フランシスコ・ボルハ

boruha

  フランシスコ・ボルハは、スペイン貴族のガンディアの公子として生まれ、子供の時から信心深かったという伝承もありますが、神聖ローマ皇帝カール5世の宮廷に仕えました。
 あちこちに飛び回って忙しかった皇帝について歩いて戦場も体験し、貴族の子弟のならいで、年頃になるとポルトガル貴族の娘を嫁に迎えて、普通の生活をしましたが、ひそかに恋い焦がれる年上の女性がいたとか・・。
 それは、ほかでもない、主君の最愛の后イザベル皇后だったのですねえ。
 ティツィアーノの絵に描かれる美女です。
 これはもうかなわぬ恋の典型で、絶望的だったのですが、この憧れの女性が35歳で、難産で死んでしまったのですね。
 もちろん夫のカール5世が嘆き悲しみ、以後独身を通したのは有名な話なんですが、この人の葬儀の時に、遺体の移送を命じられたのがフランシスコだったのです。
 ところが、恋しい人の遺骸に付き添って旅をする途中に、ハプニングがあって、棺桶がひっくり返ってしまい、中身がこぼれ出したんだそうです。
 そして、その死体を見たフランシスコは、あんなに美しかった人も死ねば変わり果てるのだという「無常」を悟って、出家を決意した・・とかいうお話が伝わっています。
 この場面が絵にかかれているのも見たことがあります。
 フランシスコ28歳の時ですが、世を厭う心があるにもかかわらず、父の後をついで公国もおさめねばならず、妻子もおり、しばらくは敬虔な俗人として過ごしますが、妻が死んだ後に、息子に公国を譲って、文通していたイグナティウス・ロヨラの作ったイエズス会の聖職者になります。
 その後、後進の教育などに熱心で、宣教師養成所を作り、イエズス会第3代総長にまで「出世?」しますが、評判がよく、ローマ教皇に押すような声もあったようですが、つつましい生活をして死後、列福され、後に聖人になりました。
 ゴヤが、ボルハ公爵家の依頼で、この人が病人に取りつく「魔物」を追い払う絵を描いていますが、十字架から血がほとばしっているという芝居がかったもので「名作」とはみなされていないらしいので、あまり目にすることはありませんが、「細長い身体」が印象的なこの人が十字架をかざすスタイルが面白かったので描いてみました。
 ボルハの名前からわかるようにもちろん「ボルジア家」ですが、この人のお祖父さんが、ホアン・ボルジア(チェーザレの弟で、アホのホアンです)ですから、フランチェスコさんはアレッサンドロ6世の曾孫!にあたります。
 教皇になっていたら面白かったでしょうね! まったく清濁、逆の教皇が、ボルジア家から出たかもしれないのに・・。
2011-10-12
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アルバ公爵夫人

アルバ公爵夫人

  スペインきっての豪族で、王家よりも権威のあった名門貴族の女当主。
 マリア・デル・ピラール・テレサ・カイエターナ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレドという長ったらしいのが本名だそうですが、アルバ公爵夫人で通っています。
 ゴヤの有名な2枚のマハ(着衣のマハと裸のマハ)のモデルだと騒がれ、後に子孫が骨格調査をして、マハとは体つきが違うということを証明するために遺体の発掘までしたという、死後までも人騒がせな貴婦人。
 当時は、並びなき権勢家で資産家でもあり、若さと美貌を兼ね備えた「女王」なのに、王妃とはいえ、イタリアの小国パルマ公国の出身だし、美しくもなく、優雅でもないマリア・ルイサを奉らねばならないのは、なんともしゃくにさわるわねえ、というところでしょいうか。
 王妃のいわば公然の愛人宰相ゴドイにも手を出し、王妃が、パリのデザイナーに作らせた衣裳デザインを盗んで、自分の侍女に着せたりと、なかなかのイケズぶり。
 大人しげな入婿の夫アルバ公爵が亡くなり、34歳で未亡人となると、ますます奔放になったとか。
 40歳の時に急死したので、王妃による毒殺説もあるそうです。そのへんの謎を描いた映画が「裸のマハ」で、なかなか面白かったです。有名な2枚のマハの絵のモデルは、ゴドイの愛人だ・・というようなことになっていましたが、これは堀田善衛「ゴヤ」(集英社文庫)にも、マハのモデルはゴドイの愛人ペピータ・ツドォだろう・・となっていました。
 一時ゴヤと愛人関係にあったとはいえ、彼女にとっては、絵描きや楽師はアクセサリーです。財産の一部みたいなもんだったんではないでしょうか。
 そのゴヤのスケッチに空を飛ぶ彼女の絵がありますが、魔女の背にのって飛翔する公爵夫人は、地位や財産、美貌や恋人を思い通りに手に入れて、自由奔放に生き、更に、どこへ飛ぼうとしていたのでしょうか?
 頭から被った薄いレースのマンティーリヤを、まるで翼のように広げ、空飛ぶ公爵夫人を、「魔女抜き」で描いてみました。
2011-01-23

