甘寧

甘寧

 久々に中華です。
 甘寧、字は興覇・・そうです! 三国呉の将軍ですね。
 孫権に仕えて、あばれまくった海賊(長江だから江賊か?)ですが、派手好きなやくざもの・・といったところ。
 周瑜旗下で、錦帆郎と呼ばれたいうからには、彼の船団は色鮮やかな目立ちまくりの帆を張っていたのでしょう。また、鈴をつけていたので、この音によって彼がやってきたということがわかるとかいう伝説もあることですから、♪しゃらしゃらしゃんしゃん鈴つけて~♪というような可愛いものではなくて、自ら鈴をつけた凶暴な猫を気取っていたかもしれません。 
 映画のレッドクリフには、この重要な役どころの彼が出ませんでしたね。勿論、中村獅童演じる甘興というキャラが彼を「ほのめかしている」のでしょうけれど。
 甘寧は、別に赤壁の戦いで戦死するわけではなく、長く活躍しますので、映画では、どうしても派手な戦死をさせたいがために架空の人物にしたのでしょう。
 中華の武人は本当に似たり寄ったりのイメージになってしまうのですが、頭に鈴をつけている・・という感じで描いてみました。
 
 2009-08-27
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喬姉妹

喬姉妹

  「江東に二喬あり」の喬姉妹です。
 蘇軾をはじめとして、詩人、文人のロマンをそそるのか、「喬氏に二女あり。ともに国色」。という表現から、喬家の美人姉妹は男たちの想像力を刺激しました。
 もし赤壁の戦いで、曹操が勝っていたら、呉の国は略奪され、あの有名な美人姉妹も曹操のものになっていたかもしれない。もしそうなら、二人は銅雀台という豪華な宮殿にとじこめられて、ヒヒおやじにもてあそばれていたかもしれない・・。
 な~んて妄想がエスカレートして、とうとう、曹操は喬姉妹が欲しいために東呉に攻めてきたのだ! といったホラ話にまでなったりするんですよね(この大ホラをふいたのは、三国演義に登場する諸葛孔明さんですが・・映画のレッドクリフは、パート2で、話をどこまでエスカレートさせるんでしょうね?)。
 しかし、正史の「三国志」では、喬氏に美人姉妹がいて、姉は孫策のものになり、妹は周瑜のものになった・・というだけで、赤壁の戦いの頃に、この姉妹がどうしていたかなんてわかりません。
 ただ単に遠征先の現地妻だったのか、ちゃんと正式に嫁入りして連れ添っていたのか、そもそも正妻だったのかどうかもわかりません。孫策にも周瑜にも子供はいますが、その母親が誰かはわからないし、彼らが喬姉妹と出あった時は25歳を過ぎていて、子供の二、三人いてもおかしくない年齢です。孫策にはすでに子供がいたようです。
 ただ「妻」として名前の残っている女性が「国色」といわれるほどの美女なら、これはもう大々的に宣伝するのは大いに結構なわけで、物語のヒロインは、美人に限りますから。
 しかし、姉婿の孫策は10年も前に死んでいるので再婚しているかもしれないし、妹にしたって、まだ周瑜の妻であったとしても、10年物の古女房で、もしかしたら3人の子持ちのおばさんかもしれません。それでも、「美女」は「伝説」になるのですわ・・得ですね。
 喬姉妹は、よくセットで登場するので、二人で描いてみました。
2009-01-18

菊慈童

菊慈童

 謡曲「菊慈童」の物語は、中国は三国魏の時代・・ということになっています。
 魏の文帝(曹丕さまですね~♪)が、霊山の名水を求めて使者を遣わします。帝の使者は、深山幽谷、この世ならぬ仙境の如き山で、不思議な雰囲気の超俗的な少年に出会います。
 話を聞いて見ると、彼は周の穆王の寵童で、罪を得て山中に流されたが、王が釈迦から授けられた二句の偈を教えてもらい、それを菊の葉に書いておいたところ、その雫が霊薬となりそれを飲んで仙人になったもよう。700年もこの山中で暮らしていると言うので、その霊水を持ち帰った・・というお話です。
 しかし、周の穆王は紀元前940年頃の人で、西王母とデートした人物です。釈迦はゴータマ・シッダールタで、諸説ありますが、紀元前6世紀か5世紀の人ですから、穆王が釈迦に会って、弟子入りするのは難しいです。しかも、曹丕が帝位についたのは220年ですから、どう考えても穆王の時代からは千年以上たっているではありませんか。
 このネタはどうも「日本製」らしい。海外の有名人をちりばめたフィクションです。それにしても、霊水をもらったはずの曹丕はけっこう早死にしているのですから、もう少し長生きの皇帝を選べばよかったですね。
 さて「不思議な少年」菊慈童は、周王に仕える美童であったということですが、「発見」されたのは三国時代・・この時代的ギャップをどうするのか?・・・というより、まあ、イージーな「中華風」少年にしてみました。
2008-09-18

