チュートン騎士

チュートン騎士

  先日「十字軍物語3」を読みまして、まあ、こっちにも書いたんですけど、・・・これで、完結か・・・。
 ということで、久々に、「あみあみネット」を描きたくなって、例によって、オスプレイ・メンアットアームズシリーズをひっぱり出しましてパラパラと・・。
 そういえば、テンプル騎士団とか、ヨハネ騎士団とか、まあ有名どころですけれど、チュートン騎士団って、早々と引き上げたというか、1230年ころには、北方の異民族と戦う・・つまりドイツの辺境を守るほうに行ってしまったので、ああいう華々しい、イスラムと戦うという感じがしなかったんですよね。
 もともと、ドイツ人騎士だけだし、ドイツ人だけしか守らないというか・・特殊な存在だったのかも。
 で、黒い十字架を白いサーコートやマントに縫い付けて、トレードマークにしていたのですが、これが、北方で戦ったせいで、後々まで、ドイツ民族の、ドイツ民族による・・という方向で、影響を受けたのはSSまで・・というから、なんだかヒーローっぽくないのかも。
 まだアッコンにいて、他の騎士団と一緒に異教徒と戦っていた1210年代のチュートン騎士です。 
2012-01-25
スポンサーサイト

キルヒャー

キルヒャー

 「遅れてきたルネッサンス人」と言われるのがアタナシウス・キルヒャーです。
 しかし、彼こそ万能の天才。彼の肩書きを何とすればいいのでしょう。
 科学者、天文学者、地理学者、考古学者、発明家、そういったジャンル別の範疇に治まらないのが彼の天才的な頭脳です。
 望遠鏡で観測をして、太陽の黒点を発見したというのは、まあ科学者的ではありますが、ペストの感染を菌によるものと推測したり、コプト文字から象形文字を解読しようとしたり、音楽と数学を結びつけようとしたり。
 彼の発明になる数々の機械類がわけがわからん物だというのは、ダヴィンチと同じなのですが、キルヒャーが、ダ・ヴィンチに比べて「バカにされている」気がするのは、あまりに広範囲で精力的な彼の空想力のせいでしょうね(それに、まだロゼッタ・ストーンがなかった!)。
 奇人変人だとか、非科学妄想の天才とか、まあなんとでも言えるでしょうが、彼の著作の図版を見れば、もう「なんじゃこりゃ~!」な図像が一杯で、珍奇なものが大好きな者には、とても刺激的で楽しすぎる♪
 彼自身がダヴィンチのように「天才的な」絵を描いたわけではないので、彼の想像力においつかない、依頼された画家たちが、珍妙な絵を描いたところが、これまたなんとも面白いのですね。
 有名なのは中国の仏像の絵ですが、勿論日本の仏像や、ポタラ宮(これはややまじめ)の絵もあります。
 しかし、彼が多分最も力を入れていたのはエジプトで、全ての文明がエジプトからおこったと考えていたようで、西洋人とっては珍妙きわまりない文字「漢字」を、なんとかヒエログリフ起源としようとしたみたいです。
 彼は、1602年にドイツに生まれ、イエズス会の神学校で学び、早熟の天才だったのですが、興味は、早くも天体観測や、機械の発明、オベリスクなどにも及んでいました。
 司祭になってから、アジアへの布教などにも意欲を示していましたが(なにしろ、イエズス会士は世界中に布教していました)、プロテスタントの隆盛により、ドイツで身の危険を感じて、イタリアに入り、1635年にローマの神学校に奉職することになる。
 何と言っても、ローマは歴史ある魅惑の都市。彼の考古意識?が俄然芽生え、ローマ市内のあちこちにあるオベリスクが、これまたエジプト心を刺激。キルヒャー力、全開! 
 シチリアに渡れば、エトナが噴火。ナポリに行けばベスビオが煙を吹く。なんと、キルヒャーはベスビオの火口にまで入って調査。
 イエズス会の東洋支部は、アジアの珍しい情報をローマに頻繁に送って来る。かくして、彼の前代未聞の偉業?がはじまったのです。
 キルヒャーの面白さは、いくらでもありますが(例えば猫演奏会とか)、あくまでも彼は敬虔なカトリックの司祭で、全ての驚異の自然は神が創ったものと信じていたので、世界、ひいては全宇宙を研究することは、神に近づく手段だったのかもしれません。つまりは「美しき天然」の歌詞のように