ムリーリョ

ムリーリョ

 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
 スペインの画家・というよりも、ああ、あの無原罪の画家か・・なんて思ってしまいますが、それほどマリア様の絵が有名ですよね。
 子供の姿をしたキリストや天使の絵も、実際にはありえないほど可愛らしくて、かえって通俗的で少女趣味みたいな気がしていました。
 しかし、ムリーリョは、何人もの子供を病気で亡くし、生き残った娘も障害があったとか。十人近くいた子供で成人したのは3人だったそうです。
 そういう話を聞くと、キリスト教ではどうかはしりませんが、いわば追善供養のような気持ちで、可愛い子供を描き続けたのか・・少女のマリアが清らかなのも、不自由な娘を思う心の現われか・・などと思うとちょっと悲しいかも。
 この画家は、教会の天井画を描いている時に足場から落ち、65歳で死んだそうです。
 これって、殉職じゃないです? 足場といえば映画「華麗なる激情」を思い出す私は、60を越えて足場に上る過酷な商売は、本当に気の毒な気がします。
 ムリーリョの絵に「聖家族」があります。
 たいていの画家には「脇役のじいさん」に描かれるヨセフが若くて、母のマリアが一歩下がって、父子の楽しげな交流を見ている・・っという図ですが、この若いヨセフが、なんだか画家本人のようなイメージがしたので、子供に絵筆を持たせて描いてみました。
2010-12-29

スペインの提督

スペイン海軍

 ゴヤの数ある肖像画の中で、ウルティア提督を描いたものがあります。この人がどういう人であるかは、よくわかりませんでした。
 時代的には、ナポレオンの侵略のある頃ですから、スペインの提督といっても、往年の無敵艦隊の頃はいざしらず、王族すら必死で逃げ出すような頃です。後に、ゲリラ戦などで、ナポレオンの兄が追い出されて、更に泥沼化したフランスとの戦いの時にも名前が出るようなので、そこそこがんばっていた人なのでしょう。
 手に望遠鏡を持ち帽子を片手にポーズをつけていますが、なんとも暗い表情と、まるで難破船が出そうな荒れ果てた海岸が背景になっていて、ゴヤとしても、とても、りりしい軍人さんをホンモノより立派に描こうという意識がないような感じがします。
 この人も、のんびり肖像画など描いてもらう場合ではなく、色々な悩みがありそうなので、興味が惹かれました。
 かなりの年配だと思うのですが、スタイルはまだまだ保っておられるようで、30過ぎでぶよぶよしているゴドイなどと違うなあ・・と。 え~・・まあ・・この時代の軍服を描くのが好きなんですわ・・・私。
2010-02-08

