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足利義教(謹賀新年バージョン)

正月

 正月バージョンの御所様、足利義教です。
雲の高欄に裾をかけて座るお姿です。
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足利家の執事(謹賀新年)

sinnnenn
 謹賀新年。
本年もどうぞよろしく。
年賀絵をこれしか描いていないので、使いまわしします。
{足利家の執事」はこちらで連載中。

足利義教(聖ニコラウスバージョン)

サンタニコラウス義教

 メリークリスマス♪
今年は、聖ニコラウスの扮装の御所様です。
司祭の姿は、古いサンタクロース、つまり聖ニコラウスの絵姿にはよくあります。
 この御衣装は、「ファッションの歴史」(J・アンダーソン・ブラック ㈱PARCO出版部)の、大僧正の衣装図版から。0~15世紀の高僧の装束で描いてみました。

二郎神の絵(自動着)

自動着色・

自動着色ソフト・・   paintschainer  
進化したかなと思って、やってみたが・・・。
やはり、こうなったな・・・。↓元絵
jirouni

 二郎神についての記事はこちらです♪

文使い

文使い
 
 絵師絵巻登場の文使い。
 軽装ながら、旅の支度で、足元は軽そうな藁沓、脚絆を巻き、袴は短め、細い袖ながら、装飾的な色合いです。
軽快な走りで、使いを果のでしょう。
 新しいペンを手に入れたので、それだけで書いてみたかったけど、結局色を入れ、背景を付けました・・・。

足利直義(黒)

足利直義(黒)

 一か月更新がないと宣伝が入ってしまうので、こちらに挙げておきます。
黒衣装の足利直義です。
 背景に地獄絵(等活地獄ー殺生戒を犯した者が落ちる地獄)を背負っています。
 「足利家の執事」シリーズで481回に登場する「黒」直義です。

三好長慶2



三好長慶さんは、二回目です。 以前の記事はこちら 。
その後、いろいろ本をよんで、かなり、深く興味を持つようになったのと、近々、講座もあるので、またしても登場です。
 日記にも三好長慶、小説「妖雲」、松永久秀など、書いています。

 講座情報はこちら→ 戦国摂津からの天下人三好長慶

足利義教(盆踊りバージョン)

bonnodori

 お盆です。あの世からの現世に戻るときには、足利義教は、御台所の夢に現れたときは、衣冠束帯の正装だったそうですが、盆踊りのシーズンなので、踊る義教公を・・。
 赤い色が似合いそうなので、赤い直垂で・・。浴衣は、まだこの時代だと下着でしょうから、公衆の面前では出てこられないでしょう。


※背景を花火にしたのも貼っときます。上着を透け透け風にしてみたけど・・。

hanabi

足利義教(鴨の親子バージョン)

yosinori3
 最近、季節季節で登場する、足利義教さん。
今日は新暦で、この方の命日(旧暦では6月24日)だそうですので、鴨の親子バージョンで描いてみました。

中華四美人

4美人

 画像ファイルにある「線画」です。
中国四美人。古い袍から西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃です。
時代的にはかなり幅が広く、古代のくくりには入らないのですが、物語の残る、美女たち。現代でも、中華圏では4美人コンテストがあるそうですが、エントリーするときは、時代傾向の容姿を考慮するのでしょうか?
 日本だと、古代、中古、中世、近世あたりで4おお美人選べそうですが・・・。

童子

緑の童子

 中世において、寺院に所属して、僧たちに奉仕する童子は、高僧に奉仕して、学問を教えられたり、身辺の世話をする身分の高い稚児は、よい家柄の出身で、華麗な衣装を着て、化粧をし、優雅な身のこなしをして、教養があったそうです。
 勿論、寺の自慢の童子は、寺僧たちの憧れの存在で、時には、寺に出入りする身分の高い俗人・・つまり、公家や高位の武家などに見初められ、そちらに仕えるようになる・・・なんてこともあり、将来、僧になるのではなく、出世する場合もあったとか・・。
 さほど身分の高くない家の出の童子は、同じように寺に奉仕しても、雑用係でした。よほど、学問が優れるとか、容色が優れているという場合でない限り、普通の童子は、普通のお坊さんになった・・・。

蛙僧正

かえる

 鳥獣戯画では、猿の僧が、蛙本尊を拝んでいる図が出てきますが、蛙お坊さんになったらどうだろう・・・?
という発想です。
 というのも、神奈川県立金沢文庫の「補助解説チラシ」というものが、とても面白い絵柄で、これは、人物を蛙にして描いてあるのがとても印象的。ここの博物館のイメージキャラクターが「ボサツちゃんと文庫ガエル」なんだそう。
 まあ、早い話が、私も描いて見たくなっただけの話です。
 で、蛙のなんだかおもしろいネタはないかと、考えていて、思い出したのが、吉野の金峯山寺にある蛙とび行事です。あの蛙は、かなりインパクトのある顔なんです(青ガエルですけど)。
 まあ、あまり深く考えないで、蛙の僧正などどうかと・・・・。

大極殿に向かう藤原道長

道長

 さるべき人は、とうより 御心魂のたけく、御守りもこはきなめりと覚え侍る

 と「大鏡」に語り出される、肝試しシーンの藤原道長です。
 花山天皇の頃、五月下旬の夜に、「おどろおどろしくかきたれ」て、雨の降る夜。
 帝をかこんで、若いものが夜語りしていた折に、誰かが「怪談噺」をはじめ、一同、ブキミモードになってしまった。
 帝が、「こんな日は、こうして人数がいても、気味が悪いのに、だれもいない、離れた場所など、どれくらい不気味だろう? 一人で行く勇気もないだろうな。な」とおっしゃる。
 すると、「行ってきましょう!」
 その道長にの一言で始まった、深夜の冒険ツアー。
 道隆、道兼、道長の3人兄弟が、それぞれ無人の宮殿に行くことになった・・。
 あ、この3人は、天皇の母方の従兄弟に当たります。
 そして、まあ、道長以外の二人は、途中でびびったのに、道長だけは、大極殿に行って、更に、「証拠として」高御座の南の柱の下をケズて持って帰って来た。翌日、帝が、調べさせると、削りかすは、ぴったりとはまった・・・

 と言う、道長、若き日の武勇伝ですね。
 年代的には、花山天皇が在位していた時期は2年間なので、道長は18歳から20歳の頃です。

※ ツイッターのほうで、可愛い平安イラストを描いておられるりねんさまの、道長さんを私風に描かせていただいたものです。
みっち(りねんさんちの)


足利義詮

義詮

 足利義詮(あしかがよしあきら)は、足利尊氏の嫡男で、母は鎌倉幕府最後の執権北条守時の妹。
 新田義貞の鎌倉攻めの時に、わずか3歳で、名目上「源氏」の大将とされ、尊氏が実質上「室町幕府」を開くと、鎌倉において東国統治の中心となりました。
 20歳の時に、都で叔父の足利直義高師直と争って失脚すると、父に呼びだされて上京。実質上政務をとっていた直義に代わって、政務を担うことになります。
 観応の擾乱で、尊氏が東国に下ると、都を押さえるのは義詮に任され、その間、南朝の京都侵攻や、北朝の上皇、天皇を拉致されるという危機に見舞われますが、奇策を用いてもなんとか危機を乗り越え、再度都を回復。
 尊氏が死去すると、28歳で将軍となるが、以後も各地の反乱等に苦労するけれど、これまた、なんとか乗り切るが、まだまだ安定しない状態で、後継者の義満がいまだ9歳であったのを、細川頼之に託して38歳で病死。
 同母弟の基氏は、鎌倉にいて東国を支配する形でしたが、この弟も、兄に先立ち、同年の春にすでに死去。
 忙しい人生を送った人ですが、最近、評価が高くなってきつつある人物です。
 鎌倉から呼び出され、都に来た当初の20歳くらいのイメージで・・。

足利直義と高師直

師直と 直義

2月26日は、高師直、観応2年(1351年)2月26日、足利直義、文和元年(1352年)2月26日で、二人の命日ということで・・・。
 観応の擾乱を戦った二人が、同日に命日なので、色々憶測を呼んでいます。
 命日記事はこっちにも書いています。
 最近、騎馬武者像は、やはり足利尊氏ではないか・・という説も出ているようですが、まあ、そのいでたちで・・。
直義は、もちろん「伝頼朝像」です。

 マンガ足利家の執事 のシリーズもよろしく。

足利義教(バレンタインバージョン)

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 バレンタインデーにはチョコレートが飛び交います。
 チョコレート色の直綴りを着て袈裟を掛けた、足利義教の肖像画があります。
 烏帽子をかぶっていますが、還俗間もない頃のものという説がありますが、どっちかというと、「病床に伏して、出家する」余裕のなかった、暗殺された将軍の菩提を弔うためにあえて出家姿・・なんて想像をしますが、どうでしょう?
 ところで、阪急電車は京都神戸を走っていますが、長年変わらずチョコレート色を貫いています。
 この春、ゴージャス「京とれいん」が導入されるそうですが、義教さんなら乗りたいかも・・?

源実朝

さねとも

 鎌倉幕府三代将軍源実朝です。
 鎌倉の右大臣で、歌人としてもゆうめいですね。この人の暗殺によって、源頼朝の血筋は絶え、源氏の将軍は三代でおわりました。
以前にも出ていますが、1月27日は命日・・ということで・・。
公暁は、こちら・・。

征夷大将軍護良親王

moriyosi
 
 後醍醐天皇の建武の新政にあたって、征夷大将軍に任命されて、それまでゲリラ戦の根拠地であった、山塞から都に呼びだされます。
 上洛するにあたって・・・なんとも、先行き、不安であったという感じがするので、これまでの、還俗した高僧・・というイメージをぬぐうためか、都入りには甲冑を着て臨みました。
 しかし、 帝はなにも、わかっていない・・。危険人物を厚遇している・・・足利こそ、敵なのに・・・
 といったところ、不本意な仏頂面の護良親王です・・・。。

足利家の執事・・

あしかが

 謹賀新年。
本年もどうぞよろしく。
足利尊氏、足利直義、高師直、佐々木道誉の「足利家の執事」のメンバーで、新年のご挨拶です。
 足利家の執事

足利義教(サンタバージョン)・・・

yosinori

 クリスマス限定です♪
 第六代将軍足利義教さまに、赤い水干(あくまでも水干です・・・・)で踊っていただきました♪

足利義晴

足利義晴

 足利義晴は、足利幕府の12代将軍ですが、応仁の乱後のややこしい時代に、しばしば総軍が都から逃亡しなければならなくなり、父親の足利義澄も逃亡中に、近江の六角氏を頼っていた先で、生まれました。
 自身も大名たちの勢力争いに翻弄されながら、将軍位につき、また争いに巻き込まれて、逃亡しました。
 朽木氏のもとを頼って、落ち延びた朽木の地で、しばし、逗留し、こちらで武士たちを呼び寄せて、一時幕府を置いていたこともあります。
 その後、三好長慶らの勢力が増すことによって、また近江に逼塞し、それでも京都に攻め上ろうとした道中で病死したという、不幸な将軍です。この人の息子が、足利義輝と、義昭です。
 先日、朽木に行って、義晴の館の庭園跡を見て参りましたが、静かでとても紅葉が美しい場所でしたので、この影の薄い、足利将軍を描いて見ました。
 肖像画としては、肩身替わりの小袖に黒い肩衣姿の、なかなかおしゃれないでたちの絵があるのですが、「足利将軍若宮八幡宮参宮絵巻」の将軍が、この人ではないかという説もあるので、絵巻の衣装で狩衣にしてみました。

兼好法師

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 吉田兼好と長く覚えてきた(信じてきた?)、兼好法師ですが、実は、彼は吉田さんじゃなかった。
というような本(「兼好法師―徒然草に記されなかった真実―」小川剛生・中公新書)を最近読みまして、京都で、公家に使えた身分ある侍でもなかったらしい。
 伊勢の出身で、卜部兼好という名前で、通称では四郎太郎と呼ばれていたのではないかというんですね。
 金沢氏(北条氏)に仕えた侍で、けっこう長い時間鎌倉ですごし、主君の金沢氏が六波羅勤めになるのにしたがって都に上って、出家姿になって、あちこちに出入りして、そこそこ蓄財もした人物・・・となると、彼は生粋の都人ではなく、全くの隠者でもなく、イメージはちょっと違うかも。
 むしろ、色んな裏事情に通じているのも、そういった出家姿で自由に色んな人のところに出入りしたからか・・なんて思うと、益々、徒然草が、俗っぽく、興味深いものになります。
 別荘でやっている「足利家の執事」に登場する兼好法師を描きました。彼は「大根の恩返し」みたいな話(第68段)を書いているので、(ハロウィン仮装した?)大根をもらった、・・・というところ?
 

継体天皇と埴輪・・そして桓武天皇と武人人形

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都の東南と西南に御陵のある二人の天皇が、交流?
記念撮影です。
 ※(足利家の執事のキャラクターです)

花の御所の少年たち

室町の少年たち

 山田風太郎「室町少年倶楽部」の冒頭に登場する少年たち。
 一番年かさの少年は16歳の細川勝元。この年齢で、「家業」をついで管領。
その次は10歳くらいで、三春丸と呼ばれていますが、室町幕府の政庁でもある「花の御所」の主人。
少年僧は、三春丸の弟で、義尋。幼いころから出家しています。
 一番小さい少女は、日野家の姫で、兄弟の親戚。
 蹴鞠の上手な、お兄さんに、技の手ほどきをねだっている・・というところ。4人の年齢でいえば、高校生と小学3年生と1年生。そして幼稚園に通う女の子・・といった感じでしょうか。
 この小さな子供たちが、やがて成長して、足利義政、足利義視、日野富子、・・勿論、応仁の乱を争う面々となりますが、その幼いころは、ただ、元気な子供達だった・・・・という小説の出だしです。
 

澁沢龍彦

渋沢龍彦
 本日、8月5日は作家澁澤龍彦氏の命日です。
 若かりし頃、ものすごくハマっていましたので・・・。
 肖像画は追悼絵が多いですけど、故人の好みでかなり、「美化」されるものではないかな・・・。
 久々に絵を描いてみた。
 私風に・・・・有名な髑髏持ち姿も、そそれれましたけど、あえて何にもなしで・・。ちょっと・・印相風に・・・。
背景は、もちろんモンス・デジデリオです・・・。

オーガスト

アウグストゥス
とうとう、八月になってしまった・・・

束帯を着よう

束帯を着よう

 やはり絵が描けませんでした。
 以前、作った束帯の着用次第を、時計回りで。
脳内BGMは「クシコスの郵便馬車」で・・・。

夏の少年



 日差しは暑いですが、ちょっと、こんな絵でも・・・。

縫物師

縫物師

 職人歌合に登場する「縫物師」です。
 縫い物とはいっても、お裁縫ではなく、刺繍です。
 木製の枠を使って布を張り、右手は上面に、下に左手を回して、両手で針を使います。
 この木枠は、現在も使われる、日本刺繍と同じもののようです。右片袖を脱いで作業をする様子ですが、他の女性の職人のように、髪を結わえたり、まとめたりしておらず、前掛けや襷も使っていないし、着ている着物も模様のある優美なものなので、上品な手作業、とされていたのでしょうか?

納曾利

納曾利

 唐突にこんな絵をあげます。
 雅楽の納曾利(なそり)です。一人舞いの時は、落蹲(らくそん)・・・あるいは、その逆で、一人舞が納曾利、二人舞が蹲蓀というところもあるそうです。
 二匹の龍が舞い踊るという曲目で、双龍舞とも・・。
 
 (長い間絵を描いていないので、とうとう広告が入ってしまったので、苦し紛れに、昔の絵を上げた・・・)
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