祇園社の巫女

祇園祭の巫女

 現代の祇園祭には、稚児はいますが、巫女はいません。
 しかし、古来、祇園社に奉仕する巫女がいて、祇園御霊会の三台の神輿にもそれぞれ、神の声を聴く・・あるいは神と人の間の通訳たる巫女が付き従っていました。
 ですが、すでに洛中洛外図に描かれた祇園御霊会には巫女の姿はありませんが、年中行事絵巻(写本)には、この祇園社の巫女が描かれています。
 巫女とはいえ、神主の補助をするのではなく、そもそもは、神の声をじかに聞ける巫女のほうが地位は神主より上であったとも言われています。
 しかし、応仁の乱の後、ほとんど京都の古代的な秩序が覆り、祇園祭りにも巫女は参加しなくなります。
 年中行事絵巻に描かれた巫女は、唐衣裳の正装をして、馬に乗り、傘をさしかけられて扇を持ち、帖紙(たとう)をかざして堂々と進みます。絵巻には色彩がありませんが、色を付けてみました。
 祇園祭りの巫女については、こちらに書いています。
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天鈿女の巫女

天鈿女の巫女

 天鈿女命(アメノウズメノミコト)といえば、日本最古のヌードダンサーだ・・なんて覚えている人も多いでしょう。
 古事記や日本書記にも、着物の前を開けたり、袴をずらしたりしてエロチックな仕草をして、岩戸に籠ってしまった(死んでしまった)天照大神を呼び出すということから、再生の儀式として、女性がセクシャルなパワーで神を呼び出すのだとか、いろいろいわれています。
 大昔、こんな絵も描いてました。
 でも、今回は、踊る巫女さんを描いたのは、あらためて「陰陽師Ⅱ」の映画を見たからです。
 ヒミコなんてイージーな名前の女性が天照の化身だという設定やら、中井貴一は真田広之に負けてるぞだとか、高天原が出雲大社かい!なんてツッコミは一切おいといて、ただただ、野村萬斎の巫女の舞を鑑賞しました。
 天鈿女の舞を緋の長袴と、千早の姿で踊るのは、まさに絶品。
 ということで、天鈿女の巫女姿を描いてみました。
 野村萬斎の着ていた千早は、袖の前と後ろに菊綴じのある分なので、桃山時代の巫女装束で考証されたのではないかと思います。
2015-09-26

藤原頼長

藤原頼長

 え~・・2012年に放映された大河ドラマ「平家物語」は、神戸では、あるお人が絵柄が汚いと言ったとかで、「おもてなし隊」みたいなものもドラマ館も作ったけど、イマイチ盛り上がらなかったんですよね。
 ほとんど大河を見ない私がとやかくいうことではないですけど、このドラマの登場人物で、何故か一部のファンに熱く支持されたのが悪左府こと藤原頼長です。
 演じた山本耕史の力量でしょうか(BL設定が功を奏した?)、あの気持ち悪い化粧にもメゲず、いまだに「伝説」です。
 で、今頃ですが、季節もよくなってきたことですし、「読書の秋」ということで、まだ登場していなかったなあ・・ということで藤原頼長です。
 彼はまれにみる読者家であったということも伝説で、個人図書館としては日本初という、すごい文庫を自宅に造り、時を惜しんで読書にいそしみ、車の中にも本をたくさん持ち込んでいたというから(通勤時間に読むのでしょう)、車を引く牛はたいへんだったでしょうねえ。本は重いよ・・。
 この人は、父親の藤原忠実の年とってからの子供で、頭もよかったんで溺愛され、大人になった長男忠通がいるのに、父親のわがままで優遇。
 朝廷でも兄を無視する待遇に兄弟喧嘩が始まるのは当たり前。
 まあ、兄のほうも、子供がいなかったので、最初は弟を後継者にすることを承知していたのに、実子が出来たってことが原因・・・って、後継者争いは大変ですよね。
 それが摂関家ともなれば、フツーじゃないのはわかります。
 で、この兄弟喧嘩が、天皇家や源氏など日本中の名家の骨肉の争いと結びついて、とうとう戦争になった。
 これが保元の乱です。
 彼の末路については、重傷を負って、老父に頼ったのに拒絶され、さまよううちに出血多量で死んだという・・おおよそ平安貴族には不似合な最期をとげました。
 ということで本を読む左府どの。
 大河ドラマのような造り眉(もう少し時代が下がると思う)ではなくて普通で・・。
 読書の秋といいながら、衣装が夏の束帯ですみません。ただ、下に着た赤が透けるというのを描いてみたかっただけでして・・。
2015-09-23

川を渡る法師

川を渡る法師

「法師物語絵巻」(仮題)の画像を見たので、ちょっとこの「間の悪い坊さん」を描いてみたくなった。
 「法師物語絵巻」は平成22年の名古屋開府400年祭(なにしろ、今あの時代から400年くらいたってますから。 大阪は今年落城400年だし・・)に徳川美術館で初公開された室町時代の絵巻です。
24年にもサントリー美術館で「御伽草子」として公開されていたようです。
 詞書がないものの、伝承される小話やら記録でお話が復元できるものがあります。
狂言の「附子(ぶす)」と同じ展開をするものなど「和尚と小僧」ネタの絵巻です。
日記にもちょっとこの絵巻について書いています。

 その中で「鮎は剃刀」というお話の和尚から。
 物語は、町中でこっそりと干し鮎を買っていた和尚が、そのつつみを懐から落としてしまい、小僧にその細長い包みは何ですか?と聞かれ「剃刀だよ」と答えたのですが、小川を渡る際に、小僧は「和尚さまあ~! 剃刀がいっぱい泳いでますよ~!」と叫ばれて、町の子供たちの注目を浴びてしまう・・というお話。
 この絵巻の、裾をからげて川を渡る途中、小僧の叫びに子供がよってくるので苦笑いする坊さんです。
2015-01-06

猫の貴族

猫の貴族

 京都国立博物館で、鳥獣戯画が全巻公開ということで、大変人を集めたのはついこの間です。
 何しろ、不覚にも最終日二日前というタイミングの悪い時に行って、スゴイ混み具合で、あきらめたという話はこっちに書きました。
 鳥獣戯画でしょ? いつでも画像は見ることができるやん。
 と負け惜しみ言ってますけど、あれは確かに面白いですよね。
 なんだかよくわからん絵巻ですけれど、画家が筆達者だというのはわかります。
 一番有名で、勢いのあるのが、東京国立博物館が持っている甲巻というのです。
 とうことで、甲巻の(第15紙)に出てくる猫の貴族(鳥獣戯画には、もう一匹、お酒を飲んでいる猫貴族がいます。「住吉家伝来摸本」というのの、兎の蹴鞠を見物する猫ですが、あまり絵はうまくない)、ちょっと振り返った仕草がなかなか優雅なので衣装を着せてみました。
 シッポを抱えているのが、なんだか源氏物語絵巻の「蓬生」の光源氏が、衣装を抱え上げている様子に似ている(と勝手に思って)直衣にしてみました。
2014-12

蓮生法師(熊谷直実)

蓮生法師(熊谷直実)

  人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり

 織田信長と関連つけられて、これが幸若舞「敦盛」の一節だというのもあまりにも有名です(ちょっと長いですが本文はこちら)。
 この短い文言で、これまた49歳で死んだ信長の波乱の人生にミョーにマッチするので、更に有名になったのでしょうね。
 確かに信長は「大スター」ですが、平敦盛も、この時代には大スターでした。
 「16歳の悲劇の美少年」は、大いに人気で、その悲劇を自ら招いた熊谷直実も「美化」され、ドラマ仕立てで有名になった人物です(神戸市出身の私も、子供のころから敦盛は「親しい」です。
 敦盛塚も何度も行ったことがある。ご近所でしたから)
 で、この人間五十年のセリフ(?)は、「敦盛」の中の熊谷直実の言葉です。
 彼が、修羅の巷で生きた人生を振り帰り、出家する決意をする時の言葉。
 だから、本来は熊谷直実の言葉として有名だったはずなのに、信長と結びついてしまったんですねえ。
 で、熊谷直実は、わが子と同じ年齢の若い子供を殺さねばならない戦場に非情を感じて出家したということになっていますが、梅原猛「中世小説」では、直実は荒武者だったけれど、平家が滅んで戦乱の時代が終わり、小賢しい貴族や、いやしい親戚との訴訟などでモメて、つくづく世の中がいやになり出家したってことになっています。
 はじめ坊主頭の僧侶を描いていたのですが、謡曲「敦盛」の地味な蓮生法師のスタイルにしてみました。
2014-10-11

文覚と頼朝

文覚と頼朝

 文覚上人は、怪僧と呼ばれる色々なエピソードが平家物語に語られます。
 行動的で強引。言い出したらきかないし、荒っぽい。人を人とも思わず、相手の立場なんて(高貴な人であろうが、囚人であろうが、人妻であろうが)配慮しない・・。
 修行中でも、常識はずれの荒行を行い、何か人外の物に助けられているのであろうよ・・と思わせる無茶ぶりで、伝説では不動明王のお弟子が助けたことになっているのですが(月岡芳年などが迫力ある瀧に打たれる絵を描いています)、教養ある人からすると痛快というより、怪物めいて見えたのかも。
 そもそも、出家のきっかけが、人妻に横恋慕して強引に迫り、結果として拒否されて殺してしまったってことですから。
 仏教界に入ったからと言って、この思い込みや強引さがなくなるわけではないでしょう。
 俗っ気も旺盛で、政治的な動きも派手。
 六代御前を「保護」したのも、この文覚が、政治的に立ち回った・・つまり源頼朝とツテがあったからですね。
 二人がなんで知り合ったかと言うと、まあ、ムショ仲間みたいなもん。
 文覚の強引さがたたって伊豆に流罪になった時、その地に同じく流罪になっていた頼朝と親しくなった。
 勿論、進んで親しくなったのは文覚のほうです。
 どちらかというと、平家に一方的にやられて流罪という憂き目にあって、腰が引けているように見えた源氏の御曹司に、このままでええんかい!と迫った。
 その方法は、おもむろに(懐から汚い風呂敷につつんだ?)古びた髑髏!を出してきて「これはあなたのお父上ですぞ!」。
 しかも、これを首から下げて!!ずっと供養してきました・・って、大概の人が引くとおもいません? 
 さらし首を拾って持ち歩いていたって・・。供養するなら、普通どこかに埋めてあげるんじゃないの?
 「ほれ、父上の無念を思うなら、息子のあなたが、決起して平家を滅ぼすべきです! ほれほれほれ」
 と頭蓋骨つきつけられて迫られても・・・。
 「いや・・私は流人だし・・」苦しまぎれに「天皇の命令でもあれば・・」なんてつぶやいてしたものだから、「では、もらってこよう!」 って、だだっと走りだし、東海道新幹線も山陽新幹線もないのに、京都を過ぎて神戸まで行って(平家が神戸の福原に遷都していた時)、後白河法皇の院宣をもらってきてしまった(これまた幽閉中の法皇に強引に迫って書かせた)。
 これがきっかけで、頼朝が決起した・・というんですが、六代御前の話にしても、頼朝相手の強引さ、上から目線は、これから一生変わらんかったってことですよね。
 彼が本格的に失脚するのは頼朝が死んでからですし。
 ということで、「頼朝に決起を促す文覚上人の図」です。
 背景は歌川国芳の、かの有名な大髑髏です。
2014-05-16

