春の月の宮女

月夜の宮女

春のおぼろ月は、桜の花と合わせると神秘的です。
嵯峨天皇の宮中に仕える宮女・・という感じで、平安初期頃のイメージで描いてみました。
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桜のおとめ

さくら

 大阪の桜開花予想は明日かあさってくらいだそうです。
 近くでは、もう咲いているのかなあ?
 入学式なども、来週のようですが、まだ寒いですね。
 桜が咲いても、なんだか物悲しく、散り始めたら、更に切ない・・というのは寧ろ、近代の感傷かもしれませんが。
イメージは中古の少女で・・。

桜惜しむひと

桜

 まだ桜は咲いていませんが、どうやら、春は、かなり近くまできている気配・・。
 桜吹雪が舞い散る日も、そう遠くないだろう・・と、こういうイメージがわきました。
 とくに誰と特定しているわけでもありませんので、桜を惜しむひと・・ということで。
 なにか歌でも詠みそうでしょう?
 早く桜が咲く春になってほしいです。

豊原時秋

豊原時秋

新羅三郎源義光を描いて、しばらくほったらかしにしていましたが、やはり、「足柄山」の図は、二人セットでないといかんなあと思いまして、新羅三郎の相方?を登場させましょう。
 豊原時秋です。
 この人は管弦の家柄の出身で、父祖伝来の豊原家に伝わる秘曲を、先代であった祖父がなくなり、伝授されぬままでしたが、その秘曲を知っている祖父の高弟源義光が、戦場に行くことを知って追いかけてくるのです。
 もし、義光か戦死でもすれば、秘曲は永遠に失われます。そうなれば、豊原家の跡取りとしては申し訳がたたぬわけで、ここはどうしても、今自分が義光から秘曲を教えてもらわなければならないのですが、これは、本人には言いにくい話ですよね。
 で、延々と見送りに行くという旅路でして、とうとう富士山が見える足柄山まで来てしまった・・ということです。
 で、それを察した家光が秘曲を伝授するわけですが、まあ、もっと早く気づいてやれよと思う反面、いつ言い出すのかと待っているということもあって、結局東国の入り口まで行ってしまったという話です。
 古い話では、逢坂山だという説もあるそうですが、そうなると京都からは近すぎるし、ドラマの舞台としては月明かりに映える富士山というほうが絵になる。
 もっと実も蓋もない話だと、義光が持っていたのは秘曲ではなく、豊原家に伝わる笙の名器で、それを時秋は取り返しにいったという、現実ありそうな話もあるのですが、まあ伝説は美しいほうがいいので。
 ということで、月明かりをあびて、笙の秘曲を聞き覚える・・という態で。
 絵画には時秋がなにやら書面を見ているのがありますが、実は義光は楽譜も持っていたということになっています。
2013-03-03

森羅三郎

新羅三郎

 世に芸術を愛する雅な人物・・という伝説は多いのですが、この新羅三郎(しんらさぶろう)も、その一人です。
 本名は、源義光(みなもとのよしみつ)。八幡太郎義家の弟です。
 兄の八幡太郎義家も、風雅を解する武人の伝説があり、絵画に描かれる雅な武人の一人でもあります。
 新羅三郎の場合は、彼は笙の名手で、雅楽の家豊原時忠から教えを受け、免許皆伝の腕前。
 伝説によると、豊原時忠は、自分の後継者の孫の時秋がまだ幼い子供であったので、、豊原家が伝える笙の秘曲を、一番弟子である新羅三郎に伝授したのですね。
 ところが、時が移って、豊原時忠の死後、後三年の役が起こり、八幡太郎義家が闘っていたので、それを応援するべく、弟の新羅三郎も出陣することになったのです。
 その出陣する新羅三郎を、豊原時秋は、見送りについて行くんです。もう子供ではありません。
 で、見送りに来た時秋を見て、新羅三郎は足柄山で、自分の受け継いでいる秘曲を、彼に伝授して「自分は戦場に行くが、君は都に帰って、家業を継ぎなさい」という、足柄山の別れ・・という名場面が展開するわけです。
 この話は出征する武人と風雅の道・・というようなテーマで、戦前では有名であったらしく、背景に月を頂く富士山を背負って、笙を吹く武士の絵がよく描かれています。かの月岡芳年も描いていた!(実は最近まで知らなかった)
 私は冷泉為恭の絵でこれを知ったのですが、この画家も面白いのでちょっとだけこっちに書いています。
 で、笙の秘曲を、月の足柄山でおもむろに演奏しようとするところで・・。
2013-02-19