ゴヤ

ゴヤ

 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス・・・とにかく、スペイン人は名前が長いみたいですが、ゴヤと短く通用していますよね。
 先日「宮廷画家ゴヤは見た」見たということで、ゴヤでどや!(しょうもないダジャレですみません)。
 ゴヤの絵に関することは、マハアルバ公爵宰相ゴドイなど、時々出ていましたが、御本人はまだだったんですよねえ。
 実は、私が中学生の時に(多分初めて)買った画集がゴヤだったんですよ・・なんて怖いんだろう・・と思いながら、印象に残っているのは勿論「黒い絵」で、子供を食うサトゥルノスですね。それと、現在ではゴヤの絵ではないと鑑定された(らしい)、「巨人」ですね。
 勿論、ドっと傾いたのは、ドラクロワなんですけれども、ゴヤのブキミさはなんとも魅力的でした。
 ゴヤという人は、画家としての絶頂期といってよい年齢で大病を患い、聴力を失って、右手が麻痺したというのですから、大層不幸なのですが、今、ゴヤの名作として名高い絵は、ほとんどがこの病気以降に描かれているのですから、運命の皮肉なのか、天の配剤なのか・・。
 しかも、スペインの不幸な時代に生きたために、まるで報道写真のように、国王一家や、侵略者ナポレオンの将軍、彼らに抵抗する民衆を描き、はたまた、ナポレオン軍を駆逐したウェリントンまで描いている。
 そして、自らの最晩年は亡命生活を余儀なくされ、まさしく、ゴヤは歴史を「見た」のですね。
 あまりにも有名な肖像画があるので、ただ、顔色が悪くて目がうつろ・・という感じになってしまいましたが、ゴヤは左手で絵筆を握ったのだろうか・・と思いついたもので・・・。
2009-12-08  

アラゴンの騎士

アラゴンの騎士

 またまた、スペインの騎士です。
 アラゴンの王家に仕えた14世紀の人物・・という設定ですが、墓所の彫刻(よく棺桶の蓋についているあの例の生前の肖像彫刻)の、ドン・アルバロ・デ・カブレラという人物の着ている装束だそうです。
 鎖帷子の上に着ているサーコートには、びっしりと鋲を打ち込んでいて、靴もおそろえですから、実用的ではあったにせよ、装飾的なキラキラしたものですから、かなりおしゃれな武装なのかもしれません。戦場では目立ったのでしょうね。
 時代的にはアラゴン王はハイメ2世・・つまり、「アルカサルー王城ー」のカスティリア王ドン・ペドロ(ペドロ1世)の終生のライバルであるアラゴンのペドロ4世(両ペドロ)のおじいさんの時代ですね。
2009-03-22

エル・シド

エルシド

 スペインの英雄といえば、エル・シドが有名なのは、やはり往年の「大スペクタクル歴史巨編!」のハリウッド映画のせいでだけではなく、古来、詩や物語に語られ続けました。
 エル・シドという呼び名はアラビア語のアル・サイード(指揮官)がなまったもので、彼の本名はロドリゴ・ディアス(あるいは、ロドリゴ・デ・ビバル)です。
 ビバスの下級貴族の出身で、カスティリアの王太子サンチョのもとで育ち、サンチョが即位してサンチョ2世となると、国王軍に抜擢されて、軍人として活躍します。しかし、国王が暗殺され、かねてより不仲の王弟アルフォンソ6世が即位すると、先王の暗殺犯人ではないかとの疑惑をエル・シドが表明したような形となり、王との確執がおこります。
 追放されてアラゴンはじめ、あちこちに身を寄せ、イスラム教徒のために闘ったということもあり、かならずしもいわゆるレコンキスタの英雄ではなかったという説があります。
 その死においても、伝説があります。
 バレンシアでの戦いの折、流れ矢に当たって死んだのですが、志気が落ちるのを心配した側近や妻が彼の死体を武装させ、馬に乗せて戦場に出したそうです。彼を乗せた馬も有名で、さしずめ死せる孔明を乗せた赤兎ってとこでしょうか(・・な、わけはないですが・・)。彼の剣も伝説では、妖精が鍛えたとか・・。
 有名な銅像では、関羽のような立派な髭を生やして全身鎖帷子をつけて完全武装で馬にまたがっていますが、髭のない地味な軽装のエル・シドにしました。
2009-03-21

