ロベスピエールとサンジュスト

ロベスピエールとサンジュスト

 マクシミリアン・ロベスピエールは、縞の上着で描かれることが多いですね。
 ミラボー伯爵を出したら、やはり、革命のしめくくりとしての、この人物は出さねばなりません。
 勿論、同時代の人間ですから、お互い知り合いですが、その出自といい、環境と言い、違いがあったからこそ、それらの人間がシャッフルされて、とんでもない時代だったんでしょうねえ。
 ロベスピエールとくれば、もう、「恐怖政治」という文字とギロチンがワンセット。
 情け容赦もなく、友人も同志もなく、反革命的の一言で切り捨てたがために、自身もギロチンにかけられた・・というところでしょうか。
 しかし、佐藤賢一「小説フランス革命」を読むと、ロベスピエールの外見と内面はあまりにも違う・・という設定をしていて面白かった。
 潔癖症で融通がきかず、人の気持ちがわからない。自分が理解できる物事の範囲が狭いので、追い詰めたり論破しても容赦がない。
 勿論、聡明なので、なんか違うなということは彼自身も気づいており、それ故に他人を恐れるのだけれど、やはり、自分の理論で押し通す。そのあまりに潔癖なところが、革命を苛烈なものにするんですね。哀しいですねえ。
 この小説では、サン・ジュストが、このロベスピエールの「純粋さ」にほれ込んでいて、結局、殉死する・・みたいなところのもっていったのが、ちょっと面白かった。
 9歳も年下なのに、妙に大人びてるんですね。どちらかというと、保護者的な・・。
 こういう解釈も面白いかなと思って、サン・ジュストは前にも出ていますが、今回、並べてみました。 
 ロベスピエールは服装や髪形(鬘)に気を使っていて、サン・ジュストは、あまり頓着がないのですが、現代人の目で肖像画を並べると、サン・ジュストのほうが、さりげなくておしゃれに見えます。
2015-08-10 21
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ミラボー伯爵

ミラボー

 何度もどこかでお目にかかる・・というか、フランス革命に関連する人物で、ある意味、絶対にハズせない御仁ではあります。
 オノレ・ガブリエル・ド・リケティなんて長ったらしい名前より、ミラボーで通じる人です。
 もともとは侯爵家の子息ながら、跡取りでなかったことからか、自由気ままで、多額の借金や放蕩などで名を馳せ、父ミラボー侯爵によって何度も塔や城に監禁された・・というのですが、これが、まあ、水も滴るような美男ででもあれば、頽廃的なドラマの主人公で、芝居や小説になっていたかもしれない。ですが、それなら、そこで終わりなんです。
 彼はそんな器に収まらない人物で、まず、一度見たら忘れられないという強烈な風貌。
 大きな顔に存在感のある鼻。ギョロっとした目にぎゅっと引き結んだ口。幼少に罹った疱瘡あとの黒い斑点が顔中に散らばる。
 彼の風貌が醜かったために実父に嫌われたという説もあるくらいで、後に、実力者であったにもかかわらず、マリーアントワネットに嫌われ、御目通りもかなわなかったというのも、この顔のせいとか。
 でも、同じ理由で、ルイ16世には好かれたのかも? だって、王妃に近づく美男なんて願い下げでしょう?
 このような風貌でも、女性には絶大な人気があって、それ輪をかけて男性に人気者。
 どこかカリスマ的な「人たらし」みたいな才能があったんでしょうねえ。
 そういうミラボーの魅力は「小説フランス革命」(佐藤賢一・集英社文庫こっちにちょっと書いてます)で語られるんですね。
 本当に、これに出てくるミラボーは、カッコいい。
 もしも、彼がもう少し生きていたら・・とか、病気にならなければ・・なんて思わせるのも、まあ佐藤さんの筆力でしょうけど、本当にミラボーなら、フランス革命を安全に着地させられたかも・・って思わせるのは「死せる英雄」だからでしょうねえ。
 のちに、秘密文書が発見されてその名声は地に落ち、パンテオンの遺体は引きずり出されてゴミ捨て場に捨てられたということですが、それもまた、この英雄の運命としてはドラマチックじゃあないですか。
 絵柄はグロいながら「ナポレオンー獅子の時代」(長谷川哲也)に登場したその場面で、ゴミ捨て場のミラボーの骨が笑っているようだ・・というのはある意味当を得ているかも。
 で、そのミラボーの肖像画なんですが(巨人の沢村に似ている・・というウワサはともかく)、たいていは、かなり美化しているハズなのですが、したたかそうな大きな顔を前面に押し出すタイプです。
 ところが、かのダヴィッドが、下絵ながら、かなり「美男」のミラボーの横顔を描いているんですね。
 ダヴィッドといえば、勿論「マラーの死」で有名です。
 思想や演説はともかく、その風貌は、ラクダみたいなブサイクな顔で、しかも全身皮膚病で汚い男と評判のマラーを、まるでピエタのキリストのように美化した。
 このダヴィッドの筆にかかれば、あばた面で、首に瘤取りじいさんみたいな大きな瘤があり、小太りのミラボーが、すっきりしている。
 身体は後ろ姿にして、黒いコートの襟もとにクラバットもりもりで首元を誤魔化し、やや上向きの突き出した頤やら太い首が完全に隠れてる。さすがですねえ。
 ダヴィッドの絵は、芝居がかったポーズをして上を向き、手を上に上げているんで、死の床に横たわる・・というイメージに変換してみました。この方で1980人目になりました。
2015-07-25

一角獣の貴婦人2

一角獣の貴婦人(青)

 引き続いてクリュニーのタピスリーの貴婦人です。
 これは「聴覚」の貴婦人で、オルガンを弾いている貴婦人から付属物を省略しました。
 勿論一角獣も省略です。この女性は、やや小型のポルタティーフオルガンを机の上に載せて弾いているところで、対面する位置に侍女がいますが、これはあるじの弾くオルガンのふいごを操作してお手伝いをしているのです。
 この貴婦人は、修道女の被り物が起源と言われるベールのついた帽子をかぶっていますが、二つに分けてまとめた髪を後頭部から前に回しててっぺんで結わえるという髪型は、このタペスリーのほかの女性にもあるので、こういったヘアスタイルが当時流行っていたのかもしれません。
 宝石のついた縁取りをつけた上着は、シュルコ・トゥベールという、大きくあけた袖ぐりから、下に着た衣装や装飾用のベルトなどを見せる着こなしをするものです。
 今回も背景は、ミル・フルール(千花紋)の代わりに、江戸時代後期の公家の女性の夏衣装です。紺地の折枝文様の帷子。梅や菊、蘭に藤などが刺繍されています。
2013-09-17

一角獣の貴婦人

一角獣の貴婦人(赤)

 かねてより話題の「貴婦人と一角獣」のタペスリーを見てまいりました。
 西洋版壁代なのだから、デカいとは思っていましたが、それぞれの絵柄が思っていたより大きかった。
 しかし、貴婦人やら、周りの花紋などはけっこうこじんまりしていましたね。
 遠くから眺めると絵柄の凝り具合がわからないので、これは近くよってみるものでしょうね。
 そうすれば凝りに凝った貴婦人の装身具やら衣装の文様もはっきりわかる。
 勿論、五感だと言われ出したのは最近のことなので、製作当時のこのタピスリー購入者が、なんと呼んでいたかはわかりません。
 図柄が、一角獣を高貴な処女によってとらえるというような「一角獣狩り」であることや、女系に伝えられたということも考えると、いわゆる嫁入り家具ではなかったのでしょうか? 
 それぞれの貴婦人の顔が微妙に違うのですが、別に、女性を個別にかき分けたいというのではなく、繊細な色合いで、豪華な衣装を区別したいのではないか・・とも思われるので、これは、なんだか衣装比べみたいな感じがしないでもない。
 一角獣や、各々顔立ちの違うライオンなどは、さしずめ、この女性につき従う取り巻き男といった役どころかも。
 その中で「触覚」と言われている、女性像から、付属品(一角獣には失礼ですが)をとってみました。
 当時はあざやかであったろうと思われるブルーの衣装です。
 背景は江戸時代後期の武家の姫君の打掛文様から。
 梅や菊など四季の花づくしが妙にマッチしません?
2013-09-14

アンリ四世

アンリ4世

 とある日、阪急吹田の駅で待ち合わせをしていた時に、通路にぼ~っと立っていた時、なにやら横から視線を感じて振り返ると、この方と目があってしまった。「南蛮美術の光と影」という神戸市立美術館の展示ポスターです。それから、しばらくあちこちの駅で、しばしばこの人と目があう! 誘うような、物問いたげな、ミステリアスな視線。調べてみると、アンリ4世ではありませんか!
 え~! アンリさんって、マルゴの旦那だよねえ。それに、あのルーベンスの仰々しい絵でおなじみのデブのマリー・ド・メディシスが後妻だよねえ・・ってことで、興味深々。
 ということで、この「泰西王侯騎馬図屏風」の展示を見に行ったのですが、まあ、この絵が実は、世界地図に書かれた小さな絵図を参考に、40倍に拡大して、巨大な独立した大作にしたということで、その製作過程などがいろいろな研究で明らかになりつつあるというのは、これまた、なかなかに面白い。
 そのなかの黒い馬に乗るアンリ4世とされる人物。
 彼だけが王冠をつけ、彼の馬だけが、紋章が入っている装具なのでそれとわかるみたいなのですが、モトネタとされる「万国絵図屏風」と「泰西王侯騎馬図」は少し色合いが違うし、馬の雰囲気も違う。
 顔つきも丸顔で、よく知られている、面長で鼻の長いアンリ四世の薄笑いを浮かべた肖像画とはかなり雰囲気が違って可愛い。この屏風が世界地図の絵を参考にして日本で描かれたなら、日本人画家が本物のアンリ4世の肖像がなど知るはずもないので、しょうがないのですが、このミステリアスな表情は、なかなか。
 ということで、和風アレンジ?された屏風絵風のアンリ4世です。
 泰西王侯騎馬図では、濃い緑色のマント(万国絵図では朱色のマントに黄色い服)ですが、この屏風には緑色を二種類に使い分けているので濃い群青ではないか・・と思ったので、フランスの王様の色の青にしてみました。
 髪の色も本来はもっと明るい色を使ったの絵はないかと思うので、金髪にしてみました。
 しかし、アンリ4世の肖像画に、この絵の目つきに、少し似たものがあるのですよ・・。
 髭も蓄えていない若作りで、最初の妻マルゴと結婚して王位についた頃だと思われるので、即位式用のハーフアーチと帽のついた王冠をかぶっていますので、私もこの王冠をかぶせてみました。
アンリの顔

平和

平和

 フランス革命の頃、さかんに観念の寓意像が流行りました。
 アメリカにおくられた自由の女神は、今もニューヨークのシンボルです。
 今回は、平和の寓意像としての女神です。
 手にオリーブの枝を持っています。オリーブは、ノアの洪水がおさまったのち、箱舟から放たれたハトが持ち帰り、洪水後の地上に最初にあらわれた「生命の証」で、神と人間との和解の印だとされています。
 世の中が平和でありますように・・・。

フランソワ一世

フランソワ一世

 フランスではとても人気のある王様の一人だそうです。
 趣味がよく、話がうまくて美男子(?)。この人の顔と言えば、のろっとしたカーブを描いた長い鼻と、スケベそうな笑みを含んだ目つきで有名な肖像画がたいていどこでも出てきます。
 もともと王子ではなかったのだけれど、息子のいなかったルイ12世の跡をつぐことになったんですね。
 ルイ12世の娘(従姉妹にあたる)と結婚したのも勿論その布石でしょう。
 この逆玉の王様が、入り婿らしく大人しかったか・・といえば、まったくそうではなくて、なんだか好き放題で、豪快な感じがするのは、権力を握ったものが一度はハマる建築趣味やら、美術品好き、戦争好き(スペインのカール5世とは、宿命のライバル)、という面もあるし、もちろん女性関係も華やか。
 王妃クロードとの間に7人もの子供があったのですから、それはもう「婿」の役目は十分に果たしています。
 愛人は、フランソワーズ・ド・フォワのあとにエタンプ夫人。そして、息子のアンリ2世と共同?のディアーヌ・ド・ポワティエですね。
 王妃の死後、スペインから妃に迎えたアリエノール(ファナの娘)は、スペインに捕虜として囚われていたフランソワ1世に惚れ込んで結ばれた・・というお話もあることから、やはり女性にはモテたんでしょうね。
 女性だけではなく、「芸術家」とイタリアが大好き。
 だからイタリアに攻め込むし、ダヴィンチやら、ロッソ・フィオレンティーノなども呼び寄せ、ほかにもたくさんのイタリア人芸術家が、この人の豪快な夢の実現のお手伝いをしています。
 有名な肖像がではなく、彼が招いた芸術家のひとりチェリーニが作ったメダルの「ローマ皇帝」の扮装?をした横顔から。原作は銅とか銀の金属ですが、「皇帝」ですから大理石風?で・・。 
2011-12-16

大法官の従者

大法官の小姓たち

 17世紀の半ばのフランスといえば、ルイ14世治世の、はなやかなりし時代です。
 そのころもてはやされた宮廷画家であった、シャルル・ルブランの絵に「大法官セギエ」の肖像画があります。
 当時、芸術の庇護者で、収集家でもあったピエール・セギエの騎馬姿の肖像がでありますが、ただ馬に乗って威儀を正す主人公・・というのではなく、その周りに華やかな制服を付けた8人の従者を従えているのが、特色です。
 騎馬像は、本人の雄姿であったり、持っている名馬が主人以上に「立派」で、画家も気合が入っていたりと、なかなか面白いのですが、この大法官の場合は、ご本人は、帽子をかぶり、長衣の上に布地たっぷりの立派なマントのいでたちですが、ロングなので、見えているところは顔と手だけ。
 しかも、馬まで、あまりに大仰で、豪華で派手な緞帳のような「衣装」を着せられて、これまた、見えているところは、首だけ(この首も、ちょっと迷惑そうな顔をしているところが愛嬌です。馬に衣装はいりません)。
 この肖像画の本当の主役は、やはり、馬の周りに付き添う8人(画面に見えているのは6人ですが、後ろ側に2人いるのは下から見える揃いのくつでわかります)の、若き従者たち
 制服は二種類あって、どちらも、金糸をふんだんに使ったゴージャスな装い。
 おそらく、大法官ご自慢の小姓たちなのでしょう、揃いの美服も、美脚も、ともに見せびらかしたい・・というところでしょうか。
 ピエール・セギエさんにあったことがないので、この絵が似ているかどうかはわかりませんが、顔立ちは気取った田舎のおっちゃん風の、ややダサめのお方ですが、取り揃えた小姓は、なかなかにハイレベル。
 特に、手前に並んだ3人は髪のお手入れも十分行き届いているみたいです。
 大法官の絵なのですが、閣下は省いて、違う衣装の小姓を二人、私風に描いてみました。
2011-09-27

フーシェ

フーシェ

やはりジョセフ・フーシェは、その「陰険」「目立たない」「さえない」「辛気臭い」「悪辣」「冷酷」「無節操」等々、さまざまなマイナス要因だらけながら、とても重要人物なのは間違いないでしょうね。
 とうとう「ナポレオン・フィーシェ・タレーラン」(鹿島茂・講談社教養文庫)を読んだのですが、ここで述べられるところの「情念」についていうならば、フーシェが一番純粋だったのかもしれません。
 タレーランは、まあ、移り気、浮気、飽き性などの「蝶々情念」の持ち主ではありますが、勿論「陰謀情念」も多分に持っているわけで、貴族という生まれや聖職者という出自、足が悪いという障害がありながら、人を凌駕する教養や優雅さなど、複雑な人物ですし、ナポレオンは・・・・何かにつけて突出しているというか、つきぬけているので「熱狂」だけでは治まらない人物です。
 フーシェこそ、「陰謀」オンリーの人で、もともとは気球を飛ばしたりする自然科学の人でありますから、感情に左右されることもないのでしょうね。その上、家庭生活では、清廉潔白で、凡そ他から「色仕掛け」なんかの通用する人ではなさそう。
 お互いの?ファンの人からはしかられそうですが、諸葛孔明がホンモノの「職業軍師」であるならばよく似ていませんかねえ。
 けったいな機械をこしらえた理科系の策士で、共通して「ブサイクな」妻だけを愛して、よい夫、よい父親だったってところなど、どーでしょう。でもまあ、孔明さんは、所詮「職業」軍師ではなかったのですが・・・。
 フーシェは「職業スパイ」ですので、マンガなどでは、いかにも陰険な顔つきに描かれるのですが、肖像画で見る限り、特に「感じの悪さ」などはないし、顔に個性の表れない「影の薄い人」ですので、その目立たなさかげんが、彼の「真価」を隠すのに大いに役立ったのかも。
2011-02-13  

ジョセフ・ボナパルト

ジョセフ・ボナパルト

 ボナパルトという名前からも分かるように、この方は、ナポレオンの兄弟です。
 ナポレオンには7人の兄弟がいて、3人のややこしい妹と、これまた3人のややこしい弟がいましたが、このジョセフさんは、唯一ナポレオンの年上の兄弟。
 しかし、頼りない父親のカルロが死んだ後、士官学校に行っていた弟のナポレオンが、一家の中で唯一の職業人だったので、家長となってしまい、結局この一家の長男は、弟の命令で、職業から、結婚からすべて決められるハメになります。
 というのも、弟といっても、なにしろ天下のナポレオン。子供の頃から性格が強烈だったし、兄ちゃんはおとなしいし、年上といっても、たったの1年違い。しょうがないですよね。
 以後、前代未聞の出世街道をひた走る弟の「部下」のようになって、色々と協力をするわけですが、位人臣を極めるところか、ついに「帝位」にまでついてしまった弟君は、兄を手駒扱い。
 ナポリ王にしたと思ったら、今度は妹婿の都合でスペイン王に変更したりと、まあ勝手放題。
 統治なんてとっても難しいスペインで、ホセ1世としてまともな王様になろうとしても、上手くいかなければ、気の短い弟がやってきて「アニキは役立たずだ~!」と蹴散らして無茶苦茶するわ、方針は変えるわで、わめき散らして去ってゆくから、反乱が起こって命からがら逃げ出す始末。
 そして、結局、自滅して行く弟の大ばくちに巻き込まれて、ふりまわされて気の毒ですね。
 「無能」よばわりされるジョセフさんですが、大仰な国王然とした肖像画など見ても、影が薄そうで、似合わない黄金の玉座で、毛皮のローブを着て王錫など持ってみても、盛大なタメイキついていそうです。
2011-02-11

モルニー プランプラン バレフスキ

三人組(ナポレオン3よ)

 もるにー ぷらんぷらん ばれふすき 
 って何じゃこりゃ?
ミョーなタイトルになってしまいました。
ナポレオン フーシェ タレーラン」(鹿島茂・講談社学術文庫)のマネをしてみたけれど、ゴロが悪いですね・・。
ナポレオン三世ー第二帝政全史」(鹿島茂・講談社学術文庫)を読み、興味深い、皇帝の親戚を並べてみました。向かって左から

 シャルル・ド・モルニー
 ナポレオン3世のクーデターの立役者。内務大臣。皇帝の違父弟(!)。ということは、母であるオルタンス・ド・ボーアルネが、浮気して作った子供。相手は、大ナポレオンの副官を勤めていたフラオーという人物ですが、この人がまたタレーランの庶子。ということは、じいさんがタレーラン。ばあさんがジョゼフィーヌという豪華?な血筋です。

 プランプランことプリンス・ナポレオン
 この人は、ナポレオン3世に子供がなければ第二皇位継承者の地位にあった人。
 マチルダ皇女の弟ですから、大ナポレオンの弟ジェローム・ボナパルトの息子。
 ウージェニー皇后が王子を産んだとたんに、皇帝にさからうなんて分かりやすい人物ですね。
 イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の娘婿

 アレクサンドル・ヴァレフスキ
 ポーランド出身。マリア・ヴァレフスカと大ナポレオンの間に生まれた庶子
 ポーランド独立運動に関わって、フランスに亡命。
 大統領になったナポレオン3世のもとで働き、皇帝即位後、外務大臣。大ナポレオンに、大層、声と顔が似ていたので外国人には、皇帝と間違われたという話も。正真正銘のナポレオンの血筋ですからね。
 日本が安政5年に結ばされた、日仏修好通商条約の時には、彼が外務大臣だったそうです。

 久々に鉛筆で描いてみました。
2010-12-14

マチルド・ボナパルテ

マチルド・ボナパルト

 本日12月12日で、このブログが6年目を迎えました。本当に、訪問して下さる皆様方のおかげです。近頃は更新も少なめになってきているのですが、なんとかぼちぼち続ける所存ですので、今後ともどうぞよろしく。

 本日は、マチルド王女、つまりマチルド・ボナパルトです。華やかな第2次帝政の花で、サロンの女王で、ウージェニー皇后とライバル・・というか、皇后が大嫌いだったのですね。
 名前からもわかるようにボナパルト一族。
 ナポレオンの末弟ジェローム・ボナパルトの娘でナポレオン3世の従姉妹にあたります。後のナポレオン3世 つまりルイ・ナポレオンは、20代で初めてこの従姉妹に出会い、女性の肩と胸が大好きだった彼は、大胆なデコルテの美しい彼女に猛烈にアタックします。
 これには、ルイ・ナポレオンの母親オルタンス(彼女はジョゼフィーヌの娘)と、マチルドの父ジェロームの共同謀議で、オルタンスは、スケスケの衣裳を彼女に貸したらしい。
 ジェロームは借金で首が廻らないし、オルタンスは、マチルドの母方の血筋に各王家がいるので、大いに乗り気になった。
 唯一反対だったのが、弟の家の財産状況を知っていたルイの父親のルイ・ボナパルトでした。
 しかし、本人ルイが、ぞっこんで、婚約しますが、何を血迷ったか、思いあがったか、そのすぐ後にルイは、軍隊で反乱を起こし、失敗して投獄ということになります。これで婚約はおじゃん。
 この後、ロシアの大富豪で、熱烈なナポレオンファンであったデミドフ伯爵があらわれ、沢山の宝石と贈り物で攻勢をかけ、彼女は嫁入りします。あきれたことに、この時デミドフが贈った宝石類は、花嫁の父ジェロームから莫大な金額で買い取ったものだそうです。パパは、よほど、お金に困っていたのでしょうね。
 この結婚はうまくゆかず、すぐに夫婦ともに愛人を作って、勝手気ままに暮らすようになりますが、あるパーティで、マチルドと夫の愛人が大喧嘩になり、その時、デミドフ伯爵がマチルドを平手打ちするという事件がおこったそうです。
 これが裁判沙汰になり、結局ロシア皇帝のニコライ1世(母方の親戚)の仲裁で決着がつき、彼女は莫大な慰謝料をせしめ、宝石類も返さず、パリでサロンを開き、愛人と暮らしました。
 後に、ルイ・ナポレオンが皇帝になると、彼女は、皇后代理のように協力し、従兄弟を支えましたが、彼女のサロンに出入りしていたスペイン貴族のダサい娘が、皇帝の心を捉えます。
 それ自体は彼女にとって別に悪いことではなく、女好きなルイのために色々な女性を紹介までしたのですから当然です。
 ところが誤算だったのは、その娘の母親が厳格なカトリックで、結婚を前提としなければ「おつきあい」してはいけないと言い出した。このエウヘニエ・デ・モンティホーというスペイン娘がどうしても「欲しい」皇帝は、本気で結婚。
 彼女はウージェニー皇后となります。
 なんてことでしょう! とマチルドが怒り狂い、以後生涯の敵となります。サロンの掟破りということなのか、それとも密かにルイを自分の男と思っていたのに、スペイン女なんかに掻っ攫われて悔しいのか、彼女のサロンは反皇后の女の砦となります。
 ここんところ、やはり彼女もボナパルト家の女なんでしょうね。ユージェニーはジョゼフィーヌのような立場です。
 マチルドの絵は、ヴィンターハルターの肖像画があるのですが、中年以降、肥満していたといわれる彼女を、思いっきり美女化していると思うけれど、眉目のしっかりしたところ、引き結んだ口元など、こころなしかナポレオンに似ているような気がしません?
 ナポレオン3世については、こっちにも書いています。
2010-12-12

グリーンマン(葉人間)

グリーンマン

  ロマネスク時代に現れ、ゴシックの大聖堂にも、柱頭に人間の顔がならんでいるのがあります。ケルト的色彩の強いもので、かつての首狩による人頭崇拝の変化したものだ・・という、いささか無気味な説があります。
 それらの「首飾り」のなかで、グリーンマン(葉人間)と言われる、顔から葉っぱが生えたのがいます。
 色々な形態があるようで、造形が面白いので、それらを集大成した本もあるほどですが、ケルトの森の神ケルヌーノスが、ローマ神話のシルヴァヌスと習合して出来たものであると言われています。
 本来は、森の動物を手に持つ、狩猟の神にして森の女神アルテミスのような姿であったそうですが、口から葉が出たり、髭や髪が葉っぱのようであったりしたのが、顔中葉っぱだらけのスタイルになりかわったみたいですね。
 自然破壊が進む昨今・・森の神はいかに思うのでしょうね。
 フランスのゴシックのオーセール大聖堂のグリーンマンの写真が、なにやら物悲しげだったので、ちょっと目玉を入れてみました。あ・・もとのは柱頭装飾なので、「首」だけですし、色もありませんが・・。
2010-12-02

黒い聖母

黒い聖母

 先日、古本屋あさりをしていて、美術書や、美術系のムックのような大判の本が沢山安売りしていたので、買った本の中に、「黒い聖母」の特集がありました。
 フランスの山岳地帯を中心に、あちこちに「黒い聖母」があるのは有名で、あえて、聖母が黒い顔をしているので、エジプトの女神イシスの伝播したものだという説があります。
 もともと、偶像を持っていなかったキリスト教が、イシスがホルスを抱く神像をもとに、赤ん坊のキリストを抱いた聖母子像画できたと言う話も聞きますよね。
 そのようなキリスト教の図像学に首をつっこむと大変なことになるのですが、「黒い聖母」が黒いのは、日本の古い仏様の如く長い間のお線香や、蝋燭のすすが顔についてしまって真っ黒けになっているだけだという説まであって、どうもわけわかりません。
 ですが、山奥の教会は、素朴な大地信仰を引き継いで、大地の豊穣の女神をマリアさまにした・・というあたりが、多神教の日本人としてはわかりやすいのですが・・。山にいる大母神だと「山の神」かも・・。
 フランスのオーベルニュ地方、ル・ピュイの聖母は、十字軍に行った、かの聖王ルイがエジプトから持ってかえって来たという、これまたいかにもな「由緒」があったのですが、フランス革命の折、革命派が「教会権力の象徴マリア像」を広場で、焼いてしまったそうです。
 現在は復元された像が祀られていますが、いかにも異国風な顔立ちをしている気がします。ル・ピュイの聖母風に・・。
2010-11-30

ルイ18世とシャルル10世

ブルボン兄弟

  「フランス革命の肖像」(佐藤賢一・集英社新書ヴィジュアル版)というのを見まして、著者が、「顔というものは想像力を刺激される」と言っておられるけれど、まさに「顔」は興味深いもので、その故に私なども肖像画って、けっこう好きなんですよね。
 で、80人ものフランス革命時代の肖像画を集めたのがこの本ですが、有名なもの、出来のいいもの、そうでないものを全く平等に集めて、すごい時代の個性的な面々が集まっております。
 男性の髪型が革命の前後で変わったとも前書きで書いてあったけれど、髪型のみならず、服装も男女とも大きく変わった時代ですので、やはり個々の「顔」こそが面白いです。
 で、その中で私の興味をひいた二人。
 ルイとシャルルの二人は、顔の形はあまり似ていませんが兄弟です。
 赤い唇のぬれぬれした感じが似ています。れっきとしたフランス王家の王子様(ルイ16世の弟)でしたが、革命の嵐にあって、ナポレオン時代を経て、ブルボン本家の最後の王と、最後から二番目の王ということになってしまいました。
 ルイ18世は「きわめつきの嘘つき」だそうですが、そう言っているのがタレイランだからなあ・・・。まあ、そこそこ「したたか」ではあったのかも。勿論不人気でした。
 シャルル10世については、若いときはハンサムで、女性との噂が絶えず、マリー・アントワネットの「寵臣」であったとか、軽薄なイメージですが、いち早く国外に逃亡して、捲土重来をはかる、これまたしたたかな人物。
 彼の息子の嫁がマダムロワイヤル、マリー・テレーズです。
 まあ、時代に翻弄された悲劇の王族・・というよりは、描いてみると、いかがわしげに見えるのですが、まあ、私の先入観が入っているからかも・・。あ・・この兄弟は、決して「仲良し」ではありませんでした。
2010-07-07

闘うカプチーノ

フランチェスコ僧

 カプチーノというのは、カプチン派の僧のことで、彼らが被っているカプッチョ(帽子です。ダジャレじゃありません。土佐弁で言えば「かぶっちょるカプッチョ」ですが)に由来する呼び名なのですが、すぐイメ-ジするのが、彼らの名前が由来のコーヒーですね。はげたようなこげ茶色の僧服が、ミルク入りコーヒーを思わせるのだそうですが、実物は、もっと濃い色の服を着ていたような気がします。
 さて、フランシスコ会の一派のカプチン会ですが、成立は16世紀初頭ですから、実際にコーヒーがヨーロッパで一般的になるよりは100年近くも前からあったのは事実です。
 ちなみに、コーヒーが西欧世界で広まるために、ローマでちょっとしたイベントがありました。
 もともとアラブ世界から来た飲み物ですので、「イスラム教徒」?かもしれないので、時のローマ教皇が洗礼!をして、晴れてキリスト教に改宗し、安心して広まっていったとか・・。なんだか大層ですね。
 で、「闘うカプチーノ」ですが、これは、本来宗教家らしくないスタイルで、鉄砲をかついで剣を帯びた姿は、誰と戦うのか。
 ユグノー戦争と呼ばれる新教、旧教の対立がおこったフランスで、ギーズ公アンリが後ろ盾となって作ったカトリック同盟(旧教同盟とも訳されます)の僧侶達が、パリでデモンストレーションをしました。その様子を描いた絵画の中に登場する人物です。
 一応十字架をもっているけれど、武装しているのみならず、修行が厳しいはずのカプチン修道会の僧にしては、なんだか肥満して、美食してそうだし、年中素足にサンダルしかはかないはずなのに、靴をはいているし、なんだか面白いじゃないですか?(まさか力士の変装?・・・) 腰からは鉄砲装備の火薬入れや火縄とおぼしきものまで下げているれっきとした鉄砲隊のいでたちです。
2010-07-03

サド侯爵

サド侯爵

 最近、目の調子が悪いので、パソコンを少々自粛ぎみでした。
 といっても、まあ、もう大丈夫なんですが、本日はサドです。
サド・・つまり、サディズムといえば、苛めて喜ぶ性癖を表わす言葉として、一般的になっています。
 勿論、マルギ・ド・サド(ラウラの子孫ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド)の、センセーショナルな「行動」と、背徳的な文学がその言葉の理由となっていますが、74年ほどの生涯のうち30年以上を、どこかしらに幽閉されて・・いや、当時の社会が、閉じ込められねばならないと恐れられた人物です。
 もともと、彼は、不品行、浪費癖のある若者であり、貧乏貴族の侯爵家にとっては、跡継ぎながら厄介者。
 そして、パリの裁判所所長のモントルイユ家が、裕福ながら門閥がないので、見てくれだけは、なかなかに良い、この貴族の不良青年を、娘婿にすることにします。
 サドにとっては、うるさい父親の手から逃れる手段として結婚したのですが、今度は、一筋縄ではいかない手ごわい姑モントルイユ夫人の手に落ちた・・ということになります。
 まあ、この姑と、その娘とは思えないほどのけなげな嫁や、その妹などなかなかに面白い女性が廻りを取り囲みますが、それは色んな文学作品があるので、まあおいとこう。
 結局、彼は既婚であろうが未婚であろうが、当時の社会通念の良識からは受け入れられないような「恥知らず」な性的嗜好を持っている・・ということで、幽閉の憂き目を見ます。
 現代になってから、彼の文学や、その行動は評価されるのですが、あくまで本人は、「良識と権威なんかくそくらえ!」な人生だったんでしょうね。
 彼の不品行と言っても、今日的には、女性を鞭打ったり、男性と乱交したり、教会の権威を貶めたり・・ってことて・・・話だけでは、皆驚かないんじゃあないでしょうか。まあ・・それも、彼の「功績」か・・・。
2010-06-11

ラウラ

サドの先祖

  詩人のダンテが、理想の女性と持ち上げて有名になったのは、ベアトリーチェですが、この人は、文学上のアイドル美女となりました。
 同じく、詩人ペトラルカが、理想の女性として詩を捧げ、二十年にもわたる「片思い」を延々と寄せられたのは、ラウラ・デ・ノヴェスという女性です。
 この人の場合は、ダンテのように早熟の恋(ベアトリーチェに会ったのがともに9歳。9年後に再開して、彼は燃え上がる)ではなく、下級聖職者であった20代のペトラルカが、教会のミサに来ていた貴婦人を見初めたのです。この時ラウラは、すでに結婚していて、子供も2.3人いたかもしれません。
 それ以後、色々と彼女を褒め称える詩を書き、一方的に恋心を寄せるのだけれど、彼女のほうが、どう思っていたかはわからないですね。貴族の夫人として、自分を称える詩人などは、アクセサリー程度だったのかもしれません。ペトラルカが熱を上げていた20年間に、夫との間に11人の子供を持ちました。
 彼女が、文学上のアイドルとしてはベアトリーチェに負けている?のは、まあ、ベアトリーチェが24歳で若死にしたということともありますが(ベアトリーチェも、結婚して子持ちだったし・・)、ラウラの子孫に問題ありなのかも・・。
 といっても、14世紀の人である彼女より400年も後の人物です。ラウラの夫は、ユーグ・ド・サドといい、その子孫がマルキ・ド・サド侯爵です。
2010-06-08

ポール・バラス

バラス

  バラスとくれば、今はもう私個人の頭の中には、長谷川哲也氏(「ナポレオンー獅子の時代」)描くところの「包帯グルグルで義手で、ぎゃっ ぎゃって笑う、下品なおっさん」しか思い浮かびませんでした(とっても毒されていますが、バラスで画像検索すると絶対、この包帯男が登場します)。
 ところが先日、宝塚を見に行って、「美形の」バラスが登場したので、びっくり仰天・・で、あらためて、考えてみれば(当たり前なのですが)根性や行動はともかく、クーデターをやって総裁政府をこしらえて牛耳った、とにもかくにも、ひとかどの「人物」なのかも、と考えたわけです。
 勿論えげつない「悪徳の士」であったことは当然ですが、その「悪」に魅かれて集まったのは、野心的な男たちばかりでなく、かのタリアン夫人や、ジョゼフィーヌのような女性もいたのですから、そこそこ、見てくれは悪くなかったのではないか・・。
 で、肖像画を見てみれば、おだやかなオジサマ風・・うん・・そうかもしれない。ということで、本日はバラスさま。ポール・フランソワ・ジャン・ニコラ子爵でございます。実生活は、「ほうる、バラす」の連続で・・・すみません、しょうもないダジャレで。
2010-06-02

フィリップ善良公

フィリップ善良公

 世の男の服装において、黒の美学なるものは、いまだにその流行は衰えません。黒い服こそカッコいいとして、下着から靴下・ハンカチまで、あらゆるものを黒にしている人までいるとか。
 さほどもてはやされる「黒」は、もともとはヨーロッパの中世では、醜くて、汚い色とされていました。まさしく葬式や僧侶の色というようなイメージだったのでしょう。
 ところが、この色を身にまとって、黒のダンディのはしりとなったのが、ブルゴーニュ公国のフィリップ3世
 もともとは、父親のジャン公が暗殺されたので、その喪に服するために生涯喪服を着ていたから・・というのがその理由だそうですが、当時の公は、100年戦争時の実力者として、イングランドと手を結び、フランス王国を左右するような立場だったので、勿論、修道士が着ているような粗末な黒い服装をしていたのではありません。上等の布地、上等の装飾品をつけていたわけで、むしろこれにおいて黒のファッション性が、認識されたともいえましょう。
 この「黒の美学」は、後の世代にも引き継がれ、曾孫にあたるフィリップ美男公(女王ファーナの夫ですね)などを通じてハプスブルグに伝えられたとか。
 そして黒服のダンディといえば、もうやはりスペイン。ハプスブルグですよね。
 ここに至って、男の黒はカッコイイということになり、スペインから、イタリア、そしてフランスへと伝わって世界的な流行になったそうです。
 この黒のフィリップ公は、歴史的には、かのジャンヌダルクを捕らえてイングランドに引き渡した人ですね。
 エノー年代記の挿絵の服装で、若作りしました。父の喪に服するなら公位をひきついだ24歳に遡ると思うので・・。
2010-04-10

ヒュー司教

ひゅー

 ヒューと言えば、異教徒の祭礼のためにキリストと同じ殺され方をしたとされて、聖人にまつりあげられた子供ですが、もう一人の聖ヒューは、司教様でえらい人です。
 この人は、聖遺物を集めて、自分の教会の繁栄のために尽くしたということですが、彼の行状には、まあ、いささか強引にすぎるお話も多々あるようです。早い話が、聖遺物泥棒です。
 勿論、小説の「修道士カドフェル」シリーズにも、青池保子の「修道士ファルコ」にも、修道士の聖遺物泥棒のお話は出てきますが、このヒュー司教は、司教さま自ら「収集」されたのですね。
 毎度の私のネタ本「中世の奇蹟と幻想」(渡辺昌美・岩波新書)によると、各地の聖遺物を持つ礼拝堂などで、それらを拝観したときに、堂々と、あるいはこっそりと、それらのかけらを持ち帰ったそうです。
 ある教会で、聖マドレーヌ(マグダラのマリアですかね?)の骨を、指でこそっとちぎり取ろうとしたけれど、うまくいかなかったので、歯でくいちぎったとか。
 また、別の教会では、名高い王様の皮膚を、また、別の聖人の腱を引きちぎったりしました。
 また、名高い、かの首を切られた聖者サン・ドニの頭蓋骨から歯を一本抜き取ろうとしたけれど、外れなかったので、鼻の穴から指を突っ込んで奥の骨を掠め取ったとか・・・。
 これらの行為が、全てこっそりではなく、見つかったこともあるわけで、またあつかましくも、その当の教会の僧達の目の前でやったこともあるんですね。
 勿論、もとの持ち主は怒りますが、そこはそれ、堂々と論戦をはって持って帰ったらしい。
 へりくつも理路整然としていては、誰も論破できなかったのかも。
 ある僧院で、そこの秘宝である聖女の骨を噛み取ったときは、抗議する院長を、へとも思わず、誰もが聖体に接吻するではないかとゴネたとか。
 まさか頭蓋骨をまるかぶりはしなかったと思いますが、まあ、そこはイメージで・・・♪ そばには、彼の「聖遺物収集」の協力者である弟子をつれていたようです。
2010-02-02

モンテベッロ公爵夫人

モンテベッロ

 ナポレオンの友人であったランヌ元帥の夫人。
 ランヌは、ちょっと猪突猛進なくらいの勇猛な軍人ですが、彼女はなかなかの女性だったようです。
 ランヌが最初の妻と離婚して後(戦争に行っている間に妻が浮気をした。それくらいで、離婚してたら、ジョゼフィーヌはどうなるねんって思うけれど、まあ、普通・・離婚でしょうね)、ナポレオンの妹、浮気者のカロリーヌをミュラと争って負けます。
 その後に再婚したのが、この夫人ですが、ミュラはカロリーヌに振り回されたけれど、この賢夫人は、しっかりしていて、勿論美人でもありましたし、ランヌが死んだ後も、女官として働いて5人の子供を育てました。
 彼女が、女官長として仕えていたのが、ナポレオンの二番目の妻マリー・ルイーズです。
 この若い異国のお姫様を支えて、ナポレオン没落後も、彼女と子供をオーストリアに届けています。
 これについては、女官の彼女が、自分がエルバ島までマリー・ルイーズについて行くのは真っ平だったから、さっさとナポレオンを捨てての策謀だと評判が悪いのですが、5人の子持ちの未亡人としては、将来もない主君を捨てるというのは、大いにありでしょう。
 だって、ナポレオンの子供だって、フランスに残ったり、流刑地に行くより、オーストリアであれば、とりあえずは命に別状はない・・ってことだと思いません? ある意味、彼女の選択は正しかったんじゃないかなあと思いますが・・。
 ナポレオンに対する「忠誠心」も、夫はこき使われた末に戦死したら、持てないんじゃないかなあ?
 ところで、「モンテベッロ」も、イタリアンワインの名前ですが、年末年始・・飲みすぎに注意しましょう。
2009-12-26

ガーゴイル

ガーゴイル

 パリのノートルダム大聖堂の名物に、ガーゴイルがあります。
 高いところに鎮座する、様々な奇怪な姿をした怪物たちで、その名のいわれは、屋根に雨水が集まって、排水施設としての怪物の口から吐き出されるときに、ガーゴーと無気味な声を発するからだといわれております。
 建築物の屋根についていて、生き物、あるいは怪物?の口から雨水が排水される雨樋装飾の起源は古くて、ギリシャ神殿にも獅子の口から排水されるようになっているものがあります。
 ですが、フランスのガーゴイルについては、まるでヤマタノオロチか岩見重太郎の狒々退治のような伝説があります。
 昔、ガーゴイルはセーヌ川の洞窟に住んでいて、行き交う船を襲い、飲み込み、また大量の水を吐き出して洪水を引き起こしました。
 近隣の人々は、この怪物をなだめるために、人身御供として毎年生きた人間を捧げました。怪物は特に若い娘を好んだといいます。
 まるで、アンドロメダ櫛名田媛ではないですか。
 ということは、あとは、勇敢なヒーローが登場して、怪物をやっつけ、美女を救い出し、二人は結婚してめでたしめでたし・・なのですが、セーヌのガーゴイルをやっつけに来たのは坊さんなんですね。
 ロマヌスという司教は「もしこの怪物を退治することが出来たら、教会を立ててキリスト教に改宗しますか」という提案をします。困っていた村人は、彼にお願いし、その年の人身御供(若い娘ではなくて、囚人だった)を、エサにして、ガーゴイルをおびき出します。
 ロマヌスは、ストラを怪物の首に巻きつけて締め上げて捕らえます。
 そして怪物を火あぶり?にして焼き滅ぼし、燃え残った頭を城壁の上に曝したそうです。
 で、この怪物退治を記念?するために、彫刻にして聖堂の上に上げたのだとか。
 というお話なのですが、「黒い聖母と悪魔の謎ーキリスト教・異形の図像学」(馬杉宗夫・講談社現代新書)によると、古代、敵を滅ぼした後、その首を自分の家や町の城壁において、悪霊を封じる魔よけにしたそうです。
 その首飾り(文字通り!)を、装飾的にして人頭装飾が生まれたのだとか。悪霊退散というからには、ただの人間の首より、より勇猛で恐ろしげなものにとってかわり、ついには怪物になった・・というのですが・・・・どうなんでしょうねえ。うむむ・・・じゃあ・・日本の鬼瓦もそうなの?
 また、セーヌのガーゴイルが怪物ではなく、川の利害関係をめぐる部族対立だったとすれば、キリスト教に改宗することにより強力な外部勢力と結びついた部族が勝利を収め、滅ぼした部族の首を城壁に曝した・・とするのは、あまりにもイージーかしら? 
 でも、ロマヌスなんて、個人名というより、ただ、ローマ人って意味なんじゃない? 
 ですが、絵柄としては怪物が面白いので、化け物退治です。
 ガーゴイル退治の絵はありますが、立派な司教冠を被った年寄りの高僧が、まるで西郷さんの犬のように、大人しい怪物の首を紐でつないで立っている絵がありますが、そんなもんじゃないと思うので、若い坊さんがストラを投げて捕まえる・・という雰囲気で。エクソシストが悪魔祓いをする時は、今でも紫のストラを使うそうなので、紫色の紐にしてみました。
2009-12-03

ロシュフォール伯爵

ロシュフォール

 三銃士の悪役と言えば、勿論、リシュリュー枢機卿ですが、彼は身分のある方ですし、神に仕える聖職者ですから、表立って悪いことはできません。
 で、その手足となって実務を担当するというか・・まあ、少々きたないことにも手を染める部下がいるわけです。
 その中の一人が言うまでもなく、策謀の美女ミレディーであるんですが、枢機卿の直接の手足ともいうべき部下といえば、親衛隊のロシュフォール伯爵です。
 しかも、ロシュフォールは、ダルタニアンの父親の仇でもあり、国王より枢機卿を重んじていいるわけですから、ある意味「国家の敵」とでもいうほどの悪役ですね。、
 映画などでは、カリブの海賊というか、柳生十兵衛というか、独眼流というか、まあ、ああいう片目の剣士で、ブキミな雰囲気のある、いろんな意味で典型的な悪役スタイルですね。
 しかしまあ・・「宿命のライバル」でもある悪役をカッコよく作られなければ面白くないし、あまりにカッコよすぎると主役を食うし・・という線上にいる古典的な悪役ではないでしょうか?
 当時の男性の流行の髪型うねうねヘアーの真ん中別けに、してみましたが、右目が悪いのですが、眼帯はなしです。・・。
2009-11-27

ミレディ

ミレディ

 今更ですが、アレクサンドル・デュマの三銃士の登場人物の中では、かなり印象に残るのがミレディーではないでしょうか。
 ミレディーというのは、イギリスの貴婦人を呼ぶ「マイレディー」がなまったものだそうで、ただ単に「貴婦人」ではなく、ウィンター伯爵夫人、クラリック夫人、アンヌ・ド・ブリュイ、シャルロット・バックソンなど多くの名前を称しているようで、勿論、アトスの本名ラ・フェール伯爵夫人であったことは言うまでもありません。
 「罪の女」として、身体に焼印を押されているので、このために、貴族社会での平凡な結婚生活を失います(この辺りで、時代を感じさせて、元夫のアトスの値打ちを下げるような気もしますが)。
 そして、リシュリュー枢機卿の優秀な女スパイとなって活躍をするのですが、危機に陥っても果敢に逃れ、策略にのもたけ、生き生きとして、魅力的な悪女であります。
 そして、一番印象に残っているのが、ついに捕らわれて、悪女もこれで終わりか・・という時に、若い牢番を色仕掛けで騙して脱獄するのはいかにもありふれているのだけれど、まあ、彼女の「見せ場」の一つではないでしょうか。
 彼女は金髪に青い目ということになっていますが、やや緑がかった目の色にしてみました。映画「ナインスゲート」の「悪魔」が緑の瞳でしたから・・。あ・・この映画の原作については、こちらに書いています。
2009-11-25

デュマ

大ヂュマ

 大デュマのほうのアレクサンドル・デュマ。
 アトスポルトスアラミスは出ているのに、この人は出ていませんでしたね。
 三銃士や、モンテクリスト伯を知らない人はいないというくらいの大作家ですが、ベストセラーを多作して、大もうけしながら、大散財をして、死ぬ時はほとんど財産はなかったという潔い?人物。
 父親のトマ・アレクサンドルは、フランス貴族と黒人奴隷の間に生まれたハーフで、実力で軍人としてなりあがり、軍歴を重ねるも、ナポレオンのエジプト遠征の批判をしたことで、ナポレオンからうとまれ、不遇のうちに死に、妻子は困窮。
 息子のアレクサンドル・デュマも若いときは不遇でしたが、ルイ・フィリップの書記となり、教師のパートナーと組んで、新聞に歴史小説などを書くようになり、一躍流行作家となります。 
 時期もよくルイ・フィリップが国王になるとますます羽振りが良くなり、劇場まで持って大入り満員、大儲け。だからこそ、浪費や遊びも派手で、浮名を流した女性も数知れず・・。
 しかし、国王が追放されると、劇場経営も破綻し、それまでの散在もたたってたちまち困窮。破産宣告を受け、債権者に追われて国外に逃亡するハメにも。
 しかし、晩年まで若い女性は大好きで、アメリカ生まれの女優アダ・アイザクス・メンケンを愛人にして2人で映っている写真があります。
 この女優は「怪しいこと」(降霊術とか、黒魔術とか)が大好きだったそうですが、大デュマは、最後の愛人が「魔女」・・・いかにも作家らしくて面白いですね。
2009-11-21

皇女ベルト

ビザンツ姫

  伝説の物語の登場人物なので、史実とは違っているのでしょう。実在ではないのかもしれません。
 いわゆる、中世の英雄物語の「武勲詩」の主人公にジラール・ド・ルシヨンがいます。
 このジラールの妻がベルタという女性で、トゥール伯あるいはサンス伯の娘ということになっているので、お姫様ではありますが、地元?の人です。
 ところが、武勲詩の物語になると、がぜんドラマチック。
 その昔、サラセンの軍勢に囲まれて困っているコンスタンティノープルの皇帝に、助けを求められたシャルル王(これが誰だかよくわかりません)は、臣下のジラールとともに出陣し、見事、サラセンを打ち破って、花の都に平和を取り戻しました。
 とても喜んだ皇帝は、シャルル王とジラールに、二人の皇女を降嫁させよう・・ということになります。
 使者にたったジラールは、年齢のこともあったのでしょう、王に姉姫、自分に妹姫と婚約を整えます。
 これが、まあ、いずれ菖蒲か杜若、喬姉妹のように「ともに国色」の美人姉妹なら、王とジラールは孫策と周瑜の関係になれたわけです。
 やってきた花嫁一行を、王様が迎えに行ったところ、あきらかに妹のほうが美人度が上!
  「婚約はジラールが決めたが、結婚はわしが決める」といって、ついてきた司教の止めるのも聞かず、勝手に妹のほうを王妃にしてしまいました。
 それが原因で、王とジラールは不仲になり延々と戦い続ける内乱の日々を迎えるのです・・。
 って、これでは、ジラールの妻になったベルト姫の立場はどうなるんだ? 女としてのプライドも、皇女としての格式も無視かいっ! 実家・・弱いからなあ・・・・というのではなくて、フランスの男どもが野蛮なんですねえ。
 さて、王に敗れて領地も城も失って、放浪するジラールに付き従ったベルトは、不満も言わず、夫を励まし二人して、炭焼きをしたり、お針子をしたりして生活すること7年。戦による諸国の荒廃を、庶民目線で見聞し、武人として葛藤します。
 最後は、神の仲裁、まあ「神の代理人」の仲裁によって、王と和解する・・というありがた~い結末です(作者は修道士ではないかといわれているそうですから・・)。
 でも、ジラールは、こっちを貰っといてよかったんじゃないの? チヤホヤされていた美人の姫なら、「実家に帰らせてもらいます!」でおわりでしょう。
 「姉姫も美しいが、妹姫はもっともっと美しい・・」といわれた姉姫ですが、ビザンティンの高貴な姫・・というイメージで。
2009-09-16

ベルナール・ギー

薔薇の悪役

 ほんとに最近「坊さん」づいててすみませ~ん。
 異端審問といえば、魔女裁判や拷問、火あぶりと連想が続いて、とっても恐ろしいイメージがあります。
 本来なら、魔女や悪魔が恐ろしいものだと思いますが、なにしろ映画や小説では、異端審問こそ最大の恐怖!みたいですね。
 この「異端審問」のやり方や、異端かどうか判断するハウツー本を最初に書いたのが13世紀のベルナール・ギーです。
 彼はフランス出身のドミニコ会修道士で、もともと僧院の教師であり、教育や著作こそが本来の仕事である学者です。真面目な学者であったからこそ?異端審問官を努めていた時に、それまでの審問のやり方やら、基準をまとめて本にした・・というのが真相のようです。
 異端審問所による厳しい審理や拷問というイメージは、15世紀末のスペインの異端審問所によるところが大きいようで、スペインは、かなり特殊なものであったそうです(現在は、バチカンの教理省が、ローマの「異端審問所」の後継機関だそうです)。
 ベルナール・ギーは、16年間も異端審問官を勤めあげ(やたらと拷問を振りかざす審問官は、すぐ罷免されたそうです)、司教になって教皇庁に勤務し、晩年は派遣された教区で精力的に秩序回復に努め、また土地財産や経済問題から歴史などの記録をまとめているようなので、とことん著述好きの「学者」だったみたいですね。
 ですが、実在の人物は地味な学者でも、映画「薔薇の名前」に登場して、冷酷非情な異端審問官というのが強烈です。
 私としては、まあ、ショーン・コネリーのフランチェスコ会修道士もいいのですが、やはりベルナール・ギーの存在感が圧倒的で、黒と白のドミニコ会の僧服もカッコイイし、ものすごく手入れされているであろう、後ろ頭トンスラ!
  あれが頭にこびりついています。最近、DVDを見なおしましたが、やはり彼の存在感がすごかった。
 ところで、実在のベルナール・ギーは、映画のように、車輪の軸に突き刺さるような無残な死に方はしません。
 彼の死にあたって、教会の大祭壇の前に神秘な光が現れたとまで言われているので、日本風に言えば「阿弥陀様のお迎えが来た」大往生だったのです。
 絵は、やはり、後ろトンスラで。 
2009-09-10

マッセナ

マッセナ

 ものすごく久しぶりにナポレオンの元帥です。
 アンドレ・マッセナは、幼くして両親を亡くし、石鹸製造業者の叔父に育てられましたが、13歳で家出。
 海賊になり、軍隊に入ったり、密輸業者になったりして暮らしていましたが、時代は、彼のような荒っぽい男を要求していたので、フランス革命のさなか、イタリア方面で武名を上げ、やがて、11歳年下の新任司令官ナポレオンと出会います。
 毎度ですが、長谷川哲也「ナポレオンー獅子の時代」では、強欲で金銭に執着する将軍のキャッチフレーズは「マッセナは奪うのだ!」で、戦場で、石鹸カッター(こんなもの武器になるのか?)を振り回して暴れる「悪い狼」。だけど、どこか憎めないんですよ。
 物欲が強く、しばしば略奪行為を働いたし、女好きでだらしがなかった・・とも言われていますが、なかなか、ウェリントンも直接対決を避けたという名将なのですね。
 ナポレオンの100日天下の時には積極的に参加していなかったけれど、彼の没落後は、全ての軍籍を剥奪されたそうです。
 今に残る肖像画は、穏かな風貌の田舎のおじさん!みたいなんですね。立派な元帥の制服がちょっと浮いたような感じですが、エッチング画像では、にこやかな紳士然としたイメージのがあります。レトロっぽく描いてみました。
2009-08-23

聖ルイ

聖ルイ

 聖人は、奇蹟をおこしてなんぼ・・ということで、聖人の遺骨や遺物を持たない教会はさびれ、極端な場合は打ち壊されるというようなこともあったようなので、聖人の聖遺物を持つことは、それで飯を食っている僧侶達には死活問題です。
 だからいろんな聖人の需要があるので、業者も出てくるのですが、自前の聖人・・つまり、自分のところの高位聖職者が評判の人ならば、死ねばさぞ立派な聖遺物になるだろう・・とい願ったといいますから、本来、有徳の人が亡くなったので、その人柄を偲ぶための聖遺物であったはずなのに、生きている人より死体がありがたいとは恐ろしい展開です。しかも、死んで奇蹟を起こせば、多少、生きている時に問題ありの人でも聖人になってOKだったとか。
 そのような聖人にも「流行」がありました。
 マルセイユでもてはやされたトゥールーズの聖ルイという聖人がいますが、この人は聖王ルイの弟シャルル・ダンジューの孫にあたるので、フランス王家の親戚です。
 シチリアの晩祷事件で、フランスがシチリアを失った時、アラゴンに人質に入っていたナポリ王の息子で、出家してトゥールーズ司教になりますが、23歳で病死します。
 若死した息子を思うあまりか、父のナポリ王は、盛大に列聖運動をやり、また奇蹟もどかどか起こったので、一挙にアイドル聖人となります。
 一般人にしてみても、同じご利益があるなら、しわがれたじいさんを拝むより、若い聖人のほうがいいにきまっています。
 あまりの人気ぶりに、とある教会の石工が「今はなんでも聖ルイさまがやってしまうので、他の聖人たちは、おまんまの食いあげだ・・」と言ったら、とたんに口が曲がったとか。
 聖ルイの肖像画や彫刻は沢山ありますが、ちょっと軽めのアイドル聖人・・のイメージで。
2009-07-22
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乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

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