阿佐太子

あさたいし

 以前、日本の高額紙幣の顔であったのは、「聖徳太子」で、あの顔がとても有名だったのですが、あれの元絵は「唐本御影」、あるいは「阿佐太子御影」などと呼ばれている御物です。
 伝説によれば、百済の阿佐太子が来日して、聖徳太子の肖像画を描いたのだ・・ということになっていました。
 その後、色々な研究が進んで、あの絵が8世紀のものだ、いや鎌倉時代の写本だとか諸説が現れて、「どうも聖徳太子の絵ではないらしい」というので、お札の顔から引退したとかいう説もあります。
 この絵が果たして8世紀のものか、写本かはともかく、元になった絵は、その顔立ちがものすごく高松塚の壁画人物像に似ていますので、7世紀末から8世紀頃に(この絵そのものではなく元の絵であったとしても)描かれた可能性が大きいと思われます。
 とすれば、何故それが阿佐太子の筆になると伝承されているのか・・阿佐太子とは何者なのか・・ということが実はよくわかりません。
 日本書紀の推古紀に出てくる「王子阿佐」であるならば、百済の威徳王の王子であろうとは推測できますが、太子であったかどうかわかりませんし、本国での史料にはその名は登場しないのだそうです。
 しかし、聖徳太子信仰を広める時代にあっては、調子丸とおなじく聖徳太子をめぐる人々が、異国の貴公子であれば、箔がつくわけですし、ましてや、百済王国の太子が自ら絵筆を採って描いたなどといわれれば、はは~!っとその絵の前で跪いたかもしれません。
 ということで、阿佐太子肖像画伝説は、ずっと後になってから生まれたのかもしれませんが、聖徳太子と同時代に、百済から王子が来ていたことは確かなので、当然、二人は知り合いだった可能性があるので(私は、見てはいなかったのですが韓流ドラマのソドンヨでは、阿佐太子は悲劇の王子として登場したようです)、百済貴人がスケッチをする・・という雰囲気で描いてみました。
 調子丸の子孫を称する一族があるように、阿佐太子の子孫もいて、戦国大名の大内氏が末裔だそうです。
2008-07-06
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