バルコニーのマハ

バルコニーのマハ

 昨日のマネのバルコニーのモトネタになった・・・かもしれないといわれている、ゴヤの「バルコニーのマハ」のマネです。
 ゴヤといえば、勿論、裸体と着衣の両方が、同じ構図で描いてある「マハ」で有名です。このマハは、宰相ゴドイと関連がある女性だろうとは言われて、未だにモデル論争で騒がれている名作ですが、バルコニーのマハは、文字通り、マハたち、つまり「小粋な女達」というような内容で、若いおしゃれな女性が、バルコニーに座って、道行く男たちを品定めしているところ・・のようにも見えます。あるいは、「飾り窓の女性」なのかもしれませんが、表情は明るくて楽しげです。
 後ろに、黒い衣裳を着た男?が描かれているのですが、暗い壁に溶け込むようにブキミな姿で、手前の女性の明るさとはつりあわないので、この絵の意味はあるいは、赤いサラファンの歌詞じゃあないですが
 ♪たとえ若い娘じゃとて、なんでその日が長かろう。
  もえるようなその頬も、いまごらんよ 色褪せる♪
と思うのは、深読みでしょうか? 
 ゴヤの絵から手前の二人だけを取り出して、私風の顔にしてみましたが、黒いベールのほうが年上ではないかと思います・・。
2008-12-02

フェニキアの貴婦人

フェニキア女

 古代のイベリア半島は、フェニキア人が海を越えてやってきていました。
 ギリシャやエジプトの影響を受けながらも、東方風の要素もあり、なかなかの面白い造形があります。
 紀元前4世紀頃のイベリア半島の貴婦人像がありますが、ギリシャ彫刻の趣がありながら、壮麗で重々しい装身具を目一杯つけています。
 エルチェ(カルタヘナ!♪の近所)出土の彫像などは、耳飾りなのか、髪飾りなのか、巨大な車輪のようなものを顔の両側につけ、首には幾重も首飾りを垂らしていますが、これがフェニキアの女神アスタルテであるとも、あるいは、地元の女性支配者であるともいわれています(アスタルテはギリシャ神話のアフロディティにあたる女神ですが、シチリアのエリチェにもアフロディティの神殿があり、地名や女神が似ているのは、なんぞ関係があるのでしょうか?)。
 このエルチェの貴婦人像と、バーサ貴婦人像から、フェニキア系の女性を描いてみました。黄金の首飾りかどうかはわかりませんが、彫像の表現は金属の装身具に見えるのでこのようにしてみました。
2008-09-13

マヌエル・ゴドイ

ドゴイ

 ゴヤ強調文といえばマハ! マハといえば、裸のマハと着衣のマハ。同じ姿の衣服の脱着図があるというめずらしい絵はあまりにも有名です。
 この2枚の女性像。モデルは誰か?とミステリーにもなり、映画にもたびたびなっているようですが、この絵の注文主であろうと言われているのが、マヌエル・ゴドイで、カルロス4世時代の宰相であった人物(ペネロペ・クルスが出ていた映画でのスケベなおっさん)。
 うら若い近衛兵の時代に、王妃のマリア・ルイサに気に入られ、この16歳も年上の王妃の愛人になったとされ、異例の出世をして、25歳で宰相になっています。
 しかし、王妃の「寵愛」のみを頼りにしていたとは、とても思えぬふてぶてしい人物で、女性関係は常に派手で、王妃とも痴話喧嘩をし、しかも王国を牛耳るという権力者になります。
 王妃は、これまたゴヤの筆になる「カルロス4世と家族」の絵の中でイケズ顔のおばさんですが、2人の関係は、多くのスキャンダルと、ナポレオン戦争など国難に見舞われ、国を追われながらも、30年も続き、結局王妃は、彼に見取られて死んだそうです。
 ゴヤが描くところのゴドイの肖像画があります。野営地とおぼしき場所で、だらしなく半分寝そべったような形で(足を伸ばせば、あのマハと同じスタイル!)、軍服の前をはだけて座っているのですが、遠景には騎乗の兵士や黒煙を上げる戦場が描かれています。とても緊張感の欠乏した指揮官ですね。
 描かれた時期からすると、まだ30歳くらいですが、これからもっと肥満しそうな顎や、腹回り・・といった姿ですので、細身にしてみました。 
2008-04-25

