元禄の少年

緑の若衆

 元禄の頃・・・といえば、華麗な江戸文化の始まりです。
 華やかな時代というイメージですが、衣装も華やかで、遊楽図や屏風などにも、ことされ華麗な衣装を描くものがあります。
 古い時代の小袖なども素晴らしい文様がありますが、華やかだからといって、必ずしも女性用ではなかったのではないか・・と思っています。
 絵画などに描かれる若衆が、とても華麗な振袖を着ていたりしますから。
 そのような風俗図から、振袖姿の若衆を描いてみました。
 豪華な松皮菱の縁取りでの亀甲の文様と黒地がマッチしていましたので。裾周りは州浜風に茶色の色彩が見えているので、また違った文様があるのでしょうね。
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俊徳丸

俊徳丸

 中世の説教節の物語の一つで、「小栗判官」とよく似た、信仰による病気平癒の物語です。
 大阪には俊徳道という道路があり、彼が通った道ということになっていますが、四天王寺の信仰と深いつながりがあり、謡曲の「弱法師」も俊徳丸の物語で、伝説の成立はかなり古いかもしれません。
 長者の家の子供でありながら、後妻に入った継母に呪いをかけられて、盲目になり業病におかされて、家を出され、、乞食の集団に入って物乞いをしている・・という話ですが、謡曲の「弱法師」では、継母は登場しません。人の讒言にあって家を出て、盲目となっているという設定です。
 四天王寺の法要に物乞いに現われ、「日想観」をして、栄光に満ちた昔の時代を思い出し、物狂いをするというストーリーです。
 四天王寺は、今でこそ、町中にありますが、もともと夕日を見るための場所・・というか、西方浄土を想起しながら夕日を拝む「日想観」の信仰のあった場所なので・・(実際に、この法要は今、復活しているらしいのですが、見たことはありません)、春分と秋分には、鳥居の間に夕日が沈むのが見られるそうです。
 ということで、弱法師のスタイルで、夕日を背負ってみました・・。あ・・実際は夕日に向かうので、逆なんですけどね。
 

タナカー・ブヒクロサン(フレデリック・ブレックマン)

タナカー・ブヒクロサン

 幕末に来日した外国人の、山師的な人物の典型とみなされそうですが、彼なりに、なかなかの経歴。
 アムステルダム生まれのオランダ人で、かなり若い10代の頃に、植民地のバダビアに夢を求めて出かけ、そこで何をしていたかはわかりませんが、20歳の頃、日本の長崎に現われます。
 英国総領事のオールコックに通訳として雇われ、後にフランス公使館でも通訳になり、幕府の池田使節団の随員としてパリに向かいます。この時、一行の中にいた日本女性は、もしかしたら、彼の「妻」だったかもしれないそうです。
 再び日本に舞い戻り、色んな商売を手掛け、当時、海外で日本の軽業師などが人気であったので、そういった芸人一座に加わり、自分も日本人のマネをして、手品などをやっていたらしい。その時に、妻は踊り子として舞台に立っていたそうなので、元は芸妓ででもあったのでしょうか。
 ロンドンに流れ着き、そこでタナカー・ブヒクロサンと名乗り、日本人を数十人引き連れて、日本人村を開設。
 ここでは、日本の家屋を建て、工芸品等を実演販売。茶屋を立てて、茶菓の接待を女性にやらせる。劇場を設けてそこで芝居や手品、軽業などを演じさせ、相撲や剣の立会まで見せたそうですから、一大アトラクションつきのテーマパークですね。
詳しくは、こちらにも書いています。→タナカー・ブヒクロサン

春の月の宮女

月夜の宮女

春のおぼろ月は、桜の花と合わせると神秘的です。
嵯峨天皇の宮中に仕える宮女・・という感じで、平安初期頃のイメージで描いてみました。
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乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
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