聖徳太子(摂政象)

聖徳太子

 聖徳太子は、もうすでに出ていますが、聖徳太子信仰における太子の肖像には、決まったパターンがあります。
 1つは、南無仏太子像(2歳児の太子。緋の袴で上半身ははだかで合掌する)。
 その2は、童形像(みずらに結った童子)。
 その3、彫像にも絵画にも、最も作例の多い孝養像。
 太子16歳の姿で、父帝の病気平癒を祈るというので、みずらの髪型に袈裟をつけ、場合によっては、僧侶の衣裳である裳をつけています。香炉を手に持ち、立っているものや座っているもの、侍者が回りににいる(これも2人や、4人、5人、6人など多様)のや色々なパターンがあり、神統美術の若王子などにも似ていて、長い時代にわたって、もっとも聖徳太子としてポピュラーで、したがって、人気絶頂の絵柄だったわけです。
 四天王寺が池田理代子に依頼した?太子像もこの孝養像の典型的なパターンです(関係ないけど、ウチの親戚のお寺の本堂にも太子孝養像の掛図がありました)。
 その4は、太子22歳以降の姿を現したという摂政像。
 これは、赤色(黄丹)の朝服を着て、冠を被り、笏を持って帯剣する朝廷で摂政をしていた、お役所仕事中の勤務スタイルをしている大人の太子像です。
 その5が、勝鬘経講讃像といわれる、冠を被り(これが女雛の冠のようなびらびらの装飾つき)、袈裟をかけて高僧の様な椅子に座り、手に払子を持っていたりして勝鬘経の講義をしている中年の太子。
 ほかにも騎馬像(例の甲斐の黒駒に乗っている絵)がありますが、太子絵伝というものが数多くあるので、このパターン化された太子像が色んな姿で登場します。絵伝は、いわば劇画ですから、画家の構想や力量によってさまざまな太子が描かれました。
 そもそも、聖徳太子が神格化され、いわゆる拝むための尊像として太子の絵姿と称されるもののなかでは、群を抜いて古いらしい?「唐本御影」は(はたして太子であるか否かは別として、ながらく最高紙幣のお札の顔でした)、まさに奈良時代の官吏のスタイルです。
 摂政像として最古の彫像は、手に笏を持ち赤い袍を着ているということですから、本来は普通の官人姿の太子像があって、平安末頃からの太子信仰の広がりで、太子像も多様化しました。
 近代になって、明治政府によって、にわかにメジャーになったお札太子は、お札の顔でなくなったので、いずれ消えてゆくかもしれませんが、山岸涼子風ロン毛の美少年太子がビジュアル的にも好ましいとされ、また孝養像的イメージが、一般太子像として復活するのでしょうか?
 あえて、古くて新しい摂政像を描いてみました。天寿国繍帳などで時代考証された飛鳥時代の官人ではありません。
2008-07-09
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