源義家

源義家


 (平成24年に)母が亡くなりまして、あわただしくしていた時に、追悼絵を考えていました。
 母は、生前は、お友達も大勢おり、踊りが好きで、スポ-ツが好き、お笑いが好き、なにしろ楽しいことが大好きで、若い男前が好きだったので、「供養」としては、母好みのイケメン舞人の絵などと思いましたけれど、なかなか麗しい絵の描けない私でございますので、武士でありながら風雅も解したと言われている源義家です。
 八幡太郎で知られる勇猛な武人で、数々の伝説にもなっている人物ですが、五月人形として作られる時は、馬上で桜を眺める姿か(「吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな」の場面だと思います)、舞を舞うというのがありまして、どちらも、「優男」につくってあったので、甲冑姿ではなく、狩衣を着て舞う・・というイメージで。

 実は、本日12月12日は、この事典の開設記念日でして今年で8年目になります(去年の予定ではそろそろ2000人か・・なんて思っていましたが、まだまだですね。)。ぼちぼちやりますので、今後ともどうぞ、よろしく。
2012-12-12

紅梅の女房

紅梅

  深い意味はなく、「紅梅」を献上する・・というイメージがわきまして。
 源氏物語などでは、紅梅の大納言という人物が登場するので、男性が梅の枝を捧げる図・・というのも考えたのですが、ここはやはり、紅梅重ねの女房装束などを描きたいな・・ということで、華やかさも女性のほうがいいだろうと。で、紅梅の衣装を着た女房です。
2012-03-18

源為朝

源為朝

 源為朝は、鎮西八郎為朝というほうが、通りがいいかも。
 実在の人物で、源義朝の弟で、義経の叔父さんにあたりますが、どちらかというとファンタジーの主人公みたいになってしまっています。
 これはもちろん滝沢馬琴の「椿説弓張月」のせいですね。
 江戸のベストセラーで、「南総里見八犬伝」より先行する人気作だそうです。
 私も若気の至りで、子供のころに八犬伝にハマっていたので、その延長線で、水滸伝にも手をだし、ついで、これにも手を出しましたが、なにしろ長大で、文章は難解。一応読み通したハズなんだけれど、少しも印象に残らなかった。
 なにしろ主役の八郎為朝が、とてつもない大男で、平安時代の末だというのに2メートルを超える身長、左手が12センチも長い。しかも目玉が4つ!もあったなんて、まるで化け物。純情な、えせ文学少女の入れ込むタイプではありませんね。
 第一、次から次へと女ができて子供ができるのもどうかと思うし、ヒロインの白縫姫も、武勇にたけているかなんかしらんけど、コワイ。
 全くのフィクションの「琉球編」となると、人名もわからんようになって、ほとんど飛ばし読みか、やめてしまったんでしょう。まったく記憶がない。
 ですが、トシくっていろいろなことを知ると、目玉四つは項羽のマネだし、大きいことはよいことだで、弓の名手なら、手が長いほうが便利だろうし、背が高いほうが遠くまで見えるだろう・・なんて、語り手や、読者の要望などで、どんどんエスカレートしたのか、なんて考えると面白い。
 子供が仰山いるのも、子孫が足利幕府を立てたとか、八丈島や大島では、先祖としては源氏の御曹司にするのもいいかも。
 馬琴としても、配流先の島で極道して殺されたというより、実は脱出して、南の島にのがれ、そこで琉球の王様になった・・なんて(ネタはばれてるんだよ。水滸後伝の李俊さんです)壮大で、いいじゃないですか。
 甥の義経がジンギスカンになったという伝説に対抗していたのかも?
 13歳で親に勘当されて遠く九州にやられたのに、そこで地元の顔役になってしまったり、配流先でも島の支配者になった・・なんて単なる猪武者だけではないのかも・・と想像すると、同じく弓の名手としてはオデュッセウスが浮かんでくるではありませんか。彼との関連では百合若大臣が有名ですが、為朝ーオデュッセウスもあり・・かも。
 豪快無比というより、頭も使う(グレーな)ヒーロー・・というイメージ・・?
2011-06-15