カルロス二世

カルロス二世

 カレーニョ・デ・ミランダは、ベラスケス後のスペインの宮廷画家ですが、彼の描くカルロス2世の肖像画は、とても印象に残ります。
 というのも、なんとも、不安を掻き立てるような表情の少年王の肖像だからです。
 カルロス2世は、かのフェリペ2世の曾孫にあたり、父フェリペ4世から「太陽の沈まない帝国」スペインを引き継いだのはわずか4歳でありました。当然、誰かが摂政をするわけですが、母のマリアナ大后と、叔父のドン・ファン・ホセとが権力闘争に明け暮れます。しかも、不幸なことに、この王は成長しても病弱で、肉体的にも精神的にも、普通ではなかったと言われています。
 曽祖父のフェリペ2世が嘆いたように、後継者失格のフェリペ3世も、その息子のフェリペ4世も政治には関心がなく、寵臣たちがいいようにして、カルロス2世が即位した時は、国は傾きかけていたのです。彼の病的な性格は、近親結婚の弊害だといわれていますが、そのような時代を象徴するような王であり、彼が死んだ時、スペインのハプスブルグ家は絶えたのです。
 後を継いだのは、遠縁にあたるブルボン家のフィリップ(ルイ14世の孫)で、フェリペ5世として即位しました。
 真っ黒な装束の尋常ならざる目つきの少年ですが、肩にかかる金髪の不似合いな美しさが妙に印象的だったので、その雰囲気で・・。
2008-03-11

フェリペⅡ

フェリペ

 太陽の沈まない帝国スペインの最大版図の時の支配者がフェリペ2世。
 まさしく世界最大国の王位を引き継いだのですが、最大の借金も引き継ぎました。そして、自分の治世に、世界最強の軍隊たる無敵艦隊を失いました。
 後継者にも恵まれませんでした。めとった王妃は次々と死に、子供も早死にし、結局、娘2人と、ひ弱い王子だけが残りました。
 将来に不安を残す晩年であったでしょうね(で、この方がなぜ上杉謙信つながりかというと、日本に来ていたスペイン人が、国王にあげた報告書に「上杉影勝の伯母の謙信が、佐渡の黄金を隠し持っている」という文面があって、これが謙信女性説の根拠になっているんですね。しかし・・日本語の伯父と伯母・・単なる聞き間違いじゃあないのか・・なんて言えば身もフタもないのですが、男でも女でも、フェリペさんにはどうでもいいことだけど、日本でもエルドラド(黄金郷)を探していたとしたら面白いですねえ。それほど借金苦だったのかしら? この方は、かの天正少年使節を謁見したのですから、日本に感心を持っていたのは確かでしょうけれど・・。
 先日エリザベス・ゴールデンエイジの映画を見た(無性に「赤壁の戦い」の映画がみたくなったぞ~)ので、まあ、黒ずくめのフェリペさんです。この全てが黒い衣装って・・なんだか描くのにハマりそう・・・靴は勿論、膝上のロングブーツです。
2008-03-03

ペドロ一世

ペドロ一世

 エンリケ2世を出しておいて、この王様を無視するわけにはいかないので、カスティーリャのペドロ1世です。
 父の後をついで正式に即位したのですが、自らの意思を通そうとして、反対派には厳格な態度をもって臨んだので「残酷王」と呼ばれました。終生のライバルであった異母兄のエンリケ2世との争いはアラゴンやグラナダなどの近隣諸国だけではなく、フランス、イングランドをも巻き込んだ大事になりましたが、結局、エドワード黒太子と不仲になってイングランドとの同盟を守れなかったペドロ1世が孤立し、ついには捕らえられて処刑(戦死説もあり)されました。
 言うまでもないことですが、勝てば官軍なので、勝利したエンリケ2世側に都合のよいように、ペドロ1世は「残酷王」になったとされていて、名誉回復の後、「正義王」となったそうですが・・。
 なにやら頼りなげな優男風の肖像画からは、苛烈な「残酷王」も「正義王」もふさわしくないようですが、本ものはどうだったんでしょうね。
2008-02-21

エンリケ2世

エンリケ二世

濃いめの絵にもどりますが、スペインの王様。
 カスティーリアの王で、トラスタマラ王朝の創始者
 とはいえ、王のアルフォンソ11世の息子であったことは確かですが(東洋ならば妾腹かどうか・・というのは、即位を妨げる決定的な理由になりませんが)、庶子であったので、トラスタマラ伯爵家の養子に入っていて、王子ではなかったのですね。
 正式に即位した異母兄弟のペドロ1世によって迫害を受け、母は殺され、自身も亡命して雌伏します。政治的な野心を持つ周辺王国の思惑を利用して(あるいは、利用されて)、ペドロ1世を処刑してただ1人の王になるまで、おおよそ20年近い、国土を疲弊させる兄弟喧嘩の末に王位に就きました。
 イザベル女王は子孫にあたりますが、青池保子「アルカサル」の敵役・・ということのほうが有名ですよね。メゲない悪役として延々とがんばりますから。
 肖像画は、なにやら鎧の上に、スルタンが着る東洋風のカフタンのようなものをまとって、ターバン様の帽子を被っています。グラナダ王国などの影響を受けているのでしょうか?
2008-02-20

フェルディナンド一世

フェルナンド

 アラゴン王国の国王で、カスティーリア女王のイサベルさんのダンナさん。
 この夫婦がカトリック両王としてあった間、スペインが一応、統一されたような形になりました。
 しかし、イサベルさんがなくなったあとカスティリア王位を娘のファーナが継いでいたために、自分がこの国の全てを支配することが出来ず(つまりファーナの跡継ぎはハプスブルグ家ですから)、なんとか自分の世継ぎとして男子がほしくて、若い王妃を迎え、子作りに励みましたが、うまくいかず、怪しい強壮剤にまで手を出して命を縮めたとか・・。
 彼自身としては、やはり同じファーナの子供でも、スペインで生まれ育った孫フェルナンドを跡継ぎにしたかったのでしょうが、結局、スペインの支配をしたのはカルロス、つまりハプスブルグ家のカール5世でした。
2006-12-02 23:

パストラナ公爵

パストラナ公爵

  実は、この人物については、私はよくわかりません。ただ、スペインの宮廷画家カレーニョ・デ・ミランダの肖像画のひとつから描いてみました。
 カレーニョの絵はプラド美術館展にきていたロシア外交官が最近、あちこちで見かけますが、一番有名なのは、やはりスペインのハプスブルグ最期の王カルロス2世の絵ではないでしょうか? あの、ちょっとゆがんだ病的な少年王を、辛らつな絵筆で描いています。それ以外にも、肥満した少女像などもあり、なかなかに不穏な画家だと思います。
 パストラナ公爵と題された絵のモデルについて私は調べられませんでした(エボリ公女の夫もパストラナ公爵という称号を持っていたそうですが、時代が違いますし・・と、ズボラな私)が、カルロス2世の宮廷人で、黒ずくめでマントの上にサンティアゴ騎士団の紋章らしきものが見えますが、それも定かではありません。背景には飾り立てた馬と奴隷が描かれ、堂々としているのに何故か不安を掻き立てられました。 
2006-09-10

