ドノン

dononn

 ドミニク・ヴィヴィアン・ドノンは、画家であり、作家であり、美術愛好家にして研究者で収集家・・。そして近代美術館の産みの親でしょうか。
 もともと、フランスの資産家で、ギリシャ美術や、版画などを収集しており、美術史の研究と執筆のためにイタリアに長期滞在して、研究生活と社交を楽しんでいました。
 しかし、折悪しく?祖国で革命が起こります。亡命貴族とみなされて財産を没収されないために帰国。当時革命画家であったダヴィッドのつてで、版画家として、革命政府の仕事をはじめました。
 革命政府は度肝を抜くようなオリンピックの開会式のように、一種の劇場型の祝祭を必要としていましたので、華麗な式典や、服飾、舞台装置などに芸術家が大勢必要だったのです。
 彼もまた衣裳のデザイン画や、政府要人の顔のスケッチなどを担当しました。
 ところが、ドノンの将来を決定的に変える出来事がおこります。
 ナポレオンのエジプト遠征です。
 この遠征の話を聞くと、ドノンは直ちに随行を志願。ジョゼフィーヌに頼ってナポレオンを紹介してもらい、考古学者と素描画家の資格で随行を許されます。時に彼はすでに51歳。
 そして現地で、エジプトの風景や、建築、風俗、その地での戦闘の様子などを描きまくります。
 帰国後、多くの図版を入れた「上下両エジプト旅行記」を出版。この本が、ヨーロッパのエジプト嗜好の基本図書となったのです。ナポレオンお抱えの画家達が、エジプト遠征の戦争画を描いていますが、彼らは実際に戦場を見ておらず、ほとんどがドノンの素描を参考にしたそうです。
 その一方で、権力を増し始めたナポレオンの信頼を得て、王室の収集美術品を引き継ぎ、更に大衆の啓蒙のために新たなる美術を収集・展示する施設となっていた中央美術館の館長に就任
 以降、ナポレオン帝国の美術部門の全てをとりしきることになるのです。新たなる絵画の発注や、制作の管理、建築や彫刻の材料の大理石の手配や、画家たちへの支払いなどもやりました。
 そして、ナポレオン美術館とを名称を変えた館を、世界一にするのを目標に、美術品収集を開始。
 彼の高い美術見識眼を武器に、どんどん集めまくる。集めた美術品は彼が専門としたイタリアのルネッサンス美術のみならず、広範囲に及び、それらの目録を作成し、解説をつけ、展示の方法などにも工夫をするというやり方は斬新なものでした。
 しかし、彼が欲しくてたまらなかったベラスケスを含むスペイン絵画は、皮肉なことにナポレオンの兄ジョゼフがスペイン王であり、自分もスペインに美術館を作りたいという下心のために思うようにいかなかったようです。
 これらナポレオンという個人の権力と武力を背景にした活動は、今ではどうかと思いますが、ドノンの美術品と美術館に対する考え方は、以後、各国に同じような意識を目覚めさせ、多くの近代美術館・博物館が誕生したのです。
 収集美術品はナポレオン没落後、かなり返還されましたが、今なお、ドノンの美術館は世界一の美術館であり、今現在、彼自身は「ルーブル美術館」初代館長として、アニメキャラクターになって入館者を「案内」しているそうです。
 ドノンの別の肖像画がないかと「ドノン ルーブル 館長」で検索をかけてみましたところ、ダヴィンチコードばかりがひっかかってきます。なんでやねん・・?と思えば、ルーブルの館長ソニエールが殺されていたのはドノン翼(勿論、ドノンの名前にちなんでいます)と呼ばれる部分だったのだ!
2009-06-09
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

アルバム
最新記事
検索フォーム
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
カウンター
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる