よしあきくん

 名門の家に生まれた跡取り以外の息子は、子供の時から仏門に入って、兄弟や実家の宗教界での後ろ盾となるべく育てられるのは、洋の東西を問わず、しばしばあることで、なまじ俗界の権力者よりも一目置かれる存在になる人もいます。
 そして室町将軍家の次男坊にも同じ道筋が用意され、覚慶は、28歳という年齢まで、興福寺の僧侶として栄達の道を進んでおりました。
 ところが兄や母、弟が政変で命を失うに及んで、本人が望むと望まざるとに関わらず、その出自が重大な意味を帯び、にわかに身辺が騒々しくなり、幽閉されますが、脱出して文字通り流浪の貴人として脚光を浴びることになります。
 本人も自覚をしたのか、還俗をして足利義秋(後に義昭)と名乗り、将軍としての立場を主張し始めるのですが、このような人物は、扱いによってはとても破壊力の大きな爆弾です。
 しかし、野心満々の織田信長が、彼を表看板にしようと迎え入れます。ここでは、一応、両者目的が一致しています。仲介したのは明智光秀
 後々、宿命のライバル?となる二人ですが、ここでは共闘体制。あるのはただ名門の血筋とプライドだけの坊さん上がりの義昭は、3つ年上でしかない、尾張の「うつけもの」信長を頼るしかなかったのですね(ということは、義昭君は豊臣秀吉と同い年!)。
 なんとはなしに足利義昭というと、白塗りで、お公家衣裳の軟弱イメージがあるみたいですが、肖像画を見てもしたたかそうな顔つきで大柄。
 あくまで、あの!織田信長に逆らい、あちこち彷徨っても、しつこくてメゲない性格で、ひたすら策略をめぐらす大した陰謀家。
 興福寺という大寺の高僧なのに武門の家柄の誇りに目覚めて還俗なんて、チェーザレのよう(これは言いすぎやな)。
 結局、秀吉が最終的に押しも押されぬただ1人の天下人となるまで「現役」の将軍だったのですから大した根性です。 
 この人も、ある意味、いかにも戦国時代らしい人物ではなかったかと思います。
 テレビドラマなどでも、そのイメージに一貫性がないのか、色んな俳優がやっています。三谷幸喜、玉置浩二、伊丹十三、京本政樹、谷原章介・・・、イマイチよくわからん・・・どういうタイプなんでしょうかねえ。
 この方にファンサイト・・というのかな・・「公方様の御座所」というのがあります。 
2009-10-07
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