厄神明王

厄神明王

 この1月18日と19日は、厄除大祭が行われる神社仏閣がいろいろあります。
 厄神といえば、悪い災厄をもたらす悪鬼を追い払う神様で、八幡神が厄神さまとなっているところもあるようですが、西宮の門戸厄神はお寺で、弘法大師製作の厄神明王が祭られているというのが寺伝です。
 なにしろ、嵯峨天皇が見た夢がそもそもの発端。天皇は、平安京を襲う災厄の数々を、巨大ロボ・・いや、巨大な不動明王と愛染明王が、な、なんと合体!変身!して、攻め来る悪鬼ばらを、火炎放射機か波動砲のような兵器でもって焼き払い、破壊していしまうという壮大なスペースオペラ風の夢をごらんになったのですね。
 で、「すごい夢を見たぞ」と、弘法大師空海に、得意げにお話になった。すると、なにしろ、天下の才人、平安時代のダビンチ空海は「それは面白い夢ですね。では、私はその変身合体巨大ロボ・・いや、明王を3D化しましょう」と言ったんです。
 ということで、3体の厄神明王を作った。その一つが西宮の松泰山東光寺に現在もおわしますそうですが、今はほかの2体が失われてしまっているので、唯一つ残った仏様。
 なにしろ、荒木村重の乱の時に、織田信長が火をつけたのに、その火炎の中ですっくと立って焼け残っていたそうですから。大変貴重な秘仏なので、写真や絵画にはされていないそうです。
 ということで、その姿は想像するしかないんですが、不動明王と愛染明王が合体・・・??
 不動さんといえば、剣と縄を持って火焔をしょっているし、愛染明王は6本腕で五鈷杵や五鈷鈴などをもち、弓矢を手にする仏様で、一説に愛の神様キューピッドが変化したものだ・・・という説もあります(キューピッドにしては、ちょっとコワモテすぎるのですが・・)ので、火焔をしょって弓矢を持った姿にしてみました。
 この厄払いの時期には、弓矢を射て悪霊を払うという行事も多く行われるので、厄神にはふさわしいかな・・と。顔も少し優男風にしてみました。 
2011-01-18

藤原敏行

藤原としゆき

 秋来ぬと  目にはさやかに見えねども
              風の音にぞ  おどろかれぬる

 意味は、文字通りです。立秋の日の歌だそうですが、立秋なんて、夏休みの真ん中にくるので、まあ、こういう気分にはちっともなりませんが、それでも、ふと秋の気配を感じる瞬間には、この歌を思い出します。
 それにしても、今年の暑さは異常で、毎日暑いので、「風の音におどろく」ということもなくて、九月に入ってしまいましたが、さすがに台風のあとは朝晩が秋の気配ですねえ。ちょっとほっとしていますが、昼の暑さは相変わらず厳しいですが。
 で、藤原敏行は、延喜の頃に亡くなった人なんですね。つまりは9世紀の人物なので、もう少し平安初期風に描かなければならないのだけれど、百人一首でもおなじみなので、まあ、こういうイメージでもいいか・・と。三十六歌仙の一人で、歌人であるだけでなく、書もうまくて、空海と並び証されたというから、ちょっと大物ではあります。
 奥さんが、在原業平の奥さんと姉妹だそうで、友人が紀友則で・・などと周辺にはけっこう有名人?がいるのだけれど地味かも・・。百人一首の歌は、

   すみの江の岸による浪
      よるさへや  夢のかよひぢ 人目よくらむ

 意訳すれば、「何にも、住江の岸の波みたいに、朝から晩まで、行ったり来たりしてほしいって言ってるわけやないねん。ちょっとよってほしいだけやのに、あんたは、夜でさえ、いや、夢の中でさえ、人目をよけてばっかりいるやないの! 根性なし!」
 多分・・大阪の女の子のつもりで読んだ歌かも。藤原敏行は、一度死んだ時に、能筆を生かして法華経を書いた功徳で、生き返ったのに、女遊びばかっりして、すぐに死んでしまった(?)ほどのプレイボーイだったらしいから、女性の代筆もした・・?
2010-09-10

葵祭りの使者

葵の使者

 葵祭といえば、京都の代表的なお祭りです。
 源氏物語では、この行列を見るための場所取りで、えらい目にあわされた六条御息所が、葵上を恨んで生霊になるのですが、これは行列に参加している光源氏の晴れ姿を見ようという女達の争いです。
 現在では、葵祭りというと、一般の女性が選ばれる斎王代ばかりが話題になりますが、祭りの発生として伝えられるのは、欽明天皇時代に遡り、不作と異常気象が、賀茂大神の祟りであったので、勅使を遣わし、お祭りをして、派手な馬装に武装をした武人達に競馬をさせて神さまを楽しませ(まあ、古代ギリシャやローマの奉納戦車競技みたいなものですね)、お慰めしたところ、五穀豊穣となったという伝承です。
 光源氏も、葵祭りでは近衛中将ですし、本来は天皇の勅使が、賀茂の神様におまいりに行くのですから、もともと男性的で勇壮な(まあ、荒っぽい)お祭りだったみたいですよね。勿論、今でも勅使が「主役」ですが、衣冠束帯のおじさんより、若い十二単の女性のほうが絵になるので、斎王代が目だってもしかたがないか・・。
 で、祭りの本来の主役、緑の若葉の中の若い勅使・・というイメージで。
2010-05-15

藤原定子

中宮定子

 枕草子でおなじみの中宮定子です。
 ヘンリー8世のお妃のなかで、ジェーン・シーモアを出した時に、ふとこの方を思い出してしまいました。
 平安時代の日本では、チューダー朝みたいに、首切りが日常茶飯事というわけではありませんでしたけれど、天皇の後宮はなにかと陰謀の宝庫。
 一条天皇の後宮にいち早く入内したのは、父親の藤原道隆があらゆる意味でやり手で、14歳の娘を11歳の帝に娶わせたのです。
 父親の権力が絶大なる間はよかたったのですが、父が死に、無能な兄が事件を起こして、父より更にやり手の叔父道長の前には、手も足も出ない・・ということになりました。天皇自身の愛情は深かったのですが、時の権力者道長の前では、ヘンリー8世のようなわけにはいきません。
 天皇の第1皇子、皇女を産むも、後ろ盾のなさで、没落する悲劇は、枕草子にも登場しますが、ここで描かれるのは、逆境にあって明るく、楽しげな人だったように思われます。しかし産褥で死んでしまうのですよ。
 香炉峰の雪を見るために簾をかかげてみたかったのは、この人自身ではなかったのでしょうか。ということで、袖を上げてはるか中国に思いを馳せる・・という雰囲気で。
 ちなみに香炉峰は、中国は廬山にある峰ですが、廬山ときいて、一番に浮かんだのが廬山昇龍覇って・・わはははは・・・。背景はいかにも・・ですが、別にこの方がそういう技を使っているところではありませんよ。
2010-05-09
 

八十島の祭使

八十島祭

 古代難波の宮廷祭祀のひとつに八十島祭りと言うのがありました。
 文献上は、平安初期の文徳天皇の時に初めて登場し、鎌倉時代の後白河天皇の時が最後であったとされているものです。
 新しい天皇が即位すると、宮中から祭使が派遣され、舟に乗って難波までやってきて、海に向かって祭りを行いました。
 そのクライマックスは、伴奏に琴をかき鳴らすにしたがって、女官が持ってきた天皇の衣を海に向かって振るというものです。
 これには、悪いものを衣からふり祓って捨てるという説と、海から活力をもらって衣に移して持ち帰るという全く逆の説があったようです。
 その祭りを行った場所も、現在のどのあたり、またどの神社であったかということも諸説あるそうです。
 難波の海岸線そのものの形も時代によって、今は変わっているようですから、よくわからないのでしょうが、いずれにしても内陸の京の都から、難波の海までやってきて、自然の力から霊力を得たということは、なにやらすがすがしい感じがします。

2010-01-01

源博雅

源の博雅

 博雅三位(はくがのさんみ)といえば、なにやら由緒がありそうな名前ですね。
 源博雅は、平安時代きっての管絃の達人。その姓からもわかるように「源氏の君」で、血筋から言えば、醍醐天皇の皇子の子で、母は藤原時平の娘なので、「ええし」の子ですね。
 琵琶、箏、笛、篳篥(ひちりき)など、なんでもこなすマルチ演奏家であり、作曲家でもありました。彼の作曲した雅楽の曲は今でも演奏されているようです。
 そして、伝説では、音楽の道を究めるためにはなんでもしたという奇矯の求道者でもあり、天下の秘曲を求めて、最後の奏者蝉丸のところへ彼が秘曲を奏でる機会をうかがって3年もストーカーしたお話だとか、伝説の琵琶を探し出したとか、朱雀門の鬼から「葉二つ」という笛をもらったとも言われています。
 「葉二つ」の物語は、「十訓抄」に出ています。
 夜に朱雀門で博雅が笛を吹いていると、彼と同じような姿をした人物が笛を吹いているのに出会い、此の世のものとも思えぬ素晴らしい音色なので、笛を交換します。その笛には二枚の葉の文様があったそうです。
 そして、その笛は彼が吹いても素晴らしい音色でしたが、時を経て、博雅の死後、その笛は誰が吹いてもよい音が鳴りません。
 そこで、時の帝は浄蔵(彼もまた名人だったそうです)に、この笛の謂れを話します。
 そこで浄蔵は朱雀門に行って笛を吹いてみると素晴らしい音色が出て、朱雀門の上から大きな声がして「すばらしい!」と称えたので、鬼が誉めたのだということになったという伝説です。
 しかし、そもそも浄蔵というお坊さんは同時代の人ではありますが、博雅より25歳も年上で、彼より15年も早くに死んでいるので、そもそもありえない話ですね。しかし、浄蔵は、三善清行の息子で、時平が道真の怨霊にとり付かれた時に祈祷をしにいっている、あやしい系のお坊さん・・まあ仏教のエクソシストなので、いかにも鬼と関連がありそうだ・・ということになったのでしょうねえ。
 こういう「怪しい」伝説から、夢枕獏「陰陽師」では、年齢の近い安倍晴明の相棒に選ばれたということでしょうか。
 朱雀門で笛を吹く男が鬼であったかどうかわかりませんが、博雅と同じ姿をしていた・・というので、ドッペルゲンガーみたいな化け物かなと・・こういう絵にしてみました。直衣を着ていたというからには、宮中からの帰りでしょうか?
2009-11-05

猫童子

猫小僧

  古典文学や資料に「猫童子」が出てくるわけではありません。
 なんとなく、小にくたらしい中猫がうちの近所にいるので、こういう猫が人間っぽくなれば、こんな感じかなと・・。
 平安風なのは、平家物語に出てくる猫間中納言(木曽義仲に、あやしげなお椀で、茸汁を振舞われて逃げて帰った人です)と、女三の宮の唐猫(勿論源氏物語)・・大納言の姫君(更級日記に出てくる生まれ変わりの猫)とか、なんとはなしに猫って平安っぽいかな・・という独断と偏見です。
2009-08

尊意

尊衣

 比叡山の僧侶で、北野天神縁起絵巻にも登場する人物。
 法性坊(あるいは法正坊)と呼ばれたりしますが、菅原道真が大宰府で死んだ後、都に幽鬼となって舞い戻り、「これから復讐をするが法力で邪魔をしないでほしい」と頼まれた時、尊意は、天皇から祈祷を命じられたら、都を守る叡山としては王命にそむくわけにゆかないと断ります。
 果たして、道真の怨霊のために、、都に激しい雷鳴が起こり宮中に雷が落ちかかる折、尊意が天皇の命を受けて参内しようとすると、途中、鴨川が氾濫して渡れず、彼の乗った牛車は立ち往生します。
 そこで、法力を尽くして祈祷をすると、荒れ狂う河が真っ二つに割れて道がひらけ、そこを通って御所に行くことができた・・という伝説があります。
 モーゼがたちわった海と違って、鴨川なので、イメージ的には迫力不足ですが、絵巻では車ごと荒波の中を渡るような絵があるので、少々オーバーな表現もありかなと、このような絵にしてみました。
2009-01-24

禿(かむろ)2

かむろ2

 女郎屋の見習い少女の禿(かむろ)のところでも書きましたが、「はげ」ではありません。
 髪を額のあたりで切りそろえた髪型を「かむろ」というそうです。
 どうしても、イメージでは、少女や、幼児の髪型なのですが、平安末の平家が栄華をきわめていた時代に、禿髪をして、赤い直垂を制服にした300人の少年隊をつくりました。
 彼らは、その目立つ姿で、市中を廻りながら、平家の悪口を言うものを探り出すと、家に乱入して、本人を逮捕し、資材を没収してまわったということです。
 この恐ろしい少年達は、禁中にも出入り自由で、まさに、強権をカサにきたというより、むしろ恐怖政治を支える役割を果たしていたようです。いかにも、成り上がり政権の平氏にふさわしいかもしれません。
 年齢15.6歳の少年ということですが、女の子が13歳くらいで結婚適齢期な時代のことなので、不良高校生というよりは、20代の、職業チンピラ?のような存在だったのではないかと、やや、おっさん顔で描いてみました。バサバサのロン毛も、当時では「おそろしい」イメージだったのじゃあないでしょうか。
2009-01-05

竹馬の童子

たけうま

 7月にはいって、ときどき飾られている笹を目にします。やはり、商店や、保育園などでが率先して季節感をだしているのかも。
 そんなところで思いついたわけではありませんが、絵巻物などにも登場する竹馬をしようとする少年です。
 今の子供たちがやる「竹馬」というのは、「高足」という遊びで、竹馬は、葉の付いたままの枝に紐をつけ、馬に見立ててまたがって引きずり回すものです。さわさわと音がして砂埃も立つだろうとは思います。
 またまた李賀の詩なのですが、「唐児の歌」というのがあります。名門の宰相家の子供を詠んだ詩です。
 玉の頭に翠の眉。一双の瞳人は秋水を剪る・・(眉目秀麗というのでしょうが、目もと涼やかなという以上に、なにやら子供ながら、将来楽しみな目つきの男の子ですね。)。こういう子供が、錦の衣裳を翻して竹馬をさらさらと音をたてて遊んでいるのだけれど、その姿もなかなかよいので、近所の女の子が騒ぎ出すのも近いかもしれない。大物になりそうなボクちゃんよ、どうか、この落ちぶれ皇族のおじちゃんも忘れないでおくれよ・・というような意味です。
 名門の生まれで、見た目も可愛い活動的な少年に、将来大物になっても、覚えておいてくれよ・・というのはなんだかちょっと切ないですね。
 日本の公家の少年にしてみました。
2008-07-03

惟喬親王

惟任親王

  在原業平が出たついでに、惟喬(これたか)親王です。
 文徳天皇の第一皇子でしたが、皇太子にはなれず、権勢ならびなき?藤原良房の娘が産んだ異母弟が選ばれました(のちに清和天皇と呼ばれる人)。「もしかしたら皇位につけるかもしれない。」ということから、廻りに人があつまり、希望を託すようなことがあったかもしれません。業平も親王を取り巻く一人ですが、業平と親王との年齢差は十九歳で、親子程違うので、業平の晩年の希望の星というより、不幸な和歌の弟子という関係であったかもしれません。
 毒殺未遂説はともかく、そのような情況を悲観してか、28歳で出家してしまいます。似たような境遇で、もっとドラマチックな人に高岳親王がいますが、惟喬親王は出家しても、冒険活劇などには無縁で、おとなしやかに暮らしていたようです。
 伝承では轆轤を改良して広めたということで、木地師の祖とされ、木地の里では、親王を祭っています。実際には、この「不運な貴人」を全国区にしたのは、小野氏の伝承であるかもしれません。
 平安貴人といっても、9世紀の人なので、松尾大社の神像の装束で描いてみました。 
2008-06-20

行尊

行尊

 もろともにあはれと思え山桜
          花よりほかに知る人もなし 
 

 久々の百人一首。大僧正行尊です。
 桜の季節には程遠い寒さですが、人影もない山奥に入って、ふと絢爛と咲く桜の花を見つけたりした人は、必ずこの歌を思い出すような気がします。
 行尊は平安時代の歌人ですが、かの藤原道真の陰謀で退位させられた三条院の息子にあたる敦明親王の孫です。この敦明親王も、まあ、道長に騙されるようにして皇太子を辞めさせられ、妻と舅が怨霊にまでなった人。 
 その系譜につらなるこの人は12歳で出家し、熊野で修行をし(熊野詣ではこの人が熱心に勧誘?した可能性があります)、西国三十三ケ所もこの人が始まりだとか。あちこちを歩き回って修行をしたので、旅先での霊験譚などもあり、また不思議な術ができたという伝説もあり、恋愛(当然、美しい稚児をめぐる)もあったとか。
 天台座主にまでなった高僧ですが、山桜の歌を詠んだのは熊野修行時代だという説があるので、百人一首の絵札のような老僧ではなく、十代の少年僧にしてみました。

2008-01-22

藤原純友

純友

  平将門とセットにされることが多い平安の反逆者藤原純友ですが、彼らが若い日に出会っていて、比叡山の上で、「オレは関東で旗揚げするからお前は西国で兵を挙げろ。そして天下を奪った時には、おれが天皇にお前が関白に」と約束したという伝説がありますが、出来すぎた話です。
 実際に彼らが呼応して兵を上げたかどうかわかりませんが、時期的に東西で反乱を起こされては朝廷はたまったもんではなかったでしょうね。怨霊になったりして伝説のヒトとなっていった将門に対し、藤原純友はジミで、怨霊になったわけでもありませんが、瀬戸内海を支配した海賊の頭領はかなり実力者でしょう。
 もともと名門北家の出身(父親が、かの藤原時平の従兄弟、つまりお祖父さんが藤原基経の弟)で、世が世なら摂政関白をやる家柄ですから、出世街道をはずれた不満があった・・などと言われています。
 しかしわずかな期間でついえた将門の乱より2年間にもわたって勢力を振るって、京都に迫る勢いであった彼の反乱のほうが、より重大事件であったかもしれません。
2007-12-29

藤原高光

藤原高光

今日は源氏物語ではありません。
 先日逸翁美術館の開館50周年記念の展示を見に行きました。その中で、きわめつけの歌仙絵ともいうべき佐竹本三十六歌仙絵巻の一部、藤原高光が展示されていました(この歌仙絵も復元されて、美しい色彩が蘇っています)。
 この藤原高光という人は、三十六歌仙の一人であり、藤原師輔の8男にあたります。家柄もよく(どれくらいの家かというと、祖父は忠平、つまり時平の弟。そして満月おじさんの道長は甥にあたります)、将来を嘱望されていたのに、幼い娘と妻をおいて、突然、23歳の時に比叡山に登って出家してしまいます。若いみそらでもったいない・・と有名になり、歌物語などの主人公になりました。
 これだけだと、厭世的で軟弱な貴公子・・というイメージですが、彼については奇怪な物語があります。それは、妖魔退治
 岐阜の高賀神社の「高賀宮記録」のなかに、何度も鵺のような怪物や、鬼を退治したという話があります。そして郡上市の念興寺には、彼が退治た鬼の頭蓋骨というものが現在も残っていて、怪奇好きの人々の興味をひいているようです。
 なぜ、歌人で、しかも坊さんであった彼が鬼や鵺を退治するのか・・? 確かに摂関家の貴公子でも、鬼に驚かない話や、弓矢が上手いというのはいますし、実は伝説は、源頼政や頼光の物語を彼の子孫が仮託した・・なんていう説や、実際は平安時代の話ではなくもっと前の説話だとかいうのもあるそうですが、なんとも不思議なミスマッチで楽しい。偶然に、逸翁美術館で大江山の絵巻も見てきたのですねえ・・。
 ちょっと「不穏」な歌仙絵にしてみました。
2007-12-04

源融

源融

  みちのくのしのぶもぢずり
       誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに

 
の歌は百人一首で、河原左大臣として取り上げられています。
 源融は、源氏物語の光源氏のモデルであろうとか、また豪壮華麗な大邸宅を造営したことでも有名で、この邸宅に死後も亡霊になって住み着いていたとか、なかなかに奇怪な伝説もあります。
 かの派手好きの嵯峨天皇の12人目の皇子で、源氏姓を賜り、臣籍に下り、左大臣にまでなりました。風雅の体現たる六条河原院は、敷地内に塩釜をつくり、わざわざ尼崎から海水を運ばせたとか。
 この数寄を凝らした家に未練があったのでしょう、死んでからも霊がここに止まっていて、屋敷を手に入れた宇多院の前に現れたという話が今昔物語にあります。
 謡曲の「融」は、風雅な夜に、潮汲みの翁があらわれ、ついで融の亡霊が舞を舞う・・という不思議な設定になっていますので、謡曲の舞の姿から、月夜に舞う融を描いてみました。謡曲では巻嬰冠に白の狩衣ですが、今昔物語では衣冠を着て登場・・となっていますので直衣にしてみました(亡霊なので白で)。 
2007-09-20

平将門

平将門

  関東一円を震撼させた大謀反人? 権力に抵抗して反乱を起こした悲劇の英雄? 今なおその「霊力」を保ち続ける妖術を使う魔人? 七人の影武者を持っており、実際に死んだのは別人? 
 さまざまな伝説と物語に彩られた人物ですが、本当のところはどうかわかりませんが、日本で、皇室の内輪もめ(壬申の乱とか南北朝の動乱)は別として、「天皇」になろうとした人物は、この人以外にいなかったように思います。
 明治の頃に、展覧会に出品されたこの人物の絵が(おとなしやかに描かれていたにもかかわらず)、審査員から「国家に逆らった謀反人を描くとはけしからん」という理由で落選したそうです。
 その今村紫紅の絵の「平親王」のイメージは、気弱そうな表情・・というより不安そうな表情で、天皇の衣装である「緋の袴に御引直衣」という装束の着用の途中なのか、「下着姿」で、膝に剣をのせてなにやら思案中・・という風情です。面白い着想なので「私風」将門を描いてみました。なりゆきでここまできたけれど、「ほんとうに天皇になってしまっていいのだろうか・・」などと実は悩んでいたのではないかと・・・。
2007-06-20

高岳親王

高岳親王

 高岳親王(たかおかしんのう)は、平城天皇の皇子です。
 嵯峨天皇が即位した時に、甥であるこの人が10歳で皇太子に立てられました。しかし、翌年、薬子の変が起こって、廃太子。その12年後、名誉回復はされましたが、宮廷生活には魅力がなかったのでしょう、出家して真如法親王と呼ばれます。弘法大師の十大弟子に数えられ、師の入定後、埋葬も行いました。
 その後、なんと60歳を過ぎてから、唐にて修行をしたいと渡航します。折悪しく中国では、当時の皇帝が仏教の大弾圧をした時代にあたり、今度は本場天竺で修行をするつもりで、船で天竺を目指し、羅越国で消息不明となりました。この国については、タイ、インド、マレー半島説があったようですが、マレーシアのジョホールバルに記念碑が建てられているそうです。虎に食われたという伝説もあります。
 この人の航海を幻想小説に仕立てたのが高丘親王航海記(澁澤龍彦)です。確かに、もう少し、情報があれば、日本版三蔵法師になれたかもしれない人ですから、想像をたくましくしたいですねえ。猿や猪やカッパ?をお供に連れていたわけではないでしょうが。
 旅する僧侶姿ではなく、剃髪寸前というイメージで描いてみました。 
2007-05-08

