喬姉妹

喬姉妹

  「江東に二喬あり」の喬姉妹です。
 蘇軾をはじめとして、詩人、文人のロマンをそそるのか、「喬氏に二女あり。ともに国色」。という表現から、喬家の美人姉妹は男たちの想像力を刺激しました。
 もし赤壁の戦いで、曹操が勝っていたら、呉の国は略奪され、あの有名な美人姉妹も曹操のものになっていたかもしれない。もしそうなら、二人は銅雀台という豪華な宮殿にとじこめられて、ヒヒおやじにもてあそばれていたかもしれない・・。
 な~んて妄想がエスカレートして、とうとう、曹操は喬姉妹が欲しいために東呉に攻めてきたのだ! といったホラ話にまでなったりするんですよね(この大ホラをふいたのは、三国演義に登場する諸葛孔明さんですが・・映画のレッドクリフは、パート2で、話をどこまでエスカレートさせるんでしょうね?)。
 しかし、正史の「三国志」では、喬氏に美人姉妹がいて、姉は孫策のものになり、妹は周瑜のものになった・・というだけで、赤壁の戦いの頃に、この姉妹がどうしていたかなんてわかりません。
 ただ単に遠征先の現地妻だったのか、ちゃんと正式に嫁入りして連れ添っていたのか、そもそも正妻だったのかどうかもわかりません。孫策にも周瑜にも子供はいますが、その母親が誰かはわからないし、彼らが喬姉妹と出あった時は25歳を過ぎていて、子供の二、三人いてもおかしくない年齢です。孫策にはすでに子供がいたようです。
 ただ「妻」として名前の残っている女性が「国色」といわれるほどの美女なら、これはもう大々的に宣伝するのは大いに結構なわけで、物語のヒロインは、美人に限りますから。
 しかし、姉婿の孫策は10年も前に死んでいるので再婚しているかもしれないし、妹にしたって、まだ周瑜の妻であったとしても、10年物の古女房で、もしかしたら3人の子持ちのおばさんかもしれません。それでも、「美女」は「伝説」になるのですわ・・得ですね。
 喬姉妹は、よくセットで登場するので、二人で描いてみました。
2009-01-18
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