星川皇子

hosikawa

 雄略天皇の皇子。日本書紀に記されたところによれば、父の死後、兄の清寧天皇の即位に異をとなえ、叛逆をして殺された・・ということになっている人物です。
 しかし、ただ単に王位継承争いというには、親の代からの因縁と、大和と吉備の地域対決などがからまってドラマチックです。
 生母の稚媛は吉備田狭という豪族の妻でありましたが、田狭が妻の美貌自慢をしたために、戦地に送られ、その留守の間に天皇に略奪されたいわくつきの女性。
 雄略天皇自身は、ライバルや兄弟を殺して即位したという事情がありますが、その父親から「性格が悪いので皇位にはつけるな」という遺言があったとされる息子です。
 これは、まあ後に、彼を殺した側の者が、自分達の行為を正当化するために作った偽遺言かもしれませんが、反乱に至った経緯というのも、母の稚媛が、息子をそそのかしてともに宮中の大蔵に攻め入り、立て籠もったとされています。
 反乱の火の手をあげたところ、吉備からの援軍の到着が送れて孤立し、四方から火をかけられて、星川皇子ともども、母と2人の同母兄弟が殺されてしまいます。
 このともに死んだ兄弟は一人は雄略の皇子で、もう一人は稚媛の前夫田狭の息子とされていますが、代替わりがした後、彼らは反乱をする以外に方法がなかったのか、実は反乱などではなく、本当は正統な後継者であったのに、吉備勢力をそぐために、抹殺されたのか・・? 
 戦の用意をする星川皇子は、実は気乗りがしなかったのではないか・・というイメージで描いて見ました。甲冑は、高石市教育委員会の復元によりました。
2009-03-25
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