 ♪見よや人々 たぐいなき  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう  神の力の 尊しや  ♪  

 背景は、彼の「地下世界」の挿図で、マグマが地上に噴火する様子を描いたものです。
2010-06-15

ハインリッヒ・ゾイゼ

ハインリッヒ・ゾイゼ

  ハインリヒ・ゾイゼは、13世紀のドミニコ会の修道士ですが、神への愛が強烈なあまり、「いとしい」主の御名を自らの心臓に刻もうとしたそうです。
 その方法は、鉄筆を心臓の上と思しきあたりに突き刺して「IHS」と彫り込んだらしい・・実際に心臓に鉄筆が到達したら死んでしまいますから、まあ、ひどく傷はついたと思いますが到達はしていないんでしょうが(本人が、自伝で、血がえらい流れたと書いているので、深い傷だったんでしょうね)。
 他にも、自らを鞭打ちするのは勿論、針のついた下着を着る(シラスではないか~!)、釘を刺したベッドで寝るとか、なかなかに・・・強烈な「マゾ」ですね。
 この人が、修道院の教育係!であったそうですが、男の修道士には人気がなかったけれど、修道女にはモテたそうです。子供ができてしまった修道女に親切にしたので、疑われてえらいめにあった・・とかいう逸話もあるとか。子供の時には「おかあちゃんっ子」だったそうなので、特に女性に優しかったのかも・・。
 スルバランの描いた「鉄筆で胸を刺すゾイゼ」の絵を見たので、目つきがどっかにいってまってる福者(聖人ではありません)ゾイゼを描いてみました。
 ネタ本は、この間、一気読みしてしまいましたキリスト教図像三部作です。
 マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)
 処女懐胎―描かれた「奇跡」と「聖家族」 (中公新書)
 キリストの身体―血と肉と愛の傷 (中公新書)

2010-03-07

舞踏会の二人

舞踏会

 これは舞踏会に来たカップルです。二人で衣裳あわせをしてきたのでしょう。男性は、赤い帽子に白と黒の羽飾りをつけ、大胆な白黒ストライブのタイツに同柄のシャツを着て、毛皮衿のついたッローブを羽織っています。女性は、男性とおそろいの黒白デザインのドレスです。
 15世紀のアウグスブルグの舞踏会の絵から描いてみました。商売をして裕福になってきた市民階級が町の政治を動かし、貴族のように会合をひらいて舞踏会を楽しむようになった時代の上流の市民です。
 ほかにも、流行の衣裳に身を包んだ富豪たちが集っています。商売に成功した裕福な階層と、一般の市民との格差が異常に開いた時代でもありました。
2009-02-28

クラナッハの女性

クラナッハの女

 パリスの審判でおなじみのルーカス・クラナッハは、独特のヌードで有名です。
 古典古代の女神を、神々にふさわしくギリシャ彫刻のようにヌードで描いても、クラナッハの女性像はつねに「現代風」という小道具があります。
 おしゃれな帽子であったり、髪飾り重厚なネックレス。たとえ、それが美の女神であろうと、エデンの園の安楽な生活の場であろうと、男たちはヌードになってもこれといった特徴はないのですが(むしろ、貧相)、女性は例外なく華やかな首飾りをつけています。金でこしらえた大きな鎖と、首にピッタリとつくチョーカー。このセットは必須といえましょうか。裸であるのに、この装身具があるために、クラナッハ独特の「色気」が出ているのです。
 また、装身具などはつけない聖母を描いても、クラナッハは、長い髪を肩にゴージャスに垂らしています。あまりの髪の多さにマグダラのマリアかと思ってしまうほどですが、長い金髪というのも、クラナッハの好みなのでしょうね。
 この、帽子と首飾セットに、長髪というスタイルで、豪快に切れ込みの入った装飾過剰な衣装を着けた女性像があります。画題はユーディットで、膝に切り落とした生首を抱いているという無気味な絵なのですが、典型的なクラナッハ女性なので、顔つきをパリスの審判の真ん中の振り向き女神顔にして描いてみました。
2008-04-24