中務

中務

  もみじ葉も 落ちつもりぬる谷水は
    秋の深さぞ そこに見えける

 中務(なかつかさ)は、中務卿であった敦慶親王と、歌人の伊勢の娘で、彼女自身も当時名だたる女流歌人で、百人一首には採用されていませんが、三十六歌仙の一人です。
 お姫さまなので、歌仙絵などには、なかなか優雅な中努の絵がありますが、歌仙絵の中で鎌倉後期のものですが、後鳥羽院歌仙絵とよばれるものがあります。大胆な筆運びとデフォルメの、ちょっとマンガチックでなかなか味わい深い歌仙絵です。
 そのような名作には及びませんが、マンガめいた平安女流歌人を・・というつもりで、紅葉の歌と一緒に。
2006-11-20

文屋朝康

文屋朝康

 しらつゆに風の吹きしく秋の野は
       つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

 
いよいよ年賀状の販売もはじまり、クリスマスグッズが売り出されると、お正月が近いですね・・って、なんとも気が早いようですが、もう11月です。百人一首のシーズンが近づいて参りました。
 で、秋の歌として文屋朝康(ふんやのあさやす)のこの歌です。
 草においた白露に風が吹きわたる秋の野は、まるでばらばらになった宝石を散らばせたようだ・・という意味です。
 この人のお父さんは六歌仙の一人文屋康秀ですが、このおやじさんのほうは小野小町に言い寄ったとかいう伝説もあるそうですが、息子のほうは、経歴なども不明のようです。
2006-11-07

大伴黒主

大伴黒主

 六歌仙の一人ですが、江戸時代に、その黒主という名から、天下を狙う大悪人の役がつきました。
 雪が降っているのに(冬のお話です)桜が咲くという不思議な小町桜をめぐって、関守に化けて薪を集めている黒主・・。小野小町の元恋人が登場し、天下征服?の野望達成のための護摩木にするために、小町桜を切り倒そうとする黒主と桜の精が争う・・・。
 なんだか、荒唐無稽な話ですが、六歌仙のキャラを使って自由にお話を作ったという趣でしょうか?
 衣冠束帯を着たきこり・・というのも、どうかと思うけど(束帯の袍の袖は、縫い付けてあるので、狩衣のように両袖を後ろに脱ぐというわけにはいかないのですが、まあ、歌舞伎の衣装ですから)、これがなんとも、愛嬌があるのです。オマケに切った桜の枝を背中に背負ってるって、ちょっとお茶目でしょう?
2006-10-28

渡辺綱

渡邊綱

 源頼光の四天王の1人として、あるいは茨木童子の腕を切り落とし、また名高い酒呑童子を退治た大江山では、皆に先んじて現地を探り、鬼の宴会で生血や人肉を食ってみせるなど、ただものではない働きをする英雄です。この頼光に帰せられる英雄譚も本来は、渡辺綱のものであったとか。
 渡辺氏は、淀川河口の漁労や運送などのまさしく川の水揚げをつかさどる水系の武士集団の頭領です。代々特殊な一字名前を名乗る一族で、渡辺綱も、そのなかの一人ですが、なにやら、実在の人物ではないのではないかというお説もあります。(「酒呑童子の誕生―もうひとつの日本文化」高橋昌明・中公文庫)
 架空の人物とする説もナカナカに面白いのですが、まあ鬼退治の専門家として、こういう人も古代には存在してほしいですね。
2006-10-25

凡河内躬恒

凡河内躬恒

  心あてに折らばや折らむ
     初霜のおきまどはせる白菊の花

 あてずっぽうに折ってみようか。初霜がおりて、真っ白になり、どこにあるかわからなくなってしまった白菊の花を。
 霜の季節には少々早いのですが、凡河内躬恒の歌です。生没年や系譜もよくわからない人ですが、古今集には紀貫之についで歌の多い人で、三十六歌仙の一人です。
 秋ですので、霜というより、菊の花の中に立っている人物・・という感じにしてみました。
2006-10-16
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Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

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