六代御前

六代御前

 本名は平高清
 平維盛の子供。六代御前というのは清盛の祖父の平正盛から数えて六代目という意味のあだ名だそう。
 平家物語の終盤になって、壇ノ浦が終わってからの、頼朝の命によって残党狩りが行われた時の悲劇の主人公。
 一族が死に絶えたあと、ひっそりと隠れ暮らしていたのに見いだされて、16歳の時に、髪を切って出家。
 頼朝に貸しのある文覚上人の尽力でなんとか生き延びるものの、頼朝の死後、結局28歳の時に刑死します。 最近、吉村昭の平家物語」を読みまして、またちょっと平家も面白いなと・・(なんでもすぐに影響されるミーハーですが)。
 六代君は、源氏方に見つかった時に、あまりの美しさに生き延びてしまうという「美童」伝説から、16歳で髪を切るというのが、大衆の心をつかんだのか、絵画に、芝居にと取り上げられています。
 能面の美少年もなぜか16歳という年齢が、ポイントになっているみたいで、ズバリ「十六」という名前の面などは平敦盛16歳というのがそのいわれだとか。
 昔、今は亡き栗本薫さんが「美少年は、17歳を一日たりともも出てはならない」などといっていたと記憶していますが(記憶違いかもしれないけれど、17歳にこだわっていた)、現代よりずっと人の成長が速いような時代では、美少年の賞味期限?は16歳だったのか・・などと妙に感心したことがあったのですね。
 この六代御前も、16という年齢で黒髪を切り落とす・・というのが、当時ではとてもアピールしたのかもしれないな・・なんて思いました(美僧という概念になると、これはまた別の鑑賞?ポイントなのね)。
 ということで、髪を切る六代くん。武士の家の子なので、衣装は直垂です。
2014-05-05

喝食

喝食

 またしても、高尾観楓図屏風の人物です。
 喝食(かっしき)は、能面の若い男の面の一つとして有名ですよね。
 自然居士の面しか思い浮かばないというなさけない私の知識ですが、あの前髪がちょっとミュ~な面です。
 もともと、禅寺で、食事の時間やメニューを告げる役割の少年のことだそうです。
 寺を訪ねて来て食事などをする将軍に、給仕をした喝食の美少年が、御目に留まり、寺がごひいきになったとか、そういうのがきっかけかどうかしりませんが、寺としても、美貌の少年を取りそろえるようになったとか。
 で、勿論、単なる食事係ではなくなったのですね。
 高名な御坊様などは、外出の折に、自慢の美少年をお供に連れて歩くようになったとか。
 あっこの寺のはちょっとトウがたってるとか、むこうの寺のは若くて色っぽいぞ・・とか、噂もしあったのでしょうか。
 
 高尾の紅葉を見るためか、神護寺に所用でいくのかわかりませんが、威厳ある老僧と、中年の僧の二人連れが、2人の喝食の少年をつれています。
 能面そっくりの奇妙な前髪に、髪を肩先まで散らし、薄い直綴の下に派手な赤い衣が透けて見える少年の方を描いてみました。手にしているのは、高価そうな金地の中啓です。衣装や持ち物は、偉い御坊様方からのプレゼントでしょうか。
2013-05-25

桜童子

桜童子

 春は、やはり桜でしょうねえ。
 これまでに、桜にちなむ人物としては、紀友則だとか、桜姫四条大納言などをだしました。勿論、伊勢大輔も入りますね。
 桜の精として、女性老人を描きましたけれど、今回もしつこく桜です。
 少年の姿で。
 花の季節は、なにやら和風なものが描きたくなるようです。藤の花の童子は狩衣でしたので、今回はやはり水干でしょう。垂首に着せてみました。
2012-04-03

伊賀の局

伊賀の局

 昨日登場した、暑苦しい夜の幽霊藤原基任さんの、「お相手」が、伊賀の局です。
 月岡芳年をはじめとする新しい時代の絵師は、伊賀の局が、「女官」あるいは「お局」ということで、そのスタイルは、宮廷風のおすべらかしの髪に緋の袴、あるいは小袿姿。または、打掛を着て髪型が椎茸という典型的な奥女中風などです。
 そして庭に出て涼をとっているということで、どれもこれも、手には団扇を持っている(!♪)。
 で、この「女官」は、後村上天皇の母の女院に仕えていて、たまたま「亡霊」にでくわした・・というのではなく、必然性があるような気がします。
 伊賀の局は、篠塚重廣という武士の娘で、この父親がなかなかの勇猛果敢な武士なのですね。
 新田義貞配下の四天王の一人で、怪力無双。
 ただ一人で敵陣に夜討ちをかけて、城門を破り、あっという間に蹴散らしたという剛の者。
 鎌倉攻めの功績で、後醍醐天皇から「伊賀の守」を賜ったのですね。
 江戸時代には関羽になぞらえて関所破りのドラマがつくられたとか。
 そのような豪勇の士の娘である彼女のも、剛毅なエピソードがあります。
 南朝の後村上天皇や女院が、高師直の軍に攻められ、吉野の山中を落ち延びているとき、吉野川にかかる橋が落ちていたのですね。
 進退窮まった一行の中にあって、伊賀の局は、傍らにあった巨木をめりめりと打ち倒し、ど~んと川に渡して、みなそれを渡って逃げおおせた(当然、あとは、再びその巨木を抱え上げて、谷底に捨てたのでしょう。敵が後を追って来るんですものね)。
 なんとも怪力無双の重量挙げ選手も顔負けの娘なんです・・。
 こんな女官ですから、亡霊にしたって、いかにも気の弱そうなのには太刀打ちできませんわなあ。
 後に、この人は楠木正成の三男のところにお嫁に行ったらしいですから、このころはまだうら若い乙女だったはず・・・。
 「美人画」と「妖怪」の組み合わせを後世の画家は目指したようですが、頭から巨木を持ち上げる怪力女の絵がはなれません。
 しかし、ここは快活な姉御肌の女官が「そういうことなら、私に任せなさい! お経の一つや二つ、女院さまにたのんであげるわ!」というイメージにしてみました。
 今のような団扇は、室町末にならないと出てこないようなので、枇榔の葉で編んだ伝統的な方扇を持たせて。
 場末の宮中ですが、一応女官ですから、小袖袴のいでたちで。
2011-07-01

藤原基任

藤原基任

 すさまじく暑くなってきた今年の夏です。夏は怪談の季節ですが、このお話も古い怪談です。
 「吉野拾遺」という古書に出ている物語だそうです。
 南北朝の時代、南朝の後村上天皇は、吉野の山中の行宮に移られたとき、そこは「あやかしのもの」が出るというウワサのさびれた場所でした。
 夏の6月10日頃、暑い夏の夜です。天皇の母后新待賢門院に仕える伊賀の局という女官が、涼をとるために一人で庭に出たところ、大きな松の枝があり、それに月がかかっているようなので、思わず歌を口にします。
 
    涼しさをまつ吹く風にわすられて、袂に宿す、夜半の月影

 すると、とても人がいるとは思えぬ場所・・つまり高い松の木の梢から、突然

    ただよく心静かなればすなわち身も涼し

 と声が降ってきます。こわいですねえ・・。
 上を見上げると、恐ろしげな、翼をもつ鬼のような姿のものが宙に浮いていた・・・。
 ここで、きゃ~!出た~!と失神するような軟弱なおなごでは、苦難の放浪王朝の女官はつとまりません。伊賀の局は、気丈にも「何者じゃ! 名を名乗れ!」と言ったのですね。
 すると、化け物は素直に「私は藤原基任といいます」と言った!。
 姿形は恐ろしげなれど、和歌に反応したり、素直に名を明かすなど、どことなく雅な化け物ですね。
 で、よくよく話を聞くと、「帝の御生母新待賢門院さま、すなわち阿野廉子(あの!廉子さまです。後醍醐天皇の寵妃で、中宮を追い落としただとか、足利尊氏と組んで護良親王を破滅させたとか、コワイおばさん)に、命を捨ててお仕えしたのに、いまだ弔ってもらえないので、こうして迷っているのです」とのこと。
 供養をしてあげましょう・・というと、すっと消えたとかいう、おとなしげな幽霊で、その後、話を聞いた女院は、吉野の僧侶に命じて法要をしたそうです。
 ところが、この影の薄い幽霊は、いつの間にか「藤原基任」じゃなく、「藤原仲成」(嵯峨天皇に殺された人ですから時代が違いすぎる)として伝承間違い?が起こって、後世の画題では、藤原仲成の亡霊ということになってしまいました。
 月岡芳年など、絵がいくつかあるのですが、烏天狗風、公家風ということで、こんな姿にしてみました。
2011-06-30

刀葉林の女

刃桑林

 おそろしや、地獄のツアーガイド・・みたいな本が「往生要集」。
 これでもか、これでもかと言うほど、地獄の残虐さを書き連ねながら「こんなところは行きたくないでしょう?」と説経する坊さんが思い浮かびますが、まるで見てきたような地獄を書けるってことは、源信さまは、スプラッターホラー作家の才能豊富な方だったんでしょうねえ。
 その地獄の中で、邪欲に溺れた者が追い込まれるの衆合地獄というものがあり、まるでコロッセオで、罪人が猛獣に食い殺されるようなのや、炎を吐く巨鳥にプロメテウスよろしく、内臓をついばまれたり、刀葉林に追い込まれたりします。
 その刀葉林というのは、木の上に女がいるので、それに近寄ろうと男が木に登ると、その木に生えた刃物の葉で、ズタズタに引き裂かれます。
 それでも、やっと上に上ると、女は木の下にいて「あなたのために、私はこんなところまで来たのよ。どうして、早くそばに来てくれないの? 抱いてくれないの?」と叫びます。
 男は再び、木を降りて下に行くと、女はまた上にいて・・という地獄なんですが、女のセリフから推測すると、彼女は、男の生前の恋人か妻で、地獄にまで追いかけてきたと言う設定ですね。
 私は、昔、この話を聞いた時に、ただ単に、美女が木の上にいるだけで、血みどろになりながら登るって、いくらなんでも、そこまでスケベ根性だけではできひんやろ・・と、あまり深く考えなかったんですね。
 ですが、往生要集の本文を読んで、女のセリフで「昔の女」だと知りました。
 そうなると、因縁浅からぬ女が、おぞましい地獄まで追いかけてきて「あなた、はやくそばに来て」と言われては、これは単なる「好色」ではなく、「男の責任」の哀しさ・・みたいなものをちょっと感じて、気の毒になりましたね。
 自分の生涯で、一緒に暮らして、幸福にしたか、不幸にしたかはともかく、なにやら悲哀がただよいます。
 リクエストにお応えして描いてみましたが、女が、誘うような媚びるような表情ではなく、自らも血を流して、助けを求めるほうがふさわしいかなという気がしましたので・・・。
2010-11-13

地獄鉄磑所の鬼

獄卒2人

  「日本の国宝、最初はこんな色だった」(小林泰三・光文社新書)のシリーズ?です。
 絵巻物「地獄草紙」に鉄磑所(てつがいしょ)の場面があります。
 ここは、地獄の鬼達から、鉄の臼ですり潰されるというすさまじい場所です。
 生前、人からものをかすめとった連中が、処罰を受けているところだそうです。
 デジタル復元で、鮮やかな色彩が蘇った派手な鬼達が、4人いますが、彼らは男女二組のカップルで、重い?鉄の臼をひいている二人は真面目に力を入れているのだけれど、人間を臼に放り込む作業をしている緑鬼と、うすでひかれて、ばらばらぶばった人間の残骸を箕であつめて河に捨てている赤鬼は、なにやら気楽に会話しているような感じがします。

「お前、最近すっかり白髪になってしもうたなあ。てっぺんなんか、ぬけてきたがな。」
「あんたかて、緑肌に赤褌でカッコつけとっても、自慢の赤毛は、はげてもたし、あちこち痒いとか、上唇がはれあがるとか、おじんくさいで。」
「ほっとけ。お前かて、腰がかがんで、しわだらけになってもてからに、流行の豹柄の腰巻が似合わんで。」
「あ・・そう。ほんなら、新しい虎皮のん、買うて。タイガース優勝セール当て込んで、仕入れすぎて、叩き売りしてんねんて。」
2010-11-10

