惟喬親王

惟任親王

  在原業平が出たついでに、惟喬(これたか)親王です。
 文徳天皇の第一皇子でしたが、皇太子にはなれず、権勢ならびなき?藤原良房の娘が産んだ異母弟が選ばれました(のちに清和天皇と呼ばれる人)。「もしかしたら皇位につけるかもしれない。」ということから、廻りに人があつまり、希望を託すようなことがあったかもしれません。業平も親王を取り巻く一人ですが、業平と親王との年齢差は十九歳で、親子程違うので、業平の晩年の希望の星というより、不幸な和歌の弟子という関係であったかもしれません。
 毒殺未遂説はともかく、そのような情況を悲観してか、28歳で出家してしまいます。似たような境遇で、もっとドラマチックな人に高岳親王がいますが、惟喬親王は出家しても、冒険活劇などには無縁で、おとなしやかに暮らしていたようです。
 伝承では轆轤を改良して広めたということで、木地師の祖とされ、木地の里では、親王を祭っています。実際には、この「不運な貴人」を全国区にしたのは、小野氏の伝承であるかもしれません。
 平安貴人といっても、9世紀の人なので、松尾大社の神像の装束で描いてみました。 
2008-06-20
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

アルバム
最新記事
検索フォーム
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
カウンター
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる