偽ドミトリー一世

domi

 「実は生きていた」・・というのは歴史上しばしば出てきます。
 有名なところでは、皇帝ネロでしょう。ネロの死後偽ネロが出ています。
 日本でも、義経は実は生きていた(エスカレートしてジンギスカンになった)というものから、豊臣秀頼が実は大阪城から逃亡していたとか、小説になると、信長が生きていて大阪城の地下牢で鉄仮面になった話や、坂本竜馬がアメリカに渡ったなんて、とどまるところを知りません。
 偽ドミトリーというのは、17世紀初め、ロマノフ王朝が始まる前のロシアの動乱時代にイヴァン雷帝の皇子ドミトリーと称して、一時は帝位についた人物です。
 オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」で、彼の存在は有名ですが、イヴァン雷帝の皇子だと僭称した人物が十人以上もいたそうですから(雷帝はとっても妻沢山子沢山だった)、当時の混乱ぶりは相当だったようです。
 そもそもボリス・ゴドゥノフ自身も王家の生まれではなく王の義兄(王妃の兄)で、摂政として権勢を振るい、跡継ぎのいない王の死後即位したのですが、実は将来の禍根を経つために9歳の王弟ドミトリーを殺害したという噂がありました。
 で、ボリスが即位した後に、反対派や、ロシアに野心を持つポーランド王の思惑もあり、担ぎ出されたのが「実はドミトリー皇子は生きていた」という偽ドミトリーです。
 ボリス側は、彼の正体は、グレゴリーという元修道士だと宣伝しますが、本人は、暗殺事件の折、医者に助けられて修道院に匿われて成長したと主張。ボリスの反対派貴族や不満を持っていた民衆は、彼を正統な王位継承者として認め、彼はポーランドの支援を受けて兵をおこします。
 偽ドミトリーとの戦いは、結局ボリスの急死によって決着し、ロシア側は彼を受け入れ、正体不明の若者が帝位に着きました。
 しかし、ポーランドや教会の支持を受けるためにカトリックに改宗していたことや、彼が連れてきたポーランド兵の横暴などが、ロシア正教会や、民衆が反発し、暴動が起こります。
 窓から脱出しようとして転落し、骨折してもたもたしていたところを見つけられてなぶり殺しにされたそうです。狂乱する民衆は、彼の死体を焼き、その灰を大砲につめてポーランドに向かって撃ったとか。怒れる民衆は、熱狂して迎えた1年前と同じ熱狂で、今度は殺害したのです。
2009-06-04
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