岩佐又兵衛

又兵衛

 謎の巨匠・・とでもいいましょうか。江戸初期の画家として、特異な存在でもある絵師です。
 大正・昭和時代になって、色々な作品が特定されるに及んで、にわかに脚光を浴びてきたのが岩佐又兵衛です。
 最近は、伊藤若冲とか、曽我簫白とか、個性的な江戸時代の画家に注目が集まっていますが、最後の奇想画家とでもいいましょうか。浮世絵の元祖ともされますが、大衆絵画としては、どちらかというとけっこうキワモノっぽいですね。
 ある種毒々しい極彩色、血まみれ残虐シーン、異常にデフォルメされた顔の描線や、うねる髪の無気味な筆使いなど、なかなかに一筋縄ではいかない画風で、好悪の分かれるところだと思います。
 特に有名になったきっかけは「山中常盤絵巻」でしょう。
 牛若丸の母親である常盤御前が、我が子を訪ねて旅をする途中に、盗賊に襲われ、衣服をはがされ、素裸にされて斬り殺される場面と血みどろスプラッターのあだ討ちシーンで注目されました。
 岩佐又兵衛は、摂津伊丹の有岡城主荒木村重の息子です。
 村重は、織田信長に逆らって逃亡したため、信長は、村重の家臣を500人を焼き殺し、妻子や一族30人以上をみせしめのために六条河原で処刑しました。
 この時、生まれたばかりだった又兵衛は、乳母が連れて逃げ、本願寺に匿われて無事でしたが、当時21歳であった実母が刑死しました。若い美人が無残に処刑されたということで、彼女の最期の様子は書き止められて、評判になったようです。
 母の名は「だし」というそうで、これが城の出丸からくる「出し」で、出し殿と呼ばれていたとか、洗礼名の「Daxi」だという説もあり、本名はわかりません。
 この数奇な生まれが明らかになったのも明治以降だそうですが、山中常盤絵巻の、常盤の殺害場面が、母の刑死と関係あるという人もいますが、実際に目撃していたわけではないので、トラウマになっていた・・ということはないように思えますが、心の中に何らかの闇を抱えていた絵師であったのかも・・。
 肖像画から、ややおとなしめに描いてみました。
2009-06-23
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