六波羅合戦の将

平清盛2

 「日本の国宝、最初はこんな色だった」(小林泰三・光文社新書)のデジタル復元には、当初の形というのにこだわっています(私もまだ、この本にこだわっていますね)。
 この本の中で、私としては、一番面白かったのはすでに失われた絵巻物を着色復元する「平治物語絵巻」の章でした。
 この絵巻物が、ボストン美術館にあり、三条殿焼き討ちのシーンなどは、今でも、日本のアニメーション文化の原初たる動く絵巻物の代表作です。私が伴大納言絵詞が大好きなのは、まああちこちで書いていましたけれど、この平治物語絵巻も好きなんですね。
 で、その中で断簡しか残っていない「六波羅合戦の巻」これをデジタル復元するんだといわれれば、興奮してしまいますがな。
 復元に、手がかりが全くないというのではなく、東京国立博物館に江戸時代に模写された白描画が残っているので、要するに、これに断簡に残る色彩をつけてるということなんです。色があるのとないのでは、全くイメージが違いますものねえ。
 勿論、モノクロの画像や、色の落ちた年代ものの枯れた美しさを否定するわけではありませんが、やはり「当初の形」というのを見たいではありませんか。
 その過程はなかなかと面白いのですが、それは本を読んでいただくということにして、平治の乱は、平清盛のいわば、ヴァンデミエールの反乱みたいなもので、以後、彼が権力の階段を上り始めるきっかけになった騒乱です。時に清盛41歳の男盛り(ナポレオンはヴァンデミエールの時は26歳だったんですが)。
 復元された小林氏は、さっそうと登場した主役たる清盛は、鼻がダンゴで、歯が乱食いのブサイクに描いてある・・なんていわれていますが、戦記物の武将の顔の表現としては、大声を出して突撃する場面で、当時流行の引き目鉤鼻の美男子顔に描いていたのでは、迫力が出ないと思うので、私はなかなかによい顔だと思います。
 黒糸威に紺の直垂(小林氏はダースベイダーみたいだといわれる)で、黒尽くめのダンディだったのではないでしょうか。絵巻の兜は、白描の別場面を見ると獅噛(しがみ)の鍬形台というやつなので、そのようにしてみました。
2010-11-09

 青砥藤綱

薪銭

 青砥藤綱(あおとふじつな)は、鎌倉時代の武士と伝えられます。北条時頼に仕えた、大岡越前のような名裁判官だとか。
 ある所領争いで、被告が時の権力者北条時頼その人であったので、奉行達はこの原告を敗訴としたけれど、たった一人正しい判断をしたのがこの青砥藤綱だったとか。権力を恐れぬ勇気ある裁判官ということでは、大岡裁きというよりは、まあ、大津事件の児島惟謙みたいな人ですね。
 この人は、実在が疑われているのですが、伝説が先行し、あちこちに、彼の遺跡・・つまり、墓、住居跡、築いた城だとかがあるのですが、これは江戸時代からとても人気者になったからでしょう。
 で、一番有名な伝説は、夜に歩いていて、川に十文を落としたので、五十文の松明を買って川を照らして探したというお話(500円玉をドブに落としたので、2500円の懐中電灯を買ったみたいなもん?)。
 これは戦前の修身の教科書にものっていたそうで、絵なども色々あります。
 理屈をいうと、お金は国家の財産であり、川に落ちた十文は、失うと損失だが、自分が払った五十文は、松明の代金として、人のために役立っているのだから損失ではない・・・のだそう。
 鎌倉時代にそのような貨幣感があったとは思えないので、まあ、後に生まれたお話でしょうけど、この人は理屈っぽいのですね。
 そもそも当初、仕官するきっかけになったのは、北条時頼が、鶴ケ岡八幡宮にこもっていた時、神様が夢枕に立って、彼を指名したので召し出したところ、「夢で人を用いるのなら、夢で人を罰することもあるかもしれない」などと辞退したので、益々気に入ったとか。時頼さんも、なかなかの皮肉屋かも。
 絵では、家来が川に入って、この人が松明で照らしている絵が多いですが、家来を省いてみました。
 まあ、夜に川に入らされた家来にも「特別手当て」が出たことと信じましょう。なにしろ、国家の損失を救ったのですから。
2010-07-11

観阿弥

観阿弥

 能の大成者が世阿弥だとすれば、創始者といってもよいのが、父親の観阿弥です。
 芸能好きの足利義満に親子で認められたところから、中央で羽振りをきかし、人気芸能人として「一流」になったのですが、著作を残している世阿弥と違って、自身の書いた文献がないので伝説につつまれています。
 出身は伊賀であり、父は服部氏、母は楠木正成の姉にあたる・・とか。
 まあ・・なんとはなく伊賀の山中で謎めいていて、こういうのもいいかも。伊賀の服部といえば、服部半蔵が思い出され、則忍者。また楠木正成といえば、もうなんだか神算鬼謀の軍師。
 その子孫が芸能人として、都の将軍に取り入り・・で、まあ、役者がスパイ・・なんて面白すぎるので、ドラマにしたい人は一杯いるでしょうね。
 そんなのは、まあおいといて、観阿弥の作とされるのが「自然居士」ですが、もともと遊興芸能づくしのような、実在の円熟芸人自然居士を、思い切って少年に設定してしまい、若いアイドルによるバラエティショーみたいにしたのが観阿弥。
 しかもその少年役を、すでに40すぎた観阿弥が自ら演じて、16、7才に見えたということですから、二重にも三重にもすごい舞台人ですね。大柄だったのに、女性をやると、可憐に見えたともいわれています。
 ということで、役に没頭しようとする観阿弥。40歳なのに、17歳になりつつあるところ・・・?のつもりです。 
2010-06-16

道元禅師

道元

 かつて、子供の頃には、鎌倉仏教の所では、えいさいがりんざいしゅう・・どうげんがそうとうしゅう・・などと、語呂合わせともいえない覚え方をしていました。
 まあ、そのようなことがなくても、私の実家は曹洞宗で、仏壇の奥にはなにやら立派な椅子に腰掛けた坊さんの絵がかかっていました。ミニ掛け軸のようなもので、真ん中には仏像、右には達磨大師?(とにかく外国のお坊さん)。左に日本の高僧がかけてあるように記憶しています。で、多分、その椅子に座った人が、道元さんじゃないかと思っているのですが、どうでしょう?
 婚家も偶然に、かつては曹洞宗でしたが、すでにキリスト教に改宗していて仏壇はありませんでしたので、奥にそのような高僧の絵がかかっていたかどうかはわかりません。
 15年前に、震災の後、私の家に来た母が、父の位牌を入れるためにミニ仏壇を買い、かつての檀那寺と同じ曹洞宗のお寺のお坊さんに法事をしてもらいましたが、今の市内のお寺は、偶然というか必然というか、かつて婚家の檀那寺だったんですね。
 まあ・・そういうことで、今朝の新聞で、永平寺で、坊さんが並んでパソコンの前に座り、インターネットで確定申告をしているう写真を見まして、道元さんを思い出したわけです。
 道元さんの肖像画といえば、立派な椅子にかけた正装の絵もあるのですが、目玉を上に向けて空を睨んでいる三白眼の「月見の御影」というのが有名なので、その雰囲気で、やや若作りで・・・。
2010-02-04

鬼女

鬼女

 鬼女といっても、別の意味(既女)ではありません。文字通り、鬼の女です。
 紅葉の季節になったら思い出すのが「紅葉狩」だというのは、あまりにもイージーな私の頭ですが、思い出してしまったものは仕方ない。
 「紅葉狩」の物語には、英雄平維茂が、鬼女退治をしますが、そればかりではなく、渡辺綱も、鬼の化けた女に、一条戻り橋で呼び止められ、ご親切にも馬に乗せ、同乗するという経験もしています。三善清行にいたっては、寝床にまで近づかれたというハメになっています。
 これらに登場する鬼女が、最初は皆例外なく美女である・・あるいは、美女風に見える・・ということが共通しています。
 ということで、平安風の衣被きをした女性を描いてみました。
 鬼女は、夜の闇であるにも関わらず、着物の柄まではっきり見える・・というのがこのひとならぬものの特徴です。
2009-11-11

一休

一休さん

 ♪好き好き好き好き好き好き 愛してる♪

 という歌は、もう一昔前のものですけれど、なんで、好きだとか、愛しているだとかいう問題とは、一番縁遠いのがお坊さんなんじゃないかな・・なんて思いますが、実在の一休さんは、なかなかに「愛のあふれる」方だったそうです。
 一休さんこと、周建和尚。肉食妻帯を許されていないはずなのに、「妻」がいて、子供までいたし、お酒も大好きな、かたやぶりのお坊さんだったようですが、子供のときから文才があり、優秀でした。
 しかし、激情型というのか情熱的というのか、激しい性格で、権威を批判する精神的な反逆者の気風であったとか。
 僧侶なのに自殺未遂などもおこしているのですね。天皇の御落胤説もあります。
 後に伝説が沢山生まれ、とんちの一休さんとして知られるようになります。
 「屏風に描いた虎を縛ってみろ」と言った将軍に、一休さんは「では追い出して下さい」と応えた相手が足利義満だという伝説から、アニメの一休さんに将軍様の義満が登場しますが、史実では、一休さんの時代には、義満は将軍ではなかったのですが、お話は、有名人のほうが面白いですしね。
 虎を縛れと言われたというお話にしても「小坊主」ではなかったと思うので、ちょっと大人にしてみました。
2009-11-03

平治物語絵巻の女官

兵s児物語

 謎の絵師岩佐又兵衛の絵が、最近注目されはじめた理由として、彼の残虐描写のせいもありますが、特に、山中常盤絵巻の、極彩色に着色をされた女性の斬殺場面が、人目を引くのでしょう。
 又兵衛が、このような中世の絵巻物風の絵を描くにあたって、色々な絵巻を参考にしているのは確かですし、堀江物語絵巻(これまた残虐な殺し場面が多い)の、首なし死体にすがって泣く官女のシーンなど、伴大納言絵詞を参照にしているような気がします。
 そして半裸の女性が血みどろで倒れ臥している・・という場面は、勿論、又兵衛の生い立ちや、彼が生きていた時代では、そのような場面が現実にあった・・というのも事実でしょうが、やはり戦記絵巻にモトネタがあるような気がします。
 ボストン美術館所蔵で、里帰り展示をしたこともある有名な平治物語絵巻があります。
 この「三条殿焼き討ち」場面では、乱暴狼藉を尽くす武士たちの間に、井戸に折り重なっている官女たちが描かれています。
 殺戮から逃れようとして身を投げたにしては、あまりにもその人数が多すぎるので、その前後に、馬に踏みしだかれる姿や、着物を剥ぎ取られたらしき女性が沢山描かれていますから、もしかしたら、襲った武士たちが、殺して井戸に死体を放り込んだのかもしれません。
 絵柄が優美であるだけに残虐という感じはしないのですが、かなりエグイ内容だと思います。
 このような絵巻に着想を得て、又兵衛はリアルに描いたのではないか・・と想像してしまいます。
 燃える家屋の側で、単衣だけをまとって伏せる女官を描いてみました。
2009-06-24