孫皓

孫こう

 滅亡王朝最後の皇帝は、残虐か暗愚と決まっているようです。勿論、それは、勝者が歴史を記録するから、自らが滅ぼした相手をほめるわけはありませんが、まあ、史書を読んだ人誰もが、こんな君主ならば滅んでも仕方がない・・という納得をさせる仕組みかもしれません。
 呉王朝最後の皇帝孫皓(そんこう)も、まるでカリギュラのような好色・残虐の暴君とされています。
 育ちもカリギュラに似て不幸で、父親は孫魯班のところで述べた二宮の変の犠牲になった廃太子孫和で、父が殺されてから、いつ抹殺されるかという不穏な空気の中で気丈な母とともに息を詰めて暮らしていましたが、宮廷の陰謀や暗殺などが繰り返される中で、叔父の孫休(孫権の六男)が即位した時に、ようやく役職を与えられるという待遇になりました。
 孫休の若死によって23歳の時に、帝位が転がり込んできましたが、彼を担ぎ出した廷臣たちは、誰も彼も、自分の権力のことしか考えない連中であったかもしれませんが、苦労人の孫皓は、うまくネコをかぶっていたんでしょう(しかし、不運のうちに横死した父に対しては、異常なほどの追慕をしています)。
 やがて、「暗君」の教科書のように豪華な建築や、後宮を大きくする、諫臣を処罰し、残虐な刑罰などで名を馳せ、ついにはあちこちからほころびが出てきて、天下統一を目指す晋の前に、魏・蜀・呉三国の中で最後まで残った呉も滅亡します。
 棺桶をかついで、死衣を着て降伏した彼は許されて、「暴君であったのに」安楽な生活を送ったので、非難もされています。
2008-09-02

孫魯班(全公主)

ろはん

 孫魯班(そんろはん)。字は大虎(これだけで勇猛そうなイメージ?)。
 三国時代きっての女策士かもしれません。もし、彼女が男に生まれていたら、策謀と度胸で諸葛孔明に匹敵・・? いえいえ・・もし男に生まれていたら、文句なしに皇帝でしょう。
 つまり、彼女は呉主孫権の長女。おそらく、全ての孫権の子供たちの最年長であったのではないでしょうか。
 母は孫権が最も大切にして皇后に立てたいと望んだ歩夫人ですが、太子孫登の養母徐夫人に遠慮して、ついに死ぬまで皇后にすることができなかったのです。
 孫魯班自身は、最初、周循(周瑜の長男)を夫に迎えましたが、すぐに未亡人になってしまい、20代後半の頃に実力者の全琮と再婚(これで全公主と呼ばれます)。全琮にはすでに4人もの息子がいたようなので、かなり年上の夫だったかもしれません。
 彼女が悪女と呼ばれるきっかけは、二宮の変と言われる、太子孫登死後の後継者争いです。
 次男はすでに死亡していたので、三男孫和が太子になりますが、四男孫覇が名乗りをあげ、それぞれに廷臣応援団がつき、しっちゃかめっちゃかになってしまいます。
 孫魯班は、三男孫和の母が、息子の立太子とともに皇后になるのを阻止したかったので、四男孫覇をあおったというのです。
 母親がなれなかった皇后に、憎らしい女が、太子の母というだけで簡単になってしまうというのが許せなかったのでしょう。
 この二宮の変は、多大な廷臣の粛清などをともない、これに連座して呉の中枢ともいうべき名将陸遜が死んでいます。
 事態は10年も混迷し、その間に四男孫覇派の魯班の夫も死に、太子は廃され、四男孫覇は自殺。
 めげない魯班は、父孫権が寵愛する末っ子七男孫亮をかつぐ決意をし、全氏の娘を嫁がせます(おそらく二人とも小学生低学年くらいの年齢?)。
 もくろみ通り孫亮が帝位につくものの、幼帝の前で補佐する廷臣たちは、またしても権力争い。
 孫峻(孫堅の兄弟の系譜)が、諸葛恪(孔明の甥にあたります)を暗殺し、独裁者的な実力者になると、魯班はこの実力者と愛人関係になったと言われますが、その一方で排除する計画をねっていたのではという見方もあります。
 孫峻に取り入るためかどうか、同母妹朱公主(孫魯育、小虎)の孫峻暗殺計画を密告したという話も。
 孫峻が死んだ後に権力を握ったのは、従兄弟の孫林(本当は糸偏に林です)で、更に横暴だったので、15歳になっていた皇帝孫亮は、一族の女長老、魯班と組んで排除しようとしたけれど、これまた密告で発覚し、逆に捕らえられ、一代の女傑も、ついに流罪になりました(ちなみに廃帝孫亮は配流先で毒殺の疑いですぐに死んでいるので、彼女も同じ運命をたどったかもしれませんが記録にはありません)。年齢的には60前であろうと思われます。
 なんとはなしにローマのユリウス・クラウディウス朝の女傑たちを思わせる大物ではありませんか。
 三国志でも呉は赤壁以降、なんとなく固まって地味な感じがしますが、なかなかに人材もドラマも面白いです。
 孫呉考察室など・・サイトもあるので興味ある方はどうぞ。
2008-09-01