フリードリッヒ(ブランデンブルグ選帝侯)

フリードリッヒ

 ホーエンツォレルン家のフリードリッヒは、ニュルンベルグ城伯であったのが、ブランデンブルグ辺境伯に任命され、同時に、神聖ローマ皇帝(実質はドイツ王)を選ぶ選帝侯となったのです・・といっても、地名にしても名前にしてもややこしいですが、後々、18世紀のプロイセン王国につながる家といえば、なにやら近しいような気がしてきますが、15世紀の初め頃は、神聖ローマ帝国の東方辺境を拡大し、守護する地方政権でした。それが、着実に力を蓄えてゆくきっかけになった選帝侯権の獲得であったようです。
 古写本の挿絵に、ちょっとお茶目で面白い帽子を被ったフリードリッヒの絵があったので描いてみました。選帝侯になった頃とされています。 
2008-01-08

オデット姫

オデット

  聖ヴィセンテのカラスは少々ブキミだったので、麗しい鳥は・・などと思いつくのは、やはり白鳥の湖でしょうか。
 で、オデット姫です。物語の舞台はドイツですが、ドイツの童話をロシアで改作してバレエになりました。
 ストーリーには色々なバージョンがあるそうですが、とりあえずは魔法をかけられて夜だけ人間の姿に戻れるというのがオデット姫の悲劇です。そしてその魔法を解くには、本当に姫を愛する人に愛を誓ってもらう・・というのですが、魔法使いの娘オディールがこの誓約をたてにとって、彼女に化けてジークフリート王子に愛を誓わせる・・これまた二重の悲劇です。そして、ラストは、二人が幸せになるバージョンと、二人して死んでしまう、というのと二通りあるそうです。
 しかし、鳥の毛が体からはがれて人間に戻る・・なんていうのは、鳥の毛をむしっているみたいで、ちょっとホラーな気もしますが・・・・。
2007-11-26

ビスマルク

ビスマルク

 オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルクは、鉄血宰相という呼び名で有名な統一ドイツ帝国の立役者。プロイセン王の白髭ヴィルヘルム1世を、ドイツ帝国の皇帝にし、自らは帝国の初代宰相になりました。
 当時、ヨーロッパに渡った日本の明治政府の高官たちが、ドイツ風に傾倒していったのは、実はこのコワモテ風の宰相がカッコよかったから・・というのも、西洋の古武士のような風貌が日本人の好みにあったのかもしれませんね。大久保利通が、突然、髭を蓄えだしたのも、ビスマルクを真似たとか言われています。
 現役時代は、ほとんど軍服を着ていたそうですが、これは実用的、経済的理由で、軍服なら古ぼけてもサマになるが、燕尾服や礼服はそうはいかないからだそうです。
 ヴィルヘルム1世の死後、実質的に後を継いだ孫のウィルヘルム2世とそりが合わず、引退しました。
 にぎにぎしく額縁などつけてみました。、
2007-09-03

フリードリッヒ赤髭王

フリードリッヒ赤髭公

 今日は赤髭(バルバロッサ)ですが、やはり、ややお化け屋敷めいている赤ひげ伝説です。
 神聖請ローマ帝国の皇帝で、英雄と呼ばれる人物ですが、かのリチャード獅子心王フィリップ尊厳王が参加した豪華メンバーの十字軍の総帥でしたが、途中で川で溺れ死ぬというなんとも、尻切れとんぼな遠征に終わりました。
 しかし、伝説は奇怪で、かの皇帝は、溺死したのではなく、今なお、キフホイザー山の下の鍾乳洞のような洞窟で、部下とともに丸テーブルについていて、髭がテーブルを3回りするほど伸びたら部下ともども目覚めて、キリスト教徒の敵と戦うために出てくるのだそうです。また、ドイツに危機が訪れた時に、救うために目覚めるのだとも言われています。
 鍾乳洞の闇に、静かに座っている死せる英雄・・。なんともブキミではありませんか。古墳の発掘調査をしていて、葬られてからも髪の毛が伸び続け、もうすっかり原型をとどめていない柩の形にべっとりと髪がはりついていたという話を聞いて、ぞっとしたことがありますが、この伝説もちょっとそういう感じで気持ち悪くないです? 
 ところで、キフホイザーの廃城跡には19世紀になってから、この赤髭王とヴィルヘルム1世(あのビスマルクを宰相にしていた王様)の彫像が立てられたとか。赤髭になぞらえてヴィルヘルム1世白髭王(バルバブランサ)と呼ぶそうです。
2007-08-27

ローレライ

ローレライ

 特殊音波の秘密兵器ではありません。
♪なじかは知~らねど♪こころわ~びて~♪・・のあのローレライです。
 ライン川観光は行ったことがありませんが、三大失望名所だそうで、ただ川の曲がり角に岩があるだけだそうですが、本来、岩の神がローレライだというのもあるそうです。
 髪を櫛でとかすというのも、なんだか神功皇后の髪占いみたいで、祭祀巫女のようではありませんか。
 セイレンの伝説とも関連があるようですが、大地の神と川の神の祭祀の場所があそこだった・・というのでは、伝説も色褪せるでしょうか。吹田市を流れる神埼川の川べりでも、川底から鑑や祭祀道具の出た遺跡がありますが、八十島祭りの関連だとも考えられているようです。この祭りは女性司祭が執り行いました。
 古代ゲルマン風の女性の櫛や衣装にしてみました。
2007-07-06

オットー三世

オットー三世

 神聖ローマ帝国の皇帝です。
 古代ローマを夢想した人は沢山いますが、この人はローマに進軍して、とうとうパラティーノに宮殿まで建ててしまいました。ローマ帝国の皇帝の住居跡に住んで、感無量だったのでしょうか。そのような「無謀」をなしえたのも、わずか16歳という彼自身の若さのなせる業かも。
 父親の死後3歳で即位。東ローマ帝国の皇室出身の母や祖母など女性の摂政を受けて政務をこなし、14歳で親政を開始し、イタリア征服に乗り出しました。
 東ローマ皇帝の思惑などがあり、かつての恩師などがローマで反逆したので、残酷な報復をしましたが、イタリア人たちはこのドイツから来た「ローマ皇帝」に反逆したので、ローマを逃げ出しラヴェンナに撤退。
 捲土重来をはかろうとしていた矢先に急死。マラリアだったとも、毒殺だとも言われています。ドイツ・イタリア・ヴィザンツィンの「統一」をしようとしていた少年皇帝は、21才で夢潰えました。
 モンツァ大聖堂の浮き彫りの姿に、オットー写本といわれる美麗な本の挿絵の衣装を着せて描いてみました。
2007-03-22

ラプンツェル

ラプンンツェル

 グリム兄弟の童話「子どもと家庭のメルヒェン集」のなかでは、シンデレラや、白雪姫、荊姫(眠れる森の美女)のように有名ではないのですが、ラプンツェルの物語も、塔にとじこめられた美女と、王子様、そして魔法使いのそろったドラマです。
 魔法使いの畑からラプンツェル(苣菜?)を盗み食いした夫婦の子どもを、魔法使いは奪って、ラプンツェルと名づけて階段も梯子もない塔にとじこめています。そして、魔法使いはその塔に上るのに「ラプンツェル ラプンツェル、髪をおろしておくれ」というと、彼女の長い髪の毛が降りてくるので、それを縄梯子代わりに上って上下しています。
 あるとき、王子様が通りかかりとらわれの美女に恋をし・・・という展開ですが、王子様は魔法使いに盲目にされ、ラプンツェルは王子様の子どもを妊娠したまま森に追放され・・こういうところが「子どもむき」ではないからか、あまり絵本にはならないのでしょうね。結局、数年後、森であった2人は、ラプンツェルの涙で王子は目がひらき、二人の間の双子!の子どもともども、一家4人でくらしましたとさ・・めでたしめでたし・・。
2007-02-06

白雪姫

白雪姫

 狼男の次は、赤ずきんちゃんではなくて、白雪姫です。
 ほんとうは怖いシリーズや、映画スノーホワイトなどで、一種のホラーのような感を呈してるこの物語ですが、グリムの最初の物語では、白雪姫を殺そうとするのは実の母です。そしてその母は物語の最後でしっかり復讐されますが、当初の挿絵を見ると、白雪姫は年頃の美少女ではなく、あきらかに子どもなのです。
 森の中で捨てられるにしても、小人の食事を食べてしまったり、ベッドでねたり、はたまた、綺麗な紐を欲しがったり、戸をあけてはいけないのなら窓ならいいわと、窓から差し入れられた毒リンゴを食べてしまったりと・・その行動にも子どもらしさがあります。
 そしてなによりも、ガラスの柩に入れられた彼女を救い出すのは、王子様などではなく、実の父親で、戦で長いあいだ領地を留守にしていた王様なのです。
 ここにも深読みすると、母の王妃は、夫にかわって領地を支配していたけれど、領民(鏡)は、実の娘の姫を支持したので殺そうとした・・・な~んてね。
2007-01-14

グリム兄弟

グリム兄弟

 ヤーコプとヴィルヘルムの年子の兄弟。
 グリム童話と呼ばれ、世界的なロングセラーになる「子どもと家庭のメルヒェン集」を刊行しました。これらは民間に伝わる民衆文学を記録しようと、人々の間で語られる物語を採集して集めたものですが、この兄弟は、兄ヤーコプは言語学者、弟ヴィルヘルムは古代ゲルマン文学者としての本業もありました。そろってゲッティンゲン大学の教授であったけれど、憲法の廃棄問題をめぐって2人は免職になりますが、後にベルリン大学の教授になりました。
 兄は元気で頑固、弟は病弱で物静かという対照的な性格ながら、生涯を双子のようにともに暮らし、本業の合間に50年にもわたって、庶民の語る民間物語を地味に集め続けたのです(けっして魔法の森に入って魔物と闘っていたわけではありません)。
 エリザヴェート・バウマンが描いた2人の肖像画から、若くして描いてみました。巻き毛のほうが兄です。
2007-01-11

デューラー

デユーラー

 アルブレヒト・デユーラーは、北方ルネッサンスを代表する画家です。
 しかし、ふっと思い出すこの人の絵というと、白黒の帽子をかぶって、斜め45度に構えたキザな自画像でしょうか。
 自分の容貌に自信があったのか・・うどんのように垂れる、凝った髪のカールと、ヒダヒダのブラウスと紐を使ったおしゃれな衣装を着ています。その次の年に描かれた毛皮の衿のついた服の真正面向いている自画像も、自分をモデルにキリストを描くなどという、大それた自信の程が出ているのではないでしょうか・・。
 そしてドラマチックな構図のエッチングなども数多くありますが、さすがに金細工師の系譜の人物ですね。
 例の「うどんヘアー」がなかなか描けないのですが、まあ、キリスト・・といわれれば、そうかなあ・・・?
2006-09-06

アグリッパ(魔術師)

