孫魯班(全公主)

ろはん

 孫魯班(そんろはん)。字は大虎(これだけで勇猛そうなイメージ?)。
 三国時代きっての女策士かもしれません。もし、彼女が男に生まれていたら、策謀と度胸で諸葛孔明に匹敵・・? いえいえ・・もし男に生まれていたら、文句なしに皇帝でしょう。
 つまり、彼女は呉主孫権の長女。おそらく、全ての孫権の子供たちの最年長であったのではないでしょうか。
 母は孫権が最も大切にして皇后に立てたいと望んだ歩夫人ですが、太子孫登の養母徐夫人に遠慮して、ついに死ぬまで皇后にすることができなかったのです。
 孫魯班自身は、最初、周循(周瑜の長男)を夫に迎えましたが、すぐに未亡人になってしまい、20代後半の頃に実力者の全琮と再婚(これで全公主と呼ばれます)。全琮にはすでに4人もの息子がいたようなので、かなり年上の夫だったかもしれません。
 彼女が悪女と呼ばれるきっかけは、二宮の変と言われる、太子孫登死後の後継者争いです。
 次男はすでに死亡していたので、三男孫和が太子になりますが、四男孫覇が名乗りをあげ、それぞれに廷臣応援団がつき、しっちゃかめっちゃかになってしまいます。
 孫魯班は、三男孫和の母が、息子の立太子とともに皇后になるのを阻止したかったので、四男孫覇をあおったというのです。
 母親がなれなかった皇后に、憎らしい女が、太子の母というだけで簡単になってしまうというのが許せなかったのでしょう。
 この二宮の変は、多大な廷臣の粛清などをともない、これに連座して呉の中枢ともいうべき名将陸遜が死んでいます。
 事態は10年も混迷し、その間に四男孫覇派の魯班の夫も死に、太子は廃され、四男孫覇は自殺。
 めげない魯班は、父孫権が寵愛する末っ子七男孫亮をかつぐ決意をし、全氏の娘を嫁がせます(おそらく二人とも小学生低学年くらいの年齢?)。
 もくろみ通り孫亮が帝位につくものの、幼帝の前で補佐する廷臣たちは、またしても権力争い。
 孫峻(孫堅の兄弟の系譜)が、諸葛恪(孔明の甥にあたります)を暗殺し、独裁者的な実力者になると、魯班はこの実力者と愛人関係になったと言われますが、その一方で排除する計画をねっていたのではという見方もあります。
 孫峻に取り入るためかどうか、同母妹朱公主(孫魯育、小虎)の孫峻暗殺計画を密告したという話も。
 孫峻が死んだ後に権力を握ったのは、従兄弟の孫林(本当は糸偏に林です)で、更に横暴だったので、15歳になっていた皇帝孫亮は、一族の女長老、魯班と組んで排除しようとしたけれど、これまた密告で発覚し、逆に捕らえられ、一代の女傑も、ついに流罪になりました(ちなみに廃帝孫亮は配流先で毒殺の疑いですぐに死んでいるので、彼女も同じ運命をたどったかもしれませんが記録にはありません)。年齢的には60前であろうと思われます。
 なんとはなしにローマのユリウス・クラウディウス朝の女傑たちを思わせる大物ではありませんか。
 三国志でも呉は赤壁以降、なんとなく固まって地味な感じがしますが、なかなかに人材もドラマも面白いです。
 孫呉考察室など・・サイトもあるので興味ある方はどうぞ。
2008-09-01
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