張昭

ちょうしょう

 張昭は、筋金入りの頑固親父!というイメージが付きまといます。
 三国時代は呉の孫策に見出されて仕えます。学識すぐれ、智謀にたけた乱世の謀臣・・というより、とても有能な事務官であります。呉という国が、なんとなくガラの悪い海賊集団みたいな中にあって一人、教養ある知識人(と、勝手で私達が思っているか?)。
 しかし、知識人で有能というのは、弁が立ち、口うるさいと相場が決まっていて、これが、まあ人材不足で、自転車操業の蜀なら、小憎たらしい若造軍師でも珍重されますが、主人元気で威勢がよい孫権ですから、小言や嫌味を言うと、本気で腹を立てかねない。
 しかも「私は、先代の兄上様と、母上様にあなたのことを指導してくれと頼まれました」というのが切り札のじいさんは、煙たいでしょう。
 呉は、なぜか軍人は次々と早死にしたのに、この張昭さんだけは、80歳まで生き延びましたが、大帝孫権に反抗しまくったためか、結局宰相にはなれずじまいでした。しかし、彼がいて、彼を苛めて(たように見えて)、孫権は、うまくやっていたのかもしれないとしたら、この主従も、なかなかの狸ですね。
2008-08-28

姜維

姜維

 姜維(伯約)は、三国演義のキャラの中ではかなりな人気者で、イメージとしては美少年、美青年キャラが多いでしょう。
 諸葛孔明に、期待された?ということもあずかって、人生の方向付けが決まってしまったような人物です。ひたすら師の遺志を継いで北伐を目指す考え方は、ある意味、時代の変化も読めないようなところもありますが、信じる道を一途に突き進む姿は悲壮でもあります。
 蜀漢の滅亡にあたっても、孤軍奮闘しながら、主君が先にあっさり降伏してしまったのだから、踏んだり蹴ったりです。魏将の鄧艾と鍾会との確執を利用して最後の賭に挑んだけれども、心臓の持病があった彼は、発作がおこって適切な行動が出来ず、ついに敗北して追い詰められて自殺した・・ということになっています。その60歳前後の姜維というイメージで描いてみました。
 ところで、私は、こんなおじさんを描きましたが、千華さまの「いにしえ夢語り」では、若い姜維のオリジナルドラマを連載中ですし、よもぎさまのサイトでは、美しい姜維さんのイラストがあります。 
2007-12-17

董卓

董卓

 漢墓の壁画で、項羽を「怪獣」に描き(張良を二枚目に描くのも)勝者漢の時代であれば仕方がないのでしょうが、項羽は悪役として、とことんワルにするには「英雄」すぎるのです。
 しかし、誰が何と言っても正真正銘の悪役として位置づけられ、イメージされるのは、「三国演義」の董卓でしょう。
 みてくれもいかにも悪人らしく肥満傲慢で、好色貪欲、がはははは・・な人物像です。ほんまにそれほどだったのかなとも思うのですが、人間蝋燭の伝説は肥満だけは否定しがたい。
 呂布(彼も、乱暴で粗暴ななヤツだと思うのですが、一方でとっても美化される伝説もできまして、一部では悲劇のヒーローに成り上がっております)とセットで悪の権化だったのです。
 荒俣宏の「読み忘れ三国志」を最近読みまして、董卓を描いて見たくなったのですが(単に「董卓の光と影」という章題が気に入っただけですが)、美女貂蝉の相手役?でもあるのですから、スターウォ-ズのジャバザハットを男前にしてみました。 
2007-11-20

諸葛孔明

諸葛孔明

 今更ながら・・という超有名人です。三国志ものの小説やマンガでは、ほとんどがこの方を主人公にしています。一度、女孔明を描いたのですが、やはり、まあ、ちゃんと描かなきゃあなあと思っていたので、典型的な諸葛孔明像を、私なりに描いてみました。
 綸巾(かんきん)、羽扇のスタイルは「通俗三国演義」での、諸葛孔明のトレードマークとなりましたが、必ずしも彼だけの者ではなかったのです。〔それが証拠?に、蘇軾の赤壁懐古では、周瑜がそのスタイルです。まあ、しかし、孔明さんといえば、もうこれが定番ですので、こういう姿は「軍師」の衣装になってしまいました。
2007-04-01

荀 彧

荀 彧

 難しい文字で荀彧(じゅんいく)は、文字化けするかもしれませんが、三国時代の曹操の謀臣として有名な人です。
 で、なぜ現代物なのか・・は、三国志のエピソードに詳しい人はよくご存知の、禰衡(でいこう)による人物評で、弔問用の顔と酷評されたからです。なにしろ、後漢末期の頃の他人の葬式にはどのような衣装を着て行くべきか・・ちょっと考証しにくかったので(本来は、これが私の仕事ですが・・)、まあ、社長の代理で取引先の会長のご母堂の葬式にやってきた秘書課長・・みたいなのにしてみました。
 地元の袁紹を見限って、自らの判断で将来有望な曹操に仕え、曹操にも大いに気に入られて「わが子房(張良)」と呼ばれて、彼の覇業に大いに貢献しました。しかし、曹操が次第に「それ以上」の野心をあらわにし始めると2人の間に齟齬が生じ、結局不可解な死(曹操によって空の容器を送られ、死ねといわれたと判断して自殺?)をとげました。
 ということで、イージーですが「暗い雰囲気の弔問者」にしてみました。
2007-03-23

趙雲

趙雲

 三国志での人気キャラ投票をすれば、かなり上位に入るのが趙雲ではないでしょうか。地味キャラなのですが、誠実そう・・ということで人気のもです。
 昔、ある中華料理店で、飾ってあった螺鈿の衝立に、多くの兵士に追いかけられる武人の絵柄があり、なにかの戦いの場面だなと思っていたところ、その武人がふところに赤ん坊を入れているのです。「おお!、趙雲子龍ではないか!」と一人悦に入っていたことを思い出しました。
 主君の妻子を救い出したものの、夫人は足手まといになると、幼い子どもを託して自殺。託された趙雲は、攻め来る敵の真っ只中を赤子を懐に抱いたまま、単騎、切り開いて脱出するという「三国演義」の名場面です。
 しかし、この最高のドラマなのに、命をかけて助けた「和子」が劉禅だ・・ということに、少々不満も残るファンもいるかも・・?
 「三国演義」のドラマの中ということで、三国時代ではなく、宋代の甲冑にしました。
2007-03-03

華陀

華陀

  中国で名医といえばこの人。神話的存在です。
なにしろ、患者がすごい。関羽孫策、そして曹操
けっきょく、この曹操の持病が、脳外科手術をしなければいけないと進言したことによって、失敗しました。
 伝説では、この大先生は、実は人造人間も作っていて、かの荊苛の胆を移植し、西施の首をつけた、絶世の美貌と、胆力をほこる最強の女を作り出した・・それが、かの貂蝉だなんて物語まである。
 いまでも華陀膏という塗り薬があって、水虫などにきくそうですが・・さて。
2006-09-28