アグリッパ

 グイン・サーガの御大ではありません。ましてや、アウグストゥスさまの御親友でもありません。
 ヘンリー・コーネリウス・アグリッパ。1486年9月14日生まれ(あ、チェーザレと同じ誕生日だけど、11歳年下です)のドイツの魔術師です。
 時の皇帝マクシミリアン1世の外交官としてイギリスに行って諜報活動をしていたとか。その後も、イタリア、フランス、スイスなどを渡り歩き(やはり情報部員だったのか?)、不思議な未来や過去を見ることのできるメガネを持っていたとか。「隠秘哲学」の著書もあり、魔術師として伝説化されて行きました。
 そして、彼には常に従者のように付き従う無気味な黒犬がいたそうです。当時はまだドイツシェパードという種類の犬はできていませんが、そんな外見になってしまいました・・。
2006-08-07

レオポルト・モーツァルト

モーツアルトパパ

 アウグスブルグの製本屋の息子に生まれたレオポルトは、成績がよかったので、職人修行をせずに、ザルツブルグの大学に進学しました。
 そして哲学や法学を学んだけれど、音楽に興味を持ったことから、学者の道からも外れてしまいます。
 もともとヴァイオリンが得意だったことから、音楽にのめりこみすぎて大学を除籍処分になって、貴族のおかかえ楽師を経て、ついに宮廷楽団員になります。この頃は、演奏だけではなく、作曲や聖歌隊の指導などもするマルチな音楽家となっていました。
 このレオポルドが、妻アンナ・マリアとの間の第7番目の子どもであるヴォルフガング・アマデウスの天稟を見出し、全ての教育を自分で行い、徹底的に音楽の英才教育を施して、あちこち旅行をし、色んな音楽家との交流、宮廷での演奏などで、早熟の天才作曲家モーツァルトが育ったのです。その親父さんです。
2006-07-24

シュリーマン

シュリーマン

 滅びゆく都トロイは、やはり永遠のロマンでしょうが、そのロマンにどっぷりハマり、生涯をその発掘に費やしたのがハインリッヒ・シュリーマンであるのは、あまりにも有名です。
 彼が貧困の中から刻苦勉励して独学で18ケ国語もマスターし、商売で大金持ちになり、そこまでしてなお発掘をした・・。これは、もう並大抵の御伽噺ではありません。普通、金持ちになればソノヘンで現実に目覚めて浪費するのが凡人ですが、彼の目的はあくまでトロイだったのです。
 トロイを堀りまくりすぎて、遺跡の位置づけ自体はややこしくなったけど、一応「プリアモスの秘宝」と名づけたヒカリモノを発掘して一段落してから、ミケーネのアガメムノン探し・・そして黄金の仮面まで掘り出す(後にアガメムノンの時代より古いことが判明)。
 彼は本当にイーリアスにしか興味がなかった・・・というのも、これまた初志貫徹ですごい。あれこれ勉強したらしたで、興味があちこちするのが人情なんじゃないのかなあ? あ、まあ、これも凡人のさがですか・・・。
2006-07-21

フリードリッヒ

フリードリッヒ

 カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ。北方ドイツの荒涼とした風景にモノをいわせたような画家です。
 有名なところでは、樫の森の中の修道院、あるいは雲海の上の旅人。最近ドレスデン美術展で日本に来た月を眺める2人の男。どれを見ても、一度見たら忘れられない風景・・という印象があります。特に「樫の森・・」は、異常にねじまがった樫の木の林立する廃墟の僧院で埋葬が行われているという、悪夢に出てきそうな風景です。
 フリードリヒは子供の頃、氷の中にはまった自分を助けようとした弟が溺死するという悲惨な体験から内向的になり、その影響が画風に現れているのか、常に死と再生が風景の中に見え隠れします。
 風景の中の人物はいつも後ろ向きに描かれて顔をこちらにむけていません。どのような表情をしていたのか・・。しかし28才頃のペンで走り描きされた自画像は、なにやら画想をねる画家の若々しい明るさがあるような気がします。
 そのペン画を元に、背景に朝霧の山を貼り付けてみました。
2006-03-03

ヘルマン・R・ハンゼン

独逸村

日本で始めて第九をフル演奏したのは、ドイツの軍楽隊で、鳴門で、ヘルマン・ハンゼンの指揮によっておこなわれました。
 ・・というような話は、事実ですが、ではなぜ鳴門か・・。当時、第1次世界大戦にアジアで参戦した日本は、ドイツの租借地青島(チンタオです。あおしまではありません)を攻略し、ドイツ軍の兵士5000人を捕虜にしました。その収容先の一つであった板東俘虜収容所では、まだ、比較的のんびりしていた当時の日本の軍人たちは、捕虜たちを割合自由にさせていて、その活動のひとつとして音楽活動があったそうで、1917年からの3年間に、軍楽隊の演奏会は50回を超え、当時の四国の人々に大いに喜ばれたそうです。
 のち、ドイツ俘虜たちは本国に帰って歴史の波に翻弄され、ヘルマン・ハンゼンも公務員として務め、オーケストラではなく、声楽の方面で音楽活動もやっていたようですが、7年ほどして亡くなったそうです。
 しかし、今もなお彼は、鳴門のドイツ館で、指揮棒をふっています(人形の軍楽隊があります)。
2005-08-17

ワーグナー

わぐな
 今更ながら、逸話の豊富な、この大作曲家に、私がとやかく解説する力量もありませんが、芝居がかった生涯を送った人で、やはり芸術家ではあったのでしょうね。
 シチリアの彼の滞在したホテルで、バラ香水の話を聞き、まあ、あきれた面白い人だと思ったわけです。愛妻のコジマとの関係は「五千年に一度の出会い」とか(まあ、よう言うわ!)。
 死の直前に、ドッペルゲンガーを見たとか、夢に過去の女性たち(現実架空を問わず)が現れるとか、ロマンチックというより、少々ぶっとんだお方ですが、現実には心因性の心臓発作で死んだらしい。というのも、その日、朝から夫婦で、若い女優のことで、激しい口論をしたとか。
 うむむむ・・・・懲りないオヤジだ。
2005-07-30

ルターとメランヒトン

るたーめら
ルターは、マルティン・ルターです。
世界史の教科書でよく見る絵ではないでしょうか。宗教改革」といえば、この方しか覚えていませ~ん。
 それにしても、なんだかぶーちゃんですねえ。この庶民的な・・というか、そこらへんの丸々したおっちゃん顔がよかったのでしょうか。これで、けっこう行動は過激なのですが・・。
 そのルターの思想を体系化して、著作を著したのがメランヒトン。ルターと対照的に痩せ型で、なにやら知的で、おだやかな雰囲気が・・。
 ともにヴィッテンベルグ大学の教授で、2人が共通の友人であったルーカス・クラナッハ!が肖像画を描いています。
 わ~ん! クラナッハの絵なら、こんなおっさん2人より、妖しい美女の絵をマネすべきだったなあ・・・。
2005-07-18

ルードヴィッヒ

るーどびひ
 いまやドイツ観光の目玉となっている、とんでもない時代錯誤のお城を作ったことと、ワーグナーを「寵愛」するあまり、芸術文化の保護の域を超えて、大散財をしてしまった、ちょっとぶっとんだ王様・・。
 ・・こんなところが、ルードヴィッヒに対する、一般的なイメージでしょうか?
 これに、若い頃には美形だったが、中年になって、顔も体型も崩れてしまった「倒錯者」。あるいは、人妻でおまけに婚約者の姉の「世紀の美女」エリザベートに適わぬ恋心を抱いていた・・・という項目が加われば、ほぼ完成・・。
 それと、まあ、食わせ者のプロイセンの鉄血宰相ビスマルクにしてやられ・・希望をなくして孤独になり、最後は幽閉の挙句の謎の死は、自殺? 他殺?・・・これで出来た!
 なにやら、400字以内にルードヴィッヒをまとめよ・・みたいだね。
2005-06-2
プロフィール

乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

アルバム
最新記事
検索フォーム
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
カウンター
リンク
RSSリンクの表示
pixiv
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる