山下りん

山下りん

 明治時代の日本人初の女流イコン画家です。
 山下りんは、本来、イコンを描きたいと思っていたわけではなく、普通の西洋絵画を勉強したかったのです。
 彼女は、絵を描くことがなにより大好きな少女で、それだけならどこにでもいそうですが、時代は幕末明治の頃、常陸の地方藩士の娘で、あまり美人でもないので、山の中の農家の嫁にでもやろう・・などといわれていました。
 どうしても絵があきらめられない彼女は、一大決心をして、15歳で家出をして東京に向かいますが、すぐに連れ戻されます。しかし、彼女の意思は強く、家人を説得して上京、親戚の家に身を寄せ、次々と浮世絵や狩野派の画家に弟子入りしますが、日本画に見切りをつけ、最終的には洋画を目指します。
 おりしも、工部美術学校の試験があり、合格してしまった彼女を、元藩主の子爵が援助してくれることになり、晴れて画学生になりました。この時の教授がイタリアの画家フォンタネージで、大いに影響を受けたようですが、彼が帰国し、後任の教官が、彼女に言わせると「大ヘタ」だったことから、学校には不満がつのります。
 当時、学生仲間の一人が、ハリストス正教会で洗礼を受けていたので、彼女もまた洗礼を受け、イリナの名を持っていましたが、ニコライ神父が、日本人のイコン画家を養成したいと考えていたこともあって、ロシアにイコン画修行の留学をすることになるのです。
 大ロシアの都ペテルブルグでの修行なのですが、女子修道院にこもって、陰気臭い?おばさんたちに型にはまった(彼女いわく)「ヲバケ画」イコンの描き方を教えられる一方で、エルミタージュ美術館に通いつめて華麗なる西洋絵画の大作が見ることができたのは、夢のようであったでしょう。
 しかし、ドラマチックで動きのある、ラファエロのようなイタリア絵画に傾倒した彼女と、あくまで厳粛な聖画のイコンを描くプロになる修行では、神経がまいってしまい、ついに2年半で帰国します。
 帰国後、日本では、プロのイコン画家として数々の作品を描きます。イコン以外には、西洋の翻訳物の挿絵なども描いていますが、本当に描きたかったものは、もっと違うものであったような気もしますが、もし普通の洋画家になっていたとしたら、どのような絵を描いたのでしょう?
 ペテルブルグ修行時代のおもむきで描いてみました。背景は、彼女がエルミタージュで模写をした画家の一人、グイド・レーニの絵。この絵によく似た構図の洗礼図が、彼女のイコンにもあります。
2008-06-04
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