司馬仲達

司馬仲達

 本名の司馬懿(しばい)ではなく、どうしてこの人は字で呼ぶのか。まあ、これは諸葛孔明さんと同じで、親しみを込めてそういうのですが、「死せる孔明、生へる仲達を走らす」が有名なあまり、この呼び名がインプットされているからでしょうね。
 三国演義では、ある意味「敵役」とでもいうべき立場なのですが、彼は曹操によって、三顧の礼にもたとえられるほど、二度スカウトされ、二度断ったので、キレた曹操が「三度目はふんじばって連れて来い!」と強攻策に出たので、仕方なく(かどうかどうかその辺は策士の仲達のことですからわかりませんが)使える様になり、曹丕の学友となったのです。
 曹丕即位の後は側近となり、息子の明帝の後見人となったのですが皇族の曹爽と対立し、しばらく雌伏します。この間に有名な重病人の演技があるわけですが、結局彼らを追い落とし、息子司馬昭、孫司馬炎と続き、晋王朝の開祖となりました。
2006-06-27

曹丕



 曹丕。字は子桓。
 父曹操の後を受けて魏王となり、その年のうちに後漢の皇帝を退位させて、自ら帝位についたので、魏の初代皇帝です。
 父や弟の曹植が華麗な詩才をひらめかせているのに対し、地味ながら文学を愛すること、並大抵ではなく「文章は経国の大業、不朽の盛事」と、最高権力者にして文学をこのように称えています。
 彼自身は、生きている時から陰謀家だの策略家だのと言われ、事実そのようなこともあったのでしょうが、
    漫漫秋夜長(はてしなく秋の夜は長く)
    烈烈北風涼(烈々として北風はつめたし)
    展転不能寐(展転と寐るあたわず)
    披衣起彷徨(衣をかずきて起ちて彷徨う)

 この詩は、続いて、夜露の草むらを歩き、天を仰いで月や星を眺め、寒々とした景色を詠み、鬱々として悲しき思いのみ多く、と嘆き、風に向かいて長く歎息し、我が中腸(はらわた)を断ち絶りぬ。と結びます(全文はこちら)。
 実際にはどのような状況で、故郷に帰ろうとして帰られぬという嘆きを詠ったのかはわかりませんが、とても切実で孤独な、しかも繊細な詩の情景が、なんだか不思議と曹丕という人物と似合って、結構好きですね。
 実際には、野戦での陣中で、武装しているかもしれないのですが、寝巻きにガウンを羽織ったようなスタイルで描いてみました。
2006-01-14

潘岳

潘岳

 昨日は日本の美男の代名詞?でしたので、今日は中国の「美男の代名詞」潘安(はんあん)です。
 中国の古典小説では、しばしば「潘安のようなよい男」という表現に出くわしますから、よほどいい男なのか・・・。
 潘安・・つまり彼の本名は潘岳(はんがく)字(あざな)が安仁(あんじん)。例えば諸葛亮と呼び捨てにせずに、諸葛孔明というように、尊敬と親しみをこめて潘安というのでしょう。魏・晋の頃の文人です。
 有名な逸話では、彼が町をゆくと女性達が騒いで取り囲み、車に乗っていると女性が投げた果物で一杯になった(愛情の表現に果物投げ入れる)とか。また、文人仲間の夏侯湛(かこうたん)も男前で、潘岳と2人で歩いていると連壁(れんぺき)、玉を連ねたようだと騒がれた・・等々(岳湛連壁)。
 陸機と並び称され、文人としては一流であったようですが、政治的には権力者に媚びたとか言われていて、八王の乱に巻き込まれて殺されました。
 本当の時代は三国から司馬晋なのですが、伝説的かつ普遍的な美男をどう描くべきか・・悩んだすえ、京劇の二枚目風な衣装で描いてみました。演じられた美形・・ということで、さほど美しくないのはお許しを。
2006-01-13

劉備

りゅうび
 この人を出すかどうか迷いました。もう3人組で関羽さんのとこにも出てるし~。今更ながらなんだけど、陳舜臣「秘本三国志」の劉備を思い出したので、やはり出すことにしました。
 通俗三国演義では、劉備といえば、仁徳者で、博愛主義、心優しいけれど、なにやらちょっと頼りない・・・だから、守ってあげたくなる?・・だから諸葛孔明も必死になって仕えた・・そんなイメージですが、実像は、なかなかにしたたかで食えないおじさんだったようで、まあ、あの時代に腕自慢の若いもんを率いて一旗揚げようってんだから・・そこはまあ、タダモノではないわけです。
 ご存知「三兄弟」の一番下の弟分張飛は、手のつけられぬ乱暴者ってことになっていて(まあ、多分そうだったんでしょうけど)悪いことはなんでも彼のせいで、それをたしなめるのが、劉備の役どころ・・なのです。
 ところが、実は、劉備そのものがキレるとけっこう何するかわからんかったそうで、三国演義では、それも張飛のせいにした・・・・。
 一見穏やかな人がキレると本当は怖いのよ~?
2005-07-27

呂布

りょふ
 通俗三国演義は、男と男が、個人で対戦したり、戦争したり策謀したりする物語ですから、女性の登場はとても少ないのですが、架空の人物であるという貂蝉は、四美人にもなっていて、有名なきれいどころです。
 暴虐を振るう董卓と、その腹心で武芸抜群の呂布の離間を策するために、彼女の美貌は利用され、呂布は見事にハマって主の董卓を殺すというのは「連環の計」として有名です。そして、そういう策にひっかかった呂布は、単純マッチョで、力だけの大男・・という設定が多いし、果ては、金髪碧眼(ゲルマン傭兵か!?)にしているものもある。
 その一方で、呂布と貂蝉の悲恋物語に仕立てるものもあり、私は、以前に見た「徽劇」の「美女連環」の呂布を描いてみました。演じた俳優さんは、いわゆる「様子のよい」、しなやかで若々しい呂布でしたよ。
 こんなのも、おばさんたちは、ありですが・・。 
2005-07-17

魯粛

ろしゅく
陸遜・呂蒙と、呉関係者が続くと、出さざるをえないのが魯粛です。
 しかし「おっさんキャラ」が続いているので、たまには、こんな絵柄もいかがでしょうか? おばさんたちのパロディ「女三国志」の魯粛ちゃんです。
 ところで、魯粛(男の)は、三国演義では、諸葛孔明と周瑜の間にたってイビられるなさけない役どころの印象ですが、実際は、剛毅で沈着。資産家で親分肌。しかも無駄な争いを避ける和平路線・・。なかなかの人物です。
2005-07-11

呂蒙

りょもう
また三国志呉キャラです。関羽をハメて殺したということで、なにやら不人気の彼ですが(でも呉の国益に従っただけです)、私にとっては「幼馴染」。え? あんたは3世紀の人か?・・いえいえ、なんぼ「お婆」でも卑弥呼と同世代やおまへんで。実は、私の亡父が(昔人間ですから)ことあるごとに、
「三日会わずんば、刮目(かつもく)して見よ」
と言っていたのです。「三国志」の文章は「士、別れて三日、即ち、まさに刮目して相待つべし」で、微妙な違いはありますが、意味は「士という者は、三日も会わなければ(格段の進歩をしているものだから)よく目を拭いて待っていろ」ということです。
 無学な若造だった呂蒙に久しぶりにあった魯粛は、彼の学識、見識の進歩に驚き、「おお! お前は呉県にいた頃の阿蒙(蒙ちゃん)じゃないな」と言ったので、その時の呂蒙の返事が「士、別れて三日・・」です。これを父は、連発したものだから、私は一夜漬けならぬ三日漬け的発想で「三日あればなんとかなるんや」というイージーな思考になったのだ・・・多分。
 で、いつまでたっても進歩のない者を「呉下の旧阿蒙」(呉県の昔のまんまの蒙ちゃん)。私のことじゃないですか。
2005-07-10

陸遜

りくそん
字は伯言。呉郡呉県の人。・・なんて、ちょっと列伝風・・・。つまりは、全く呉の人です。
 三国呉の孫権とほぼ同年代。三国演義では、次々と早死にした周瑜・魯粛・呂蒙の後を継いだ将ということで、諸葛孔明のあらかじめ仕掛けた、妖しげなストーンヘンジ?みたいなところで迷わされたり、「白面書生」として、部下たちに侮られたりで、なにやらひ弱そうなイメージを持ってしまいました。
 しかし、21歳の時から孫権に仕え、ジミながら実績をあげていた人物。孫策の娘婿でもあり、以後、呉の王朝をささえて丞相にまでなったけれど、晩年の孫権の後継者問題に巻き込まれて、誣告流罪の挙句、憤死したと言われていますが、陸家は江南の名門として伝えられています。
2005-07-09

貂蝉

たた44
 四大美人(他は、西施・王昭君・楊貴妃)の一人。
 そらあ別嬪やったかもしれんけど、2人の男を破滅させたっていうだけで(それも策略として)どうして人気者なのか?
 三国演義をはじめ章回小説の女性像っていうのは個人の主張がないのよね。だから創作の余地もあるってことなんでしょうけどねえ。
 でも、四大美人に好みは別として、西施と楊貴妃はともかく、王昭君ってそんな大騒ぎするような人かしら? 美しい女に悲劇はよく似合うということで、野蛮人(と昔の漢民族が思っていた)に、心ならずも嫁がされるっていうのは、「男心」をくすぐったのかも。

孫権

そんけん
江東の碧眼児! このあだ名が想像力をたくましくします。ですが漢文の「目に青光あり」などの形容は、眼光鋭いとか、目線が真剣であるなどの表現で、本当に孫権が青い目であったとは思えないんですが、どうでしょうね?
 ただ、絵に描くとなると「碧眼児」は、やはり金髪までセットにしたくなる(漢文では「紫髯」がセットだけれど、これまた絵心をそそります)ので、なにやら衣装まで怪しくなってしまいました。でも海賊の親分でしょ、江南の水軍って。 

曹操

そうそう
三国志のスーパースター! 「ちょい悪」から「極悪」まで、悪役好きがこぞって好みのタイプにいれる人気者。頭がよくて決断力があって、行動力があるというのは、魅力的ですが、これで男前やったら言うことはない・・という希望的見地からか、最近「男前の曹操」多いように思いますが、私は柴練三国志の曹操が好きですね。
 私たちのパロディでは、もちろん派手な方です。

諸葛孔明(女性)

こうめい
周瑜が出るなら私も!とのご本人の要望?で、この人も出します。女孔明です(でも、関羽んとこにも出でたでしょ?)。
 しかも、周瑜より、目立ちたいとのことなので、色をつけました・・・。背景は「薔薇」です。もちろん、おばさんたちの女三国志の主人公?だそうです。

周瑜(女性)

しゅうゆb
座乱読としては、「女三国志」のこの人を出さねばなりません。女関羽や張飛なんかが出たんだもの。
 女になっても大柄美人で足が自慢。ややヒステリックって設定です。
 でも、ちょっとジミでしょう? 女三国志は、ほかの人も相当、コワイから。

周瑜

しゅうゆ
 三国志では超人気者の部類に入るのではないでしょうか。専門に?扱うサイトも多々あるやに思われます。おばさんたちもミーハーなので、この人も登場させましょう。容姿端麗、頭脳明晰、出自高貴・・見てくれがよくて頭がいい、そこそこの家柄の出、つまりは「三高」ですよ。(自分の亭主にするわけじゃないから)老化する前に早死、奥さんが美人! こういうのってモテるんでしょうね。
 でも、加えて、私は、この人の策略とか、芝居っ気、孫権の御前会議の弁舌などが気に入っているわけです。みなさまのイメージにはあいませんか?

関羽(女性)

かんとう
女・三国志の関羽さんは、長い黒髪の女戦士。張飛さんはグラマラスな大女。
 おばさんたちのパロディ「異・三国志」のヒロインたちです。今回は、諸葛孔明さんと3人セットで登場です。
 

関羽

かんう
 ご存知!三国志の第一番の英雄! 義理と人情にあふれて責任感が強く、頼りになるうえ、うでっぷしが抜群! 
 という律儀な関羽さんと、その他2名・・なんて言うと失礼ですが、3人セットで義兄弟の誓いを交わしている劉備さんと弟分張飛とごいっしょの登場です。まだまだ「夢と希望」にあふれた青春時代なのだ。
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乱読F

Author:乱読F
歴史上の人物を沢山描きたい・・。
実在・架空2000人描き

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