アルバ公爵

公爵アryバ

 プラド美術館の図録で、所蔵のゴヤの絵のリストを見ているときに、この方の名前を見つけました。
 で、私は、なんか間違ってるんじゃないのか? アルバ公爵夫人でしょう?・・なんて思って、絵を見ると、れっきとした男性の肖像画で、ここにきてはじめて、ああ! 例の公爵夫人の旦那さまだと気づきました。
 モンテスパン公爵もそうですが、夫人の方が有名な人って、忘れられがちですよね。
 しかし、最初は夫妻はそろってゴヤのパトロンで、公爵の死後、夫人とゴヤが浮名を流したのですが・・。
 で、その有名な夫人は、かのセンセーショナルな、着衣と裸の両方がある「マハ」の絵のモデルだとも言われている人です。後世になって、公爵家の子孫が、歴代の墓を暴いて夫人の遺骸を調査し、ゴヤの絵とは骨格が違うと、夫人の名誉回復をしようとしたとか、そのような話をどこかでききかじりましたが、名門ともなると、なかなか大変ですね・・。
 で、この公爵は、どこかうつろな目と、口元に微笑を浮かべて、少々影の薄い人です。 
2006-08-24

ホルヘ・マヌエル

ホルヘマヌエル

 大きな二重まぶたの目に、細長い顔にとがった顎。
そして黒い衣装に、白い襞衿! 背景も黒く、絵筆を持つこの人物はスペインの画家です。
そのような肖像画はエル・グレコが描いています。そして、彼は、エル・グレコことドメニコス・テオトコプロスの息子にあたります。父エル・グレコはクレタ島生まれのギリシャ人ですが、イタリアで絵を学び、スペインで画家として生活をしていました。
 彼もまた父の指導を受けて画家と成ましたが、その父は晩年、ゴージャスな生活に憧れて、様々な散在をしました。父の墓を立てる代わりに絵を描くという約束をマヌエルは果たせず、エル・グレコは予定の場所に葬られることが出来ませんでした。
 以後、近代になるまでエル・グレコは評価されず、埋もれていましたが、際立つ個性で、今はファンが多いですよね。
 グレコの絵はなかなかマネられませんが、息子の肖像もグレコ風の細長顔でしたので、それっぽく。
2006-07-25

フィリップ(ブルゴーニュ公)

フィリップ
 フィリップという名前だけでは、ものすごいぎょうさんおって誰がだれだかわかりませんが、この方はブルゴーニュ公(といっても豪胆公やら、大胆公、豪勇公に、善良公なども皆フィリップ!)で、ハプスブルグ家の出身。神聖ローマ皇帝マクシミリアンⅠの息子です(やっと知ってる名前が出た?)。かくいう私もよく分かってないのですが、系図の迷宮というすごいサイトがあるので興味のある人はそちらを参照して下さい。
 要するにこの方はカスティリアのファーナの夫になって、熱烈に惚れられてしまい、妻にストーカーされて、死後は、棺桶に入ったまま荒野を引きずり回されたという、気の毒?な方です。この2人の子供にスペイン王カルロスⅠ(カールⅤ)がおり、さらにその息子がフェリペⅡです。あ~あ・・。
2005-04-07

ファナ

ふぁな
今回はスペインの女王です。母イサベルの後を継いで、一応はカスティリアの女王ではあったけれど、名のみでありました。一人の男をあまりにも愛しすぎたために彼女は精神を破ってしまったのです。それは、彼女の夫フィリップです。え? 夫を愛して何が悪いって言われそうだけど、それは現代だからこそで、当時の政略結婚は、いわば一つの外交ですから、一国を担う王女が、夫をわが元にとどめたい、独占したい・・・の思いは、「政治」には邪魔だったのでしょう。
2005-03-26

イサベル女王

いさべら
 スペインの女王。アラゴン王フェルナンドを夫にして、自身はカスティーリアの女王だったものだから、この一家がスペインを作ったようなも。長女は、後にカステーリア女王となるファーナは映画にもなった「激しい恋に身を焼く」女だけど、神聖ローマ皇帝の皇子と結婚して(この夫が問題の「荒野のフィリップ」なのだが・・)、妹たちはイギリスの王妃とポルトガル王妃など、ヨーロッパ中に娘を派遣したおばさん。ところで、コロンブスはイタリア人ですし、女王に資金提供をしたのもイタリアの商人らしいから、アメリカ発見の[実」はイタリアンだったのだが・・。
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乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

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