穴穂部間人皇女

穴穂部皇女

 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、欽明天皇の皇女で、聖徳太子の母
 当時の系譜で、欽明の子供たちの中で堅塩媛系の女長老とも言うべき人が推古天皇であるなら、小姉君系の女長老にあたるとも言えましょう。同腹の兄弟に穴穂部皇子、崇峻天皇がいますが、堅塩媛系の用明天皇を夫にしたのは、政略結婚でしょうね。
 結局、蘇我・物部抗争を招いた王位継承争いで、弟達は皆死んでしまいましたが、彼女が、用明の死後に義理の息子に当たる田目皇子と「再婚」したのは、男女のどちらかに「野心」があったのでしょうか? 
 晩年は斑鳩に住んでいましたが、彼女と聖徳太子、膳郎女の3人があいついで死んでいるのは疫病ででもあったのでしょう。
 聖徳太子の「正妻」であった橘大郎女が作らせたとされる天寿国繍帳にその姿が表されているというのを「隠された聖徳太子の世界ー復元・幻の天寿国」大橋一章・谷口雅一(NHK出版)で読みましたが、その姿は頭に宝冠を頂き、拱手して宮殿に座す高貴な女性の姿として復元されています。
 簡単な図形のような刺繍絵を私なりの絵にしてみました。鎌倉時代に復元された刺繍部分の女性像は片膝をたてて座る姿であるので、このようにしてみました。宮殿の床部分は市松文様になっているのは、あるいは瓦の板をしきつめた磚(せん)敷きの表現かとも考えました。
2008-09-15
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