呉皇后

呉皇后

 実質上、南宋の初代皇帝となった、高宗趙構の皇后
 そもそも呉氏は、かの遊興皇帝徽宗の9番目の息子である康王趙構の後宮に入ったのですが、まもなく靖康の変、つまり、皇帝と上皇らが敵国金に連れ去られるという前代未聞の大事件が起こります。
 この時、趙構は、父徽宗や兄欽宗とともに正妻も連れ去られてしまいましたが、南京に逃れ、そこで先代の皇后で廃されて後出家していたので、皇族とはみなされず拉致されずにいた「おばさん」(父の兄の元妻だから、おばさんでいいよね)の推薦ということにして即位します。
 帝位についている兄がいるにもかかわらず、勝手で即位したとして反対派もおり、常に金の侵攻に悩まされ、あちこちと宮廷は移動しましたが、この時期、高宗の傍らには常に、自ら武装した呉氏がいたとされています。
 夫高宗の実子は夭折してしまったので、呉氏の遠縁にもあたる傍系皇族の趙晋(孝宗)を養子にして、高宗のあとを次がせますが、83歳の長寿を保った彼女は、以後2代にわたって、背後で、力を持っていたそうです。
 この時代を扱った水滸伝にも勿論、腕の立つ女将軍もいるので、武装する女性が出てきますが、彼女は武装する皇后だったのです。
2008-04-04
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