松王

松王

 御伽草子や奈良絵本に「築島」というのがあります。この物語は、行方不明の娘を探す物語と、人身御供の伝説が入り混じっているのですが、ちょっと唐突な感じがするのが、そのラストの松王人柱伝説です。
 ストーリーは、平清盛が、大和田の泊を築造するのに、どうしてもうまくいかず、陰陽師に占わせたところ、人柱を30人たてればよいと言われ、生田の森(藤原紀香が結婚式を挙げた神社の境内に今もあります)に部下を潜ませて、通りかかる旅人を捕らえていました。そこで、かの行方不明の娘を探して旅をする父親が捕らえられ、再会した娘の嘆願によって許されるのですが、その時に、清盛の侍童であった松王が、自分が人柱になるので、ほかの29人を許してやって欲しいと願い、彼の犠牲によって築島は完成した・・というものです。
 このラストは、そもそも父娘涙の再会と、この唐突に出てきた松王の犠牲とは、果たしてなんじゃいな? 
 清盛は、何故この30対1の交換に応じたのか・・清盛と彼の関係は・・・とか、マア、疑問が一杯なのですが(御伽草子的解決では、松王は大日如来の化身だということになっていますが)それはおいといて、松王の犠牲は有名で、地元(神戸の和田岬)では、松王の碑などもあり、彼の菩提と弔ったという伝説のお寺が有ります。
2009-03-02

遊女

遊女

 古代は神に仕える巫女が神楽を舞うことなどから、女性の遊芸がはじまり、中世の遊女は、つまり歌舞、音曲を奏でて人々に娯楽を提供し、さらに春をもひさぐ・・「あそびおめ」になりました。
 交通の便の良い、港などに多くいたようです。大阪では江口の君として有名な淀川、江口の遊女や、神崎の君などが知られています。鎌倉時代前後から、白拍子として知られる男装の舞を舞う遊女も流行していました。平家物語に登場する仏御前や、静御前なども、いわば、当時の最新流行の女性だったのでしょう。
 室町時代に描かれた職人尽くしにも「遊女」は登場し、職人つまり職業人としてとらえられていたようです。
 職人尽絵から、鼓をもつ遊女を描いてみました。おそらく鼓を持ちながら歌を歌ったのでしょう。
2009-02-26

渡唐天神

渡唐天神

 天神さまは、勿論、菅原道真で、死後、怨霊の勢いが凄かったので、怖れた藤原氏などが神として祭り上げてお怒りを鎮めたのが天神さま。学問の神様である天神様とゆかりの深い梅の季節でもあり、今まさに受験生たちには天神詣でが盛んです。 
 信仰の対象となる天神さまの神像は、牛に乗っているものや、衣冠束帯の厳かなものなどがありますが、渡唐天神というのも、そのような天神様のお姿の一つです。
 伝説によると、鎌倉時代に、宋の国で禅を修して帰国した円爾弁円の夢に、天神さまが現れ、「禅とは何か」と聞かれ、奥義は自分の師匠(宋の国の高僧です)に聞いて下さいと答えたところ、しばらくして、また夢枕に立ち、「早速、宋に渡り、あちらで禅の修業をして衣鉢を受けて帰ってきたぞ」と言ったそうです。
 この物語から渡唐天神の絵姿が描かれるようになったそうですが、海外帰りらしく、すっかりあちらの士人のようないでたちになった道真さんです。そもそも生きている時は遣唐使をやめた人なのですが、死後250年もたってから初めて海外に出て、すっかりかぶれてかえってきたとは面白いではありませんか。
 梅の枝を持っているのがお約束だそうですが、四君子(梅、蘭、竹、菊)の梅の士人林和靖風にしてみました。復讐の鬼と化した怨霊も、300年もたてば、おだやかな風貌になったのではないか・・と。
2009-02-21

巴御前

巴御前

 源平時代は、戦場での名乗りや、美々しい大鎧など、なかなかに華やかな時代でありましたが、そのような時代の花として、女武者の巴御前は、平家物語のほかのヒロインなどとは少し趣が違います。
 木曽義仲が連れていた愛人で、女武者ですが「強弓精兵、一人当千のつわものなり」とされる、腕っ節の強いおねえさんです。ただ、強いだけではなく、ここが肝心なのですが、「色白く髪長く、容顔まことに優れたり」というのですから、色白長髪は、平安時代の美人の必須条件ですが、簾のなかにかくれている深窓の女性ではなく、戦場で大勢の人に顔をさらし、そしてなお「ごっついべっぴんやった」といわれているのですからホンモノでしょう。
 水滸伝の女戦士扈三娘にも匹敵するのですが、もともと美人に設定されていたかどうかわからない扈三娘より、初出で堂々とここまで書かれているのだから。
 しかも、追い詰められてた義仲に「最後まで女連れだとおれがみっともないのだ」と心にもないことを言われて、殉ずることを禁じられて、涙ながらに姿を消した・・ということになっているのです。そういう点、自殺した虞美人などより分が悪いですが、義仲の思いやりがいいですね。
2009-02-10

階(きざはし)の尼君

北野の海人気味

 坊さん、おっさん、ばあさんと、ジミキャラばかりが続いてですみません。
 北野天神縁起絵巻の吉祥院の場に登場の尼君です。
 この場面も、儀式の行われている寺院の堂内に至るまでの道筋にたむろする大衆に、画家は多くの筆を裂いています。華やかな儀式を見ようと集まってきた雑多な人々ですが、門内に入るところで、僧侶の集団と、地方から来たおのぼりさんの侍といった風情の直垂の集団が喧嘩するシーンがあったり、頭を袈裟でおおった僧兵のようなブキミな集団などが描かれ、飾り立てた本堂の正面階段のあたりには多くの善男善女が集まっています。みなが本堂の法事を見ている群集の中で、一人カメラ目線でこちらを見返してくる尼君がいます。
 右から左へと目線を流す絵巻物の画法の工夫としては、緊迫画面ではあえて目線に逆らう「逆勝手」という手法がとられますが、この老尼殿は、あえて順勝手でも、逆勝手でもない、画面の外にいてドラマを眺める鑑賞者を見返してくるのです。
 昔からとっても気になっていましたので、描いてみましたが、どうも、今は亡きお姑さんに似てしまいました。あんた、まだこんな絵描いとるん?とでも言い出しそうで・・。
2009-01-27

牛飼い童子

牛かい

 北野天神縁起絵巻は、私が昔から好きな絵巻で、これを詳細にみていくとなかなかに面白い「しかけ」がたくさんあります。
 描かれた人物画は、信貴山縁起絵巻や、伴大納言絵巻などの画家のけっしてデッサンの狂わない達者で上手な筆遣いに比べると、少しバランスがゆがんだり、大きさがヘンだったりするところもあるのですが、またそこに味もあります。
 大衆を描いていてもその中に一人に、細かいしぐさに、なにやら、おかしみを感じたりするのですね。
 勿論、天神さん菅原道真の一代記ではありますが、主人公幼年時代のワンシーンのために、まるで映画の導入部のように延々と外の道の情景から描き起こしています。その中の一人、門前で牛車からはずした牛とその牛飼い童を描いてみました。
 牛飼い童子といっても、童形はしていても、髭もはやし、髪もうすくなりかけた中年男です。またその前にいる牛が、薄ら笑いを浮かべたような表情で「お前もこの仕事長いなあ・・」とでもいいそうな雰囲気が面白かったんで・・。
2009-01-25

常盤御前

常盤御前

 先日、兵庫県の紅葉の名所「法華山一乗寺」に行って参りました。今年の紅葉は、水不足からかどうか、枝の天辺から枯れ初めているのに、日陰の所は、まだ青々しているという、中途半端なデキ?でして、せっかく修理復元が出来た立派な本堂からの国宝三重の塔の絶景が、彩る紅葉がイマイチでした。
 それは、まあともかく、本堂内のうすぐらいところに色々、古い絵馬があるのですが(大型絵馬については、八坂神社や、あちこちで有名な絵馬堂がありますが)、その中に、一目でみてわかる常盤御前の絵馬が、暗闇からぼ~っと浮かんでおりまして、くっきりとした縁取り線のおかげで色合いがあせていても、図柄がはっきりと見え、なかなか面白かったんで、それ風に描いてみました。
 史実かどうかわからない伝説とはいえ、やはり、源義朝の死後、今若、乙若、牛若の3人の子供をつれて雪の中を逃亡するスタイルでしょうね。
 雪が降っているはずなのに、子供たちの軽装や、胸元をくつろげて授乳?というのは、ちょっとどうかと思いますが、まあ、平安時代の美人コンテスト一位入賞の美女ですから、絵馬の依頼主の好みかも?
2008-11-30

平維茂

平維茂

 紅葉の季節がいよいよ到来ですね。
 ということで、平維茂です。謡曲や歌舞伎でおなじみの「紅葉狩り」の主人公。
 平安時代の人物なのに、このスタイルはいかがなものかと思いますが、まあ歌舞伎でも戸隠山の鬼女が「赤姫」のいでたちだし、軟派な人物?なので、こういうのも一興かと。
 平維茂は、信濃守として赴任中、紅葉の山中で宴をするきらびやかな女性達に行き逢い、主と思しき姫に、宴に誘われ、杯を重ねるうちに酔っ払って寝てしまいます。
 ところが、夢に、ありがたい神様、あるいは八幡大菩薩が現れ、太刀を授けて、妖怪退治をしろと命じられたと思って目をさますと、美女と見えた女達はみな鬼の正体を現し、まさに食いかかろうとするところ。あわてて飛び起きると、手には不思議の太刀。夢じゃなかったのか!とばかりに、斬って斬って斬りまくる。そして見事に?鬼を退治した・・というお話です。
 このほかにも、女性のほうから誘われたのではなく、維茂が、美女を見つけて宴席に誘い、酌をする女の顔が杯に映ったところ、それが鬼の姿だったので斬り捨てたというパターンもありますが、誘われるにしろ、誘うにしろ、まあ、美女には弱かったのですね。
 この鬼退治をした太刀は小烏丸という名前で、神霊から授けられたのではなく、平家に伝わる神武天皇!ゆかりの名刀だという伝説があります。切っ先が諸刃になっている恐ろしい刀です。
2008-10-23

白蛇の精

白蛇の精(男)

 中国の「白蛇伝」では、白い蛇は女性で、人間の男との恋路を、僧侶によって妨害されるのですが、中国の伝奇小説の影響を受けた雨月物語の「蛇性の淫」も、女の蛇です。
 しかし、男の姿をした蛇もあって、これは今昔物語の中にある「蛇と百足の闘う島」に登場します。
 大時化に巻き込まれて、どこともわからぬ、とある島に漂着した漁師の一行を手厚くもてなしてくれた、島の主と思しき、白い狩衣姿の貴人が「今夜、長年の怨敵が攻め寄せてくるので加勢を頼めまいか。敵は海からやって来て、この崖を上ってくるので、矢で眉間を射てほしい」と頼まれます。
 そして夜間に海からやってきたのは、海面に巨大な眼光を二つ光らせて泳ぎ来る怪物で、なんと大百足! 
 その恐ろしさに男たちはびびりますが、島の崖の上からこれまた巨大な白蛇が出てきて、迎え撃ち、闘い始めます。
 壮絶な二大怪獣!の決戦に、恐れおののくものの、弓の名手が、百足の眉間を射抜き、力の弱った百足は、蛇に身体を締め上げられて引き千切られ、海の底に沈んで行くのでした・・。
 歓声を上げる男たちのところに、先の島の主が、よれよれになって(ここんところがなんだか可愛いのですが)、お礼を述べに出て来て、順風を吹かせて皆を帰郷させたのですが、その後、いくら探してもその島はとんと見つからなかった・・というお話です。
 古代の三輪山の神も白蛇で、人間の女性の下に通うのですから、本来、蛇の神は男だったかもしれませんね。
 いえ、「アルスラーン戦記」の「蛇王再臨」を読みまして、日本の蛇神は、あんなにおぞましくなくて、もっと雅だぞ・・なんて思ったものですから・・・